第9話 廃寺にて [神隠し]

 和斗がその場所のことを知ったのは、昨日の放課後のこと。

 担任にゴミ捨てを頼まれて断りきれず、ゴミ袋を持って渡り廊下を歩いている時だった。

 向こうから歩いてくる女子二人組。

 隣のクラスの真山まやま美希みきと、確か近藤こんどう……名前は思い出せなかった。

 特別親しいわけでもないため、そのまま通り過ぎようとしたのだが、向こうから声をかけてきた。


「袴田ぁ、アンタ心霊スポットとか行ってんでしょ?」


 薄い黄色のシュシュでポニーテールにした、勝気な顔の真山は、口を開いても強い。


「ときどきな」

「あたしたち、今度行ってみようかって言ってる場所があんだけど、キョーミあるならついてきてもいいよ」

「どこだよ」

「カヤバ団地の先にある廃寺」


 和斗は記憶の中の地図に、その情報がないことを確認した。

 初めて聞く場所だ、もちろん興味はある。


「友達も一緒に行っていいか?」

「ダメ、アンタだけ」

「なんで」

「ジュリがそう言うから」


 真山の服の裾を掴んで後ろから和斗を伺っていた黒髪ロングストレートの近藤が、ピクリと反応した。

 ジュリ。そう、近藤樹里じゅりというのだったか。

 近藤は和斗の視線を受け、小さく頷いた。

 近藤とは同じクラスになったことはなく、一度だけ、和斗がかっ飛ばしたサッカーボールを当ててしまって平謝りした程度の関係である。

 それなのにどうして。

 怪訝そうな顔をしてしまっていたのだろう、真山はふんと鼻を鳴らして言った。


「別に絶対アンタと行かなきゃいけないわけじゃないし、いいのよ、来なくても」

「行く、行くよ。おれ一人で行くから」

「オッケー。次の土曜日でいい? お昼ご飯食べてから団地の前の郵便局で待ち合わせね」

「分かった」

「アンタ携帯持ってないんだっけ」

「持ってねー」

「ざんねーん。じゃ、またね」


 結局近藤は一言も発せずに行ってしまった。

 和斗はなんだか収まりの悪い気持ちを抱えながら、ゴミ捨て場に向かったのだった。



 土曜日、和斗は昼ご飯もそこそこに待ち合わせ場所に来ていた。

 緑のボディバッグにはペットボトルの水と懐中電灯、軍手が入っている。

 今日は康平がいないからと、懐中電灯を引っ張り出してきたのだった。

 廃寺というくらいだから、この時間なら暗いところはそんなにないかもしれないが、念のためだ。


 少しして二人がやってきた。

 セーラー服から私服に着替えていて、印象がいつもと違う。

 真山は黒いパーカーにデニムのショートパンツとスニーカー、近藤はフリルの付いたブラウスにチェックの半ズボンとパンプス。

 二人ともズボンを履いてくるあたり、それなりに気合いが入っているのだろうと思われた。


「お待たせ」

「そんな待ってない」

「ほんじゃ、しゅっぱーつ」


 ゴーゴーと片手を高く上げて歩き出す真山に、大人しくついていく。

 団地から十分ほど歩いた住宅街の中、その石段は唐突に現れた。

 一軒家と一軒家の間、長い石段が伸びている。


「何段あるんだこれ……」

「そーゆーことは考えないほうがいいらしいよ」


 三人は石段を上っていく。

 一段一段はそれほど高くないが、その分小刻みに足を動かさねばならず、途中から和斗は二段抜かしで上がるようになった。

 息が上がってきた頃、ようやくゴールが見える。

 朽ちた門の両サイドにはコケにまみれた仁王像。

 その奥にある瓦屋根の本堂は、元々はかなりの装飾が施されていたに違いない。

 今は見る影もなく、いまにも崩れてしまいそうだ。


「ここ、何があるんだ?」

「お坊さんの幽霊が出るらしい。なんか昔、集団自殺があったらしいよ」

「へぇ……」


 本堂はこぢんまりとしている。

 屋根に穴が空いているのか、ところどころから陽が差し込んでいた。

 閉じられた障子は見る影もなく、中が完全に見えてしまう。

 本堂の奥には仏像があったのだろうが、もう撤去されてしまったのか、ただ空間が広がっているだけだった。


「なぁ、夜じゃなくても幽霊でんのか?」

「ねーちゃんの友達は、学校サボった時に見たらしいよ。真っ昼間だったって。本堂の中で座禅みたいなのしてたらしいんだけどなー、なんもいないね」


 二人で本堂の中を見回すが、影も形もない。

 他に何か面白いものはないかと振り返ると、近藤が手水場の方へ歩いていた。

 植物の侵食から逃れられなかった手水場は、もう水も枯れている。

