第11話 三度目の魂 [からりと]
私が自我を持ったのはいつだったか。
もう忘れてしまった。
遠い遠い過去。
まだそこには何もなくて、けれど私と似たようなものがそこらじゅうにひしめき合っていて。
形を持たない私たちは本当に小さなものでしかなかったけれど、その中で自我を持った幾つかが集まり、意識を繋げた。
それぞれ思うことは違ったが、共通していたのは何かを生み出し、自己の存在理由を得たいという欲求だった。
だから私たちはまず、自分を形作ることにした。
周囲の自我を持たぬものたちを吸収し、力を蓄える。
その頃の私たちは加減を知らなかった。
普通を知らなかった。
いつの間にか私たちは強大な力を持つようになっていて、それは次元をも超えるほどだった。
私たちの力に耐え切れず、その時にいた次元はもはや生物の存在できないものになってしまった。
私たちはそれぞれ違う次元に本体を置くことにした。
私は一つの次元に辿り着き、そこで人間というものを知った。
幾つかの土地に人間として溶け込み、その生活を覗き見ては楽しんだ。
永い時間そうしていて、初めの頃に味わった刺激はもうない。
退屈が私の中に溜まり、重たくなっていく。
男にも、女にも、大人にも、子供にも、弱者にも、強者にもなった。
これ以上の楽しみはどこにあるのか。
そうして私は、人ではないものになった。
世には、人でないものも溢れていた。
大抵が欲望に満ちていて、会話もままならないようなものばかりだった。
私も一度、そういうものになってみようと思った。
色々な場所に漂い、私が見えた者のそばにいてみたりした。
あれはいつのことだったか、ゴミ捨て場を漁る少年が私に気付いた。
私はどこからどう見ても人間でも動物でもなかったが、なぜか少年は私に食いかけの骨を放って寄越したのだ。
ほんの少し肉がこびりついたような骨は、私の目の前の地面に転がった。
「食わねーの?」
私は驚いた。
見なかったふりをする者、逃げる者、祓おうとする者、様々いたが、そんな言葉をかけられたのは初めてだったからだ。
「お前が食わねーなら、おれが食うけど」
私は食事を必要としていない。
身体の一部を伸ばして、骨を少年の方に弾いてやった。
少年は少し驚いた顔をして骨と私を交互に数回見比べ、それから骨を拾ってしゃぶり始めた。
私が弱者の中に混じっていた頃とは周囲の状況が変わっているとはいえ、結局生きるために人間がすることは同じ。
水と食料を得ることだ。
私はしばらくその少年と行動を共にすることにした。
何をするでもない。
ただ、後ろについていって見ているだけだ。
少年は一人だった。
父親は知らない。
母親と共に、母親の愛人の家で暮らしていたが、ひょんなことから愛人が母親を殺し少年も殺そうとしたため、逃げたらしい。
聞かずとも知っていたが、少年は話し相手が欲しかったのか、何の反応も示さない私に向かって自分の話をしていた。
私は、その愛人が少年を探して近くまでやってきていることを知っていた。
教えてやってもよかったが、教えなかった。
数日後、少年は愛人に殺された。
逃げる際、抵抗したことに腹を立てていたその男は、少年をすぐには殺さなかった。
人気のない場所で死ぬ直前まで痛め付けて、放置したのだった。
私はもう間もなく死ぬ少年を見下ろしていた。
少年は私に手を伸ばし、何も言わずに笑って死んだ。
◆
私はそれからもしばらく同じようなことを繰り返した。
数百年経った頃だろうか、あの少年と同じ魂に出会った。
魂の輪廻転生に手を出したこともあったが、あまり面白くなかったのでやめていた。
少年の魂に出会うのはいつになるかと思っていたが、思ったよりも早かった。
私は少年の魂に会いに行った。
やはり私のことは見えていて、今度は少し怖がっていたものの、やはりそこまでの悪感情は持っていないようだった。
今度は、色々と協力してやることにした。
少年はあの頃と違い、普通の家に生まれていた。
