第2話 廃病院の怪 [屋上]

「次は廃病院に行こうぜ」


 幽霊屋敷での恐怖体験から一週間も経たず、和斗は言った。

 あんな怖い思いをするのはもうこりごりだと言ってはいなかっただろうか。

 怜二が少し呆れたように和斗を見たが、そんな視線には気付かず、机の上に地図を広げた。


 三人とも携帯電話は持っていない。

 クラスメイトには自分の携帯を持っている者ももちろんいる。

 登下校の安全のためという理由で持ち込みを許可されているにも関わらず、授業中に先生に見つからないよう取り出しては自慢げに未所持者へと見せつけているのが鬱陶しい。

 康平たちは何度か親にねだったこともあったが、どの親も決まって『まだ早い』といい、結局誰も持っていないままだった。

 代わりにといって渡された防犯ブザーが、康平のカバンにぶら下がっているだけである。

 だから地図アプリにメモをするだとか、そんなハイテクなことはできない。

 紙の地図に書き込んでいくしかないのだ。


 広げられた地図にはいくつも付箋が貼ってあり、そこには『心霊写真』や『女の声がする』などといった文字が書かれていた。

 幽霊屋敷と書いた付箋が貼ってあった場所には、今は赤いバツ印が付いている。


 帰りのホームルームが終わって部活に行ったり帰宅したりするクラスメイトたちの中、机に地図を広げ出した彼らを見る目は色々だ。

 気味悪がる子たち(主に女子)は遠巻きに見はするが表立って何か言ってくることはない。

 面白がって噂を提供してくれる子もいる。

 一緒に心霊スポットに行こうと言ってくる子はいなかったが、噂を自分たちで確かめてから康平たちに言いたい子たちは何人かいた。

 そういう子たちはたいてい自分たちの武勇伝込みで話をしにくるから、和斗がどんどん不機嫌になるのを宥めなければならなかった。


 和斗の言い出した廃病院というのは、看護師の幽霊やら死んだ患者の幽霊やらの目撃情報が多い場所だった。

 幽霊屋敷の目撃情報は昼や夕方にも見られたが、この廃病院の目撃情報は夜ばかり。

 康平はそのことに震えた。


「夜に、行くってことだよね? お母さんとかに何て言うの?」

「親が寝てからこっそり家出るんだよ!」

「バレたらどうするんですか……?」

「バレたらどうしよう……」

「うじうじうるせぇな! 別におれだけでも行くし、無理に来なくたっていいぜ」


 和斗はふん、と顔を横に向けたが、それが強がりだということは分かっている。

 二人は頷いて、夜の集合を約束した。



 夕食を食べたあと、何だか疲れたと言っていつもよりかなり早く布団に入った康平は、日付が変わる頃に目を覚ました。

 目覚ましをかけると、その時間より少し早く目が覚めてしまうなんて、役に立たない特技だと思っていたがそんなことはなかったらしい。

 準備しておいたリュックを背負い、音を立てないように部屋のドアを開ける。


 夜の町は静まり返っていて、ごくりと唾を飲み込む音まで聞こえる。

 待ち合わせ場所には既に和斗と怜二がいた。

 手を振って合流すると、病院の方を見る。

 取り壊しの最中に事故があり、中途半端な状態で放置されているらしい病院は、かなり大きい。

 周りを囲んでいた壁はほとんど撤去されていて、門もない。

 正面入り口はガラスが割られ、周囲の壁は落書きだらけだ。


 康平は軍手をはめた手で懐中電灯のスイッチを入れた。

 丸く照らされた床はところどころタイルが剥がれ、ガラスの破片が散らばっている。

 入り口から入ってすぐ目の前には受付があり、もちろん誰もいない。

 誰もいないはずなのだが、誰かがいるような気配がする。


「誰も、いねえよな」

「いない……と、思う……」


 もちろんそれは二人の視界の話であって、私には血塗れの女が一人、訪問者へ名前を聞いているのが見えている。

 怜二にも見えているはずだが、二人にそのことを伝えるつもりはないようだった。


 一番先頭を歩くのは和斗。

 和斗の左腕にしがみつき、ひょこっと顔を覗かせながら前方を照らす康平、その後ろに怜二が続く。

 診察室の扉は開いていたり閉まっていたり、閉まっている扉の中にはどこか歪んでしまったのかどうやっても開かないものもあった。

 

 ここが閉まってしまった理由ははっきりしない。

 誰に聞いても理由が違うからだ。

 院長の横領、医療事故の頻発、いつまでも続く治療に狂った患者が何人も殺害した、いや殺害したのは看護師だ、いや医者だなどと、どれが事実なのか分からない噂ばかりが耳に入る。