 干からびたツルと葉っぱが、風に揺られてカサカサと音を立てた。


「袴田和斗くん」

「え?」


 突然近藤に名前を呼ばれて立ち止まる。

 なぜフルネームで呼んだのだろう。それに近藤ってこんな声だったか、と思っていると、近藤の身体が透けてみえた。


「は?」


 瞬きの間に、近藤の姿はかき消えてしまった。

 慌てて手水場に駆け寄るが、やはり近藤はいない。

 どういうことだか分からずに本堂の方へ視線を移せば、そこにいたはずの真山の姿もなかった。


 どうして。


 和斗は二人の名前を叫びながら本堂の周りを一周した。

 返事はなく、誰の姿もない。

 寺の敷地内は不自然なほどに静まり返っていて、いつの間にか太陽は雲の影に隠れてしまったらしい。

 薄暗い境内には、次第に霧が立ち込めてくる。

 

 二人がどこに行ってしまったのかは分からないが、とにかく一回ここから出ようと思い、和斗は石段を降りた。

 しかし、何段降りても地上が見えてこない。

 さっきはこんなに長く階段を降りることなどなかったのにと後ろを振り返り、和斗は絶望した。

 門が、目の前にあった。


 あれだけ階段を下ったのに、どうして。


 和斗は、嫌な可能性に気付いてしまった。

 真山と近藤が消えてしまったのではなく、自分が消えてしまったのではないかと。


 どうしたらいいんだ。


 どんどん霧が濃くなっていく中、和斗は立ち尽くした。

 その頬を、涙が伝った。



「あれ? 袴田どこ行った?」


 本堂の中を隅々まで見回した美希は、振り返った視界の中に袴田がいないことに気付いた。

 手水場のところにいた樹里に声をかけても、分からないと首を振る。

 何も言わずにどこかに行ってしまうような人間ではなかったと思ったが、何か見付けでもしたのだろうか。


 美希は樹里と共に本堂を一周してみることにした。

 本堂の裏手は静まり返っていて、覆い茂った木の枝で薄暗い。

 湿気が多く、少し肌寒いそこを通り過ぎ、袴田の名前を大声で叫ぶが返事はなかった。

 裏手は元々石の壁があったようだが、それはもう跡形もない。

 少しだけ、地面に真っ直ぐ壁の名残があるくらいだった。

 木々が視界を遮り、先がどうなっているのかも分からない。

 誰の足跡があるわけでもなく、木々をかき分けた形跡もない。

 袴田がその奥に行ってしまった可能性はゼロに近いだろう。


 境内まで戻って、もう一度袴田の名前を叫ぶが、やはり返事はなかった。


「先に一人で帰ったのか? アイツ」

「分かんない……でも、階段降りてく人なんていなかったと思う……」

「……なぁ、アイツ、消えたってこと、ないよね……神隠しとか……」

「……そういう噂、あるんだっけ」

「いや、聞いたことないけど……それにここ、神社じゃなくてお寺だし……」

「も、もし……袴田くん、消えちゃったんだったら……わたし……わたしが、お願いしなかったら……」

「ジュリ! そんなことない。アイツに声かけたのはあたしだし、ここに来るって決めたのはアイツだ」


 美希は震える樹里の肩を両手で掴み、言い聞かせた。

 涙の滲む瞳で美希を見つめた樹里は、視線を彷徨わせて言い淀み、唇を噛み締めてから言葉を発した。


「でも……わ、わたし、どうして袴田くんに一緒に行ってほしいって思ったのか、わ、分かんない」

「え?」

「だって、わたし、袴田くんとは、あの、サッカーボールぶつけられちゃった時に謝られたくらいで、ちゃんとしゃべったことないし、同じクラスでもないし……」

「ま、待って、ジュリ、袴田のこと好きなんじゃないの?」


 この廃寺の話をしたとき、珍しく樹里から男子の名前が出たため、美希はそれが樹里の想い人なのだと思い込んでいたのだ。


「ううん……みきちゃんからここの話聞いた時、なんか、頭がぼうっとして……それから……なんか、自分が自分じゃないみたいで……ど、どうしちゃったんだろ、わたし」


 樹里の目からは涙が溢れ出ていた。

 言葉より先に嗚咽がこぼれ、いよいよ本格的に泣き出してしまった樹里を抱きしめ、背中をさすってやる。


 樹里に、袴田に、何があったというのだ。


 ぞわりと背中を走った悪寒に身を震わせ、美希は本堂を見た。

 仏様のいなくなった廃寺は、何も、答えてはくれなかった。

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