<幕間> ある日の四人(4) ユウと、アンバランサーの幻

 ユウは、どこに行くというあてもなく、ぶらぶらと街を歩いていたのだ。

 今日は、「雷の女帝のしもべ」は自由行動の日となっている。

 だから、ライラも、ジーナもいない。


 ユウは、ひとりだった。


 王都の雑踏の中を、ユウはのんびりと歩いて行った。

 たくさんの人々とすれ違う。


 ヒト族、エルフ族、獣人、ドワーフ族、竜人、巨人族、などなど。種族もさまざまだ。


 一人のものもいれば、恋人なのか友人なのか、手を繋いで歩く二人。数人が集団で、何ごとか大声で笑いあいながら歩く若者たち。小さな子どもを間にして歩く、夫婦もの。ゆっくり散策する老人。走っていく子どもの集団。

 仕事中のものもいる。汗だくになって、大きな荷物を運んでいる。

 道端で、店をひろげ、客を呼び込んでいる旅の商人もいる。

 列をつくって行進する騎士もいる。

 大きな剣を背負い、かたをそびやかして歩く剣士もいる。

 杖を手にした魔法使いもいる。

 静かに歩く神官もいる。

 農民もいる。職人もいる。

 どうも得体の知れないものもいる。


 大人もいれば、子どももいる(もっとも、子どもの見かけをしたものが、本当に子どもかどうか、それはわからない)。老人もいる。少女もいる。


 男もいれば、女もいる。両性具有もいる。性別のないものもいる。


 この世のものが多いが、この世のものならぬものも、確かに混ざっている。

 それらのさまざまなものたちが、思いのままに、この町を闊歩している。


 ユウは、それが好きだ。

 この、多様な世界が好きだ。


 そうしたさまざまなものたちの中を、ユウも、その中の一人として歩いていった。

 スフィンクスがいったように、これが大海の中の一粒ということなのだろう。


 「おや、あれは?」


 すっと、視界の縁をよぎったその人物に、ユウは驚いた。

 その人物は、黒いコートを羽織り、そして頭には黒い山高帽をかぶっていた。

 やや猫背気味で、うつむいて歩いていく。

 その姿に、この世界にとって異質の雰囲気を、ユウは感じたのだ。

 その服装は、この世界のものでない。ユウの馴染みのある世界に属するものであった。

 その人物は、雑踏の中を歩いていく。

 だが――

 ユウは気がついた。

 誰も彼を見ていない。

 誰も彼に気づかない。

 そして、歩いていく彼と、向こうからやってきた、真ん中に子どもを挟んだ夫婦づれがすれ違う時。

 どちらも避けず、そして、その黒衣の人物は、真ん中の子どもと重なり、すり抜けて歩き去った。

 子どもも、夫婦も気づかない。笑いながら、歩きすぎる。


 「あれは、幻。過去の残像だ……」


 ユウは気がつく。

 その人は、今、ここにあるものではない。

 かつて、それはどのくらい前かわからないが、この地を歩いていった、その人物の残像を、自分は見ているのだ、と。

 そして、それができるのは、自分がアンバランサーであるから。

 あのコートの人物もまた、アンバランサーに違いない。

 過去に、この世界を訪れたアンバランサーの残像を、今、ぼくは見ているんだ……。


 あの人は、どこに行くんだろう?


 そしてユウは、彼の後をついて歩く。

 見失わないように、注意しながら。

 コートの人の歩き振りは、特に目的のある人のそれではなく、気の向くまま、ぶらぶらと散策している様子である。さっきまでの、ユウのように。

 ときおり、たちどまって、じっと何かを眺めている。

 ユウには、おそらく、その視線の先にはかつて、露店がでていたのではないかという気がした。まるで、ぼくが、シンドゥーの町でそうだったように、目に入るものがものめずらしく、目を輝かせながら、この世界を歩いていたのだ。

 そんなふうに、町を散歩していたコートの人は、やがて、城門を通り抜け、町の外に出て行く。

 ユウも、そのまま、後をついていった。


 わかっている。

 あれは、過去の幻だから、話しかけても返事はない。

 ぼくと、彼の間に、疎通はできない。


 それでも、ユウは、コートの人と話がしてみたかった。彼がどんな人で、何を感じ、どんなことを考えながら、この世界で生きたのかを、知りたかった。

 その間も、コートの人は、ぶらぶらと歩いていく。

 草原を歩く。

 彼が歩いて行っても、草は少しも揺れない。

 ふと、空を見上げる。

 そのとき、そこには、おそらく、鳥が飛んでいたのだろう。

