第10話 団地の池 [水中花]

 和斗がいなくなったと聞かされたのは、和斗が廃寺に行った翌日のことだった。

 朝に和斗の母親から電話があり、それを聞いた康平の母が真っ青な顔で教えてくれたのだ。

 どうして一人で行ったのだと和斗に詰め寄りたかった。

 康平が一緒にいたとして、なにができたわけでもないだろうが、それでも、どこか裏切られた気持ちになってしまったのだ。


 康平は、和斗のいなくなった廃寺に行きたいと母に言った。

 母は少し考えた後、それなら一緒に行こうと言って支度を始めた。


 二人で家を出て、廃寺に向かう。

 途中で怜二が合流した。

 康平も怜二も、何も言わなかった。


「和斗、帰ってくるよね」

「当たり前じゃない」

「……うん」


 歩く道すがら、廃寺について康平は母に聞いてみた。

 元々この地域で生まれ育ったわけではない母は、廃寺についてはほとんど知らなかった。

 ただ、廃寺の近くにある団地には、一度そこに住む話が持ち上がったらしく、少しだけ知っていることがあった。

 知っていることといっても、どの棟のどの部屋が日当たりがよくて人気なのだとか、少し問題のある人がどの部屋に住んでいるだとか、そういう類の話である。

 その中に、一つだけ変わったものがあった。


『団地の池の水で水中花を作り、月の光の下で祈りを捧げると願いが叶う』


 団地の立っている場所は元は水の神の棲まう場所であり、その神は今では団地の中の池に祀られている。

 そしてその池の水には神力が篭っているのだと。


「水中花ってなに?」

「お水の中に、水中で綺麗な形になる造花とかを入れるの。ちょっと待ってね……」


 康平の母はスマートフォンで検索すると、水中花の画像を見せてくれた。

 かわいい色とりどりの花が、水中で咲いている。


「……和斗、お寺にいなかったら、団地の池の水汲んで帰ってもいい?」

「うーん……いいのかな……。ちょっと団地の池に行ってみて、大丈夫そうだったら汲んで帰ろうか」

「うん」


 家と家の間にある石段を上れば、ボロボロの小さな寺があった。

 今は誰もおらず、静まり返っている。

 康平と母親が境内を歩き回る中、怜二は本堂の中を見つめていた。

 何もない空間に、一つの気配を感じる。

 それは細く長い根を張るように、団地の方角に向かって力を伸ばしていた。

 いや、むしろ逆だろう。

 団地の方角からたくさんの根が伸び、そのうちの一つがここにあるのだ。

 怜二は団地の方角を睨み、強く拳を握りしめた。


「団地の神様……」

『アレと繋がるには、お友達が道を作ってくれなくてはな』

「そうしなきゃ、無理なんですか」

『ああ、私は弱い弱い存在ゆえな』


 困った顔をしながら胸の前でお祈りするように手を組む。

 微塵も信じていない顔で見つめてくる怜二に、我慢していた笑い声が漏れた。


『お友達の道があった方が制約が少なく済むのは本当じゃ』


 怜二は本堂の裏から戻ってきた康平を見た。

 どれだけ探しても和斗の痕跡すら見つけられなかった康平は、ほとんど泣き出しながら廃寺を後にした。


 帰り道、ペットボトルの水を飲み干した康平は、空のボトルを持ちながら団地にやってきた。

 団地の中の池はそれなりに知られた物らしく、案内板まで立っているほどだった。

 立ち入りが制限されていたりするわけではないと安心した康平の母は、そのまま歩みを進めた。

 コの字に建つ団地の中央に位置する池の中央には、小さなお社のような物があった。

 赤を基調としたお社の中からは、確かに強い力を感じられた。

 しかし、外部からの影響を完全に遮断しているのか、膜が張っているようにぼんやりとしたものしか見えない。


 特に水を汲むことも禁止されていないようで、康平はペットボトルに池の水を汲んだ。

 康平の母は、ネットで水中花に使う花を調べ、康平に選ばせる。

 黄色と赤の花が、明日届くらしい。


 怜二が私を見たので、私は頷いた。

 別に一日や二日、死にはしない。

 そもそも、あれの隔離した世界と現実世界では流れる時間が違うのだ。

 向こうでは和斗が、自分が寺に閉じ込められたと気付いた頃だろう。


 腹も減らない、喉も乾かない、時間は流れても時は進まない。

 完全に停止した箱庭。

 そこから和斗を取り出すのに、どれほど怜二に楽しませてもらおうか。


 池の中央を見て、私は笑った。


◆ 


 月曜日、学校に行った康平は、教室の中を不安げに確認して泣きそうな顔をする女子二人を見た。

 きっとあの二人が和斗を誘ったのだ。

 どうして和斗がそんな目に合わなきゃいけないのだと、二人が誘わなければ和斗は危ない目に合わなかったのだと詰め寄りたかった。

 けれどいつもの心霊スポット探検だって同じなのだと、自分だけが無事に帰ってくる立場になっていたかもしれないと思うと、何も言えなかった。

 ただ、和斗が早く、無事に帰ってくることだけを考えていた。


