第6話 森の中 [どんぐり]

 その日は朝からみんなで少し離れたところにある森へ来ていた。

 康平の父が車を出してくれて、キャンプ場も併設されているところでバーベキューをすることになったのだ。

 康平の母と和斗の母が食材の準備をする中、康平の父が火の準備をしている。


 康平たちは準備ができるまで遊んで来いと言われ、森の中に足を踏み入れた。

 てっきり手伝いをさせられると思っていたから、三人とも少し拍子抜けしていた。

 だが、遊んでいていいと親が言うのなら遊ばなければ損だ。

 せっかく自分たちの足では来られない場所まで来たのだから、探検しなくては。


 さすがにこれほど自分たちの家から離れている場所については調べていなかったから、この辺りに心霊スポットがあるのかは分からない。

 それなりに賑わうキャンプ場であるらしいし、こんなところに心霊スポットはないかと思われた。

 森に入る前に他のキャンプやバーベキューをしに来た人たちのいるところを一通り歩いてきたけれど、みんなただただ楽しそうに会話しているばかりだった。


 森の中にも、木の枝を拾いに来ている人たちがそれなりにいて、康平たちは人のいない場所まで行こうとどんどん森の奥に入っていった。

 あまり森の深くまで入らないように言われていたが、危険な場所には立ち入り禁止のテープやロープが張ってあると聞いていたので、それが見えないなら大丈夫だろうと歩き続けたのだった。