 当時の病院関係者は全員死亡するか行方不明になっているといった話もあるが、それすらも本当のことか分からない。


 注射器がテーブルや床に無造作に転がっているなど、普通なら有り得ないだろうが、この病院では似たような光景がいたるところに広がっていた。

 元からこのような有様だったのか、以前にここに訪れた者たちが散らかしたのか、真相はもはや誰にも分からない。


 和斗も康平も幽霊を見ないまま、診察室の並ぶエリアの探索は終わった。

 白衣姿や看護師姿の幽霊はいたるところで思い思いの行動を取っているのだが、二人には感じ取れもしなかったようだ。

 彼らは受付の幽霊と違い、訪問者に対して何かしようという気持ちが薄いのだ。

 ただ生前の挙動を無意識に繰り返しているだけの、ほとんど抜け殻に近いものだった。

 だからよほど波長の合う者にしか見えないし、普通の人には気配すら感じられない。

 和斗と康平の体が薄く透ける彼らを貫通して素通りする中、怜二だけは器用に避けて歩いていた。


 私はその後ろを漂うようについていくだけ。

 還りたい気持ちのある者が寄ってきた時にだけ対応してやるようにしていた。


 入院患者の病室が並ぶ棟に入った三人は、点滴のぶら下がったスタンドを転がしながら歩く幽霊に迎え入れられた。

 和斗はそのすぐ近くを通り、少しひんやりとしたのか一度体を震わせた。

 何だったのだろうと振り返るが、その目には何も映らない。

 その瞬間、ナースステーションから、無機質なコール音が響き渡り、三人は飛び上がった。


「わあああああ!?」

「うわああああ!?」

「ひゃああああ!?」


 203号室のナースコールが押されたのだと、赤く点滅する光が知らせていた。

 三人は階段を上がり、203号室へ向かってみることにする。

 階段にはゴキブリやネズミのフンらしきものが大量に散らばっていて、全員顔を顰めた。

 無理だと分かりつつもなるべく踏まないように上り、203号室の前へ。

 扉は開いていて、中に四つのベッドが並んでいるらしいことが分かる。

 右奥のベッドだけがなぜかカーテンがきっちり閉められていて、入り口から見えなかった。

 他の三つのベッドの上には布団も何もなく、誰かが寝ているなどということももちろんなかった。


「この、奥かな」

「お前カーテン開けろよ」

「ぜっっっっっったいやだ!」


 下唇を尖らせた和斗が、少し汗ばんだ手でカーテンを掴む。

 ふうぅと息を吐いて、一気に開け放った。


 ベッドには、誰もいなかった。


「なんだよ……誰もいねーじゃん……」


 突然、ベッドサイドに転がっていたブラウン管テレビが点いた。

 ザリザリと砂嵐が画面いっぱいに移り、白と黒が不規則に波打った。


「ひっ……!」


 怜二が、声を上げた。

 テレビの向こう側から、骨と皮だけの青白い腕が徐々に伸びてくる。

 頭皮から数本生えた黒い髪は長いが、量があまりにも少ないから顔も覆えない。

 数本しかない歯が覗く口を歪め、ニタリと笑った。


「康平、鳥肌やべーんだけど」

「ぼ、ぼくも……なんか、気持ち悪い……」

「に、逃げないと……!」


 怜二の目が私を向く。

 涙が滲んできたその瞳に気分を良くした私は、テレビに指を向けた。


「ニゲロ」


 テレビから聞こえたその言葉に、康平と和斗が反応するのは早かった。

 脂汗の吹き出した体は、命の危機を感じ取っていた。

 病室から飛び出し、走る。


「に、逃げるってどこに!」

「知るかよ! とりあえず出口……え?」


 さっき上ってきたばかりの階段が、ガレキに埋まっていた。

 どう考えても今埋まってしまったとは思えないガレキの山に、呆然とする。

 背後から嫌な気配が迫っていて、三人は慌てて階段を上った。


 三階も、四階も、シャッターが降りていて棟内には進めなかった。

 とうとう屋上の入り口の扉の前まで来てしまい、行き止まりに絶望する。

 けれど目の前の扉に鍵はかかっておらず、三人は屋上まで出た。

 コンクリートのただっぴろい屋上には、何もなかった。

 遮蔽物もなにもなく、意味があるか分からないながらも三人は扉の影に身を潜めた。


 身を寄せ合って震える三人の耳に、カン、カン、と階段を上ってくる足音が聞こえる。

 すぐそばまで足音がやってきて、息ができないくらいに体が固まった。


 その瞬間、女の金切り声が周囲の空気を切り裂いた。

 悲壮に満ちたその叫びは、三人の横を通り過ぎ、一直線に屋上の柵を飛び越える。

 そのまま下に落ちていった叫びは、何かが潰れるような嫌な音とともに消えた。


 病室から追いかけてきていた気配は、もうしなかった。

 二人は訳が分からない様子で放心していたが、怜二には見えていた。

 追いかけてきていた男と共に、パジャマ姿の女が屋上から飛び降りたのを。

 男は抵抗していたが、道づれにされ、落ちていった。


『運がよかったようじゃな』


 知っていたくせに、と怜二が呟いたのが、私の耳に届いた。

 返事の代わりに、にこりと、微笑んだ。

 




 

 

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