 授業が終わり、最速で家に帰った康平は、すぐに水中花を作った。

 母が用意してくれたガラスの器に、届いたばかりの花を置く。

 萎れたような花に当たらないように、ペットボトルから容器のフチを撫でるように水を入れていく。

 空気の泡をまとった花は、水の中で美しく花開いた。


 康平はその花に向かって、手を合わせ、目を瞑り、祈った。



 康平の住むマンションの下。

 エレベーターに乗り込む康平を見送ってから、怜二はじっとその場に留まっていた。

 きっと、康平はすぐに水中花を作る。


 上階を見上げていた怜二は、康平の家から根が伸びるのを見た。

 私は怜二の額に手を当て、伸びた根に向かって放り投げる。

 小さな光になった怜二が根に吸い込まれ、そのまま廃寺の方へ流れていった。

 私は目を閉じ、覗き見の準備をするのだった。


 物凄い勢いで根に引き込まれた怜二は、昨日訪れた廃寺にいた。

 違う。見た目はあの廃寺そのものだが、ここは紛い物だ。

 本堂の前の崩れかけた階段に膝を抱えて座る和斗を見つけ、怜二は駆け寄った。


「和斗くん!」

「……れ、いじ……?」


 伏せた顔が上がると、泣き腫らした和斗と目が合う。

 それだけで、怜二も泣き出してしまいそうだった。


「助けに来たんです」

「でも、出られないんだ、ここから」

「大丈夫」


 怜二は和斗の手を握った。

 お互い、温もりを感じることはない。

 冷たい手と手が、しっかりと繋がれた。


『あァ、予想はしていたがやはり来たか。アタシの邪魔をしないでおくれ』


 立ち上がった怜二たちの前に、水に濡れた黒く長い髪を顔に貼り付けた女性が現れた。

 本堂の裏からズルリズルリと引きずる下半身は、鱗に覆われた蛇だった。

 薄く開いた真っ赤な唇から覗く鋭い牙を、二股の舌がチロチロと舐める。


「あなたが池の神様ですか」

水神みずがみと言ってくれないかい。池に閉じ込めたのはお前らさ』

「水神様」

『うん、いいねェ』

「彼は、返してもらいます」

『嫌だね。アレがお前を使って楽しんでいるを見て羨ましくなったんだ。アタシだって退屈なんだよ』


 牛を丸呑みしても外側からは分からないのではないかと思えるくらいに太い蛇の胴体が、とぐろを巻いて怜二たちを囲い込んでいく。

 瞳孔の開ききった黄金の瞳が、二人を睨めつける。


「あの人は、ぼくとの約束を果たしてくれた。だからその代わりに、ぼくをあげたんです。貴方は何の対価もなしに彼を引き入れた」

『へェ、アレも存外律儀なんだなァ。じゃあ、和斗、アタシと何か約束しろよ。そしたらその約束が果たされた時、お前をもらう』

「なっ……ぼくは、そんな無理やり約束を結ばされたんじゃ「いいぜ」

「和斗くん!」


 怜二を見て笑った和斗は、大丈夫だと言うように手をきゅっと一度握り、一歩前に出た。


「約束っていうか、おれからのお願いでいいんだよな」

『ん〜、まァ、いいよ。無茶な願いでなければ聞いてやる』

「おれが、人間以外に殺されないようにしてくれ」

『アッハハハハハ! お前、アタシを舐めてンのかい?』


 和斗の手は、震えていた。

 怜二は、震えるほど怖いのに、どうして和斗がそんな約束を求めたのか分からなかった。


「水神様が、人間を操っておれを殺したっていいんだ、ただ、おれが誰にも見つからない場所で死ななければ、それで」

『ふゥん……お前を殺した人間がお前を誰にも見つからないところに隠すのはいいのかい?』

「骨でもなんでも残ればいい。……じゃあそれも付けてくれよ、死体が見つかるようにしてほしい」

『贅沢なヤツ。まァ、ひっさしぶりに笑わせてもらったから認めてやるよ。お前が死んだらアタシのもんだ。忘れるなよ』

「迎えに来てくれるんだろ」

『あァ! なんて口の減らないガキだろう!』


 水神の身体が怜二たちの周囲から離れていく。

 霧が更に濃くなり、ほとんど目の前も見えないくらいになった。

 ふわりと身体が浮くような感覚に包まれ、次に見えてきたのは康平の住むマンションだった。


「和斗は!?」


 私は怜二の声を聞いて目を開き、数回瞬きをした。

 和斗が家にいることを確認してから告げる。


『家に帰った。いやー、お前が一番面白いと思っていたが、あれもなかなか見所があるではないか。今のうちに康平も抱え込んでおくかの』

「だめ!」


 他の得体の知れぬやつに捉われるより、私の元にあった方がマシだと思うが。

 和斗があんな目にあったのだから、康平にも同じことが起きてもおかしくはないというのに、目の前の怜二はそのことに気付いていないように振る舞う。


 選択の誤りは、後悔という形でしか理解できない。

 もう、時は流れている。

 一度成したものは、善かれ悪しかれ、なかったことにはできないのだ。



 

 

 

 

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