けれど引っ込み思案な性格のせいかそれなりに生きにくいようだった。
私は少年に寄り添い、陰ながら支えてやった。
少年が青年になり、そして老人になった。
その頃には娘や孫に囲まれて、私がいなくてもいいくらいに満ち足りていた。
病気が分かり入院生活になってからも、孤独ではなかった。
死の気配が迫ってきたのを感じ、私は彼に前世の話をしてやることにした。
少年が殺されることを予想していながら、何も言わなかったことを話した。
どんな反応を期待していたのだったか、もう忘れてしまった。
彼はその話を聞き、からりと笑った。
「きみも存外、人間らしいところがあるのだな」
そう言われて、何とも言えない気持ちになった。
別に、少年に対する行動に後悔していたわけではない。
今世の彼を助けたのは、何もしなかった場合と、何もかもした場合の違いを見てみたかっただけだった。
だが、彼にはそうは思えないのだろう。
私が何を言ったところで、彼の中の私はそういうものになってしまった。
それなら次は、中間でいよう。
適度に放置し、適度に干渉する。
そう思ってしまったことに苦笑する。
私はまた、この魂と関わることを選択している。
今のところ他のどの魂より面白いからそうしているだけだ。
彼の魂が巡っている間は、他の魂で遊んでいるのだから、何も彼だけが特別なわけではない。
しかしそれでも、次の転生は数十年先に訪れるように調整してしまったのだからしょうがない。
誰もいない病室で息を引き取った彼は、幸せそうに笑っていた。
◆
そうして三度目が始まった。
二度目まではある程度成長してから顔を見に行ったのだが、今回は最初から様子を見ることにした。
ただ、適度に放置するという気持ちがあったため、彼が家にいる時には彼の目に見えるようにして、家以外では見えないようにしていた。
他の魂であったことだが、初めからあまりに構い過ぎても、自己の意識の少ない人間になってしまって面白くなかった。
だからある程度育つまで、能動的に絡むことは控えていた。
三度目の少年は今までで一番理知的だったように思う。
二度目の時に私がそばにいすぎて、少し魂を変質させてしまったせいかもしれない。
さほど人格に影響は出ないはずなので弄らずにいた。
少年は見えていることを誰にも悟られずに生きることに決めていた。
そういう生き方を選択するのもまた一興。
私は観察を続けていた。
いわゆる悪霊の類にちょっかいを出されることもなかった。
向こうにも悟られないよう、うまく立ち回っている。
あまりにうまく立ち回りすぎていて、少しつまらなかったくらいだ。
そんな少年に少女の霊がついてきたことがあった。
珍しく怯えた顔をする少年を見られて面白かった。
その時も私は家の中でのみ姿を視認できるようにしていたので、彼らが家に帰ってきてから処理することにした。
少女の霊は何十もの子供の魂を食らっていた。
強くなったと思い込んだ霊は、力のある子供を次の獲物としたのだろう。
私に食われながら吐いた怨念は、どこにも届くことなく消滅した。
「あり、がとう」
少年が私に言った。
私は思わず反応しそうになり、堪えた。
まだ、少し早い。
ただ、その件以降、少年は時折私に話しかけるようになった。
お礼の言葉とは違い、誰に話すでもないような独り言じみた言葉を、私のいる方向に呟くだけ。
相変わらず両親にさえ普通の子供ではないと悟らせない少年は、溜まるフラストレーションをその呟きで発散しているようだった。
少年が小学校に通うようになり、そろそろ会話ができるような姿になろうかと考えていた頃、少年の呟いた言葉に私は笑みを零した。
「もしぼくが 」
お前が、そう言うのなら。
私はこのまま、その時を待つことにしよう。
一度目とも二度目とも異なる展開に、私は満足した。
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