 しばらく歩くと、少し開けたところに出た。

 中央に大きな切り株があって、康平たちは休憩することにする。

 ちょうどいい高さだったので切り株に腰掛け、肩から下げていた水筒で水を飲んだ。

 冷たい水が喉を潤す。

 はぁと息を吐くと、少し違和感を覚えた。


「ねぇ、なんか今、変な感じしなかった?」

「し、しました」

「あー、なんか、ふわっていうか、ぐにゃっていうか、そんな感じ?」

「そう!」

「でも、目に見える変化はないな」

「ですねぇ」


 三人はどうにも居心地が悪くなり、何の成果もない状態だったが戻ることにした。

 通ってきた道を歩き出した三人だったが、しばらく歩いて康平が気付いた。


「もしかして……同じところグルグル回ってる……?」

「マジ?」


 康平は着ていたパーカーのフードに付いていた紐を抜き、近くの木の枝に結びつけた。

 もう一度歩き始めた三人は、またしばらく歩き、さっき結んだ紐の元へと戻ってきてしまうのだった。


「ど、どうして……」

「ぼくたち、何もしてないのに」

「切り株に座ったからか?」

「それだけで?」

「分かんねーけど」


 一体何がこの状況を生んでいるのか、康平たちには分からなかった。

 森が惑わせているのか、それとも森に棲む何かが惑わせているのか、そういったことさえも分からなかった。

 ただ分かるのは、このまま歩き続けても同じところを巡るばかりで、親たちの待つ場所には辿り着かないということ。


「どうしましょう……」

「お母さんたちが、ぼくらを探しにきてくれたりとかはしないかなぁ……」

「探しにきた母さんたちと会えるかは分かんないだろ。もしかしたらお互いに見えないかもしれないし」

「切り株に謝る?」

「んー……とりあえず謝ってみるか。他に思い当たるようなことないもんな」


 三人は切り株の元へ戻ってみることにした。

 今度は同じところを回ることもなく、真っ直ぐに切り株へと帰ってくることができた。

 それぞれが切り株の周りに立ち、目を閉じて謝った。


「勝手に座ってしまってごめんなさい」


 謝罪の言葉を口にしても、さきほどのような奇妙な変化は訪れなかった。

 何も起きなかった。

 これで本当に森から出ることができるのか、不安になりながらも三人はまた来た道を戻ることにした。


「あれ? こんなところにどんぐりなんて落ちてたっけ」

「? 何も落ちていなかったと思いますけど……」

「あんま地面見てなかったなー」


 踏めばザクザクと音のするくらいに乾いた落ち葉の中に、どんぐりが一つ、落ちている。

 黄色や茶色の背景の中にほとんど溶け込んでいるのに、康平たちはどんぐりを一目で見付けることができた。

 少し先の方に視線を向けると、そこにもまたどんぐりが一つ。


「みちしるべ、かな」

「かも」


 康平たちは足元に点々と落ちているどんぐりを辿りながら先に進んだ。

 和斗がどんぐりを拾おうとしたが、森の中のものを勝手に持って帰ろうとしたなどと、また怒りを買っては大変だということになり、触らないことにしたのだった。


 賢明な判断だ。

 私が言うのもなんだが、この手の相手はとても理不尽で、こちらの思う通りの行動など取ってくれはしない。

 何が逆鱗に触れるかなど分かりはしないのだ。

 同じ場所をぐるぐると回らされていたのが、切り株に謝っただけで解除されたのも、非常に幸運であったと言えるだろう。

 余計なことはしない方がいい。

 可能な限り何もせず、森を出た方がいいのだ。


 その時、進行方向から誰かが歩いてくる気配がした。

 親たちが探しに来たのかと思ったが、そうではないようだ。

 向こうからやってきたのは四人の男女だった。

 一人の男はタバコを吸い、もう一人はスマホで辺りを動画撮影しているらしい。

 女二人はきつい香水の匂いを撒き散らしながら、互いの男の腕にしなだれかかっている。


 康平たちは、警告しようとした。

 このまま進めば切り株の元に行ってしまうだろうと思ったし、そうすれば自分たちと同じように切り株に腰掛けて休憩するのではないかと思えたからだ。

 しかし、彼らの目に康平たちは映っていなかった。

 康平たちからはハッキリ見えるし、匂いも感じるのに、向こうは全くこちらに気付かない。


 切り株には触れない方がいいと言った康平の声は彼らには届かなかったに違いない。

 すれ違った彼らは、森の奥へと入って行った。


 どんぐりの道標はまだ続いていた。

 時々、木の上に何かの影が見える。

 きっとリスだろうという話に落ち着いたのは、何か得体の知れないものが木の上にいるわけではないと自分たちに言い聞かせるためだったかもしれない。


 何かに見られているような居心地の悪さを感じながら、康平たちは森を歩いた。

 人の姿が見えるより先に、肉の焼けるいい匂いがした。

 康平たちは自然と駆け出し、バーベキュー場に勢いよく戻ったのだった。


「あら、ちょうどいいタイミング」

「肉も野菜も焼け始めたし、カレーもあるわよ〜」


 母たちの言葉に、康平たちは崩れ落ちた。

 何事かと驚く親にさっきまでのことを話すと、大変だったねとコーラの缶が手渡された。

 あまり信じていなさそうな反応に少し不満に思ったが、変に心配されて美味しいご飯が食べられなくなっても悲しい。

 康平たちは無事だったことを喜び、気持ちを切り替えてバーベキューを楽しむことにしたのだった。


 どんどんと焼けていく肉を、紙皿に取って食べる。

 苦手な野菜も母が皿に乗せてくるので、康平たちはそれぞれ交換したり我慢して食べたりした。

 康平は湯気の立つ肉をタレに絡め、こっそり森の入り口の方へ投げた。

 肉は、地面に落下する前にどこかに消えた。


 バーベキューの後片付けをした後、誰でも楽しんでいいらしい大きなキャンプファイヤーの元へ行った。

 拾って削った木の枝の先に大きいマシュマロを刺し、夜空を照らす炎にかざして焼いた。

 甘い匂いが漂い、とろけたマシュマロはとても美味しかった。

 康平を見つめる視線を感じ、帰りしなに半分くらい残したマシュマロを枝ごと森に投げた。


 それから車で家まで帰る。

 日帰りであったが、結果的には楽しい一日だった。

 帰れなくなるかと思われたが、帰れたのだからそれでいい。


 ここ最近幽霊こそ見えないものの、普通では有り得ない出来事に遭遇しっぱなしなのだ。

 どうやらいつの間にか、それなりに精神力が鍛えられていたらしい。

 日常に戻る速さが格段に上がっている。


 ああ、いいぞ。

 普通の子供では面白くない。

 怖がりながらも、図太く生き延びて普通に戻ろうとする子供でなくては。


 数日後、件のキャンプ場での目撃情報を最後に行方不明になった男女四名のニュースが新聞に載った。

 康平たちは新聞を読まなかったし、両親たちは彼らを不安がらせまいと何も言わなかったが、その行方不明者はあの日、森ですれ違った四人だった。


 彼らは既に死んでいるが、魂は森の中を未だに彷徨い歩いている。

 森の中にある遺体は異なる次元に取り込まれているため、警察犬にも見つけ出すことはできないだろう。


 すぐ鼻の先に、遺体があったとしても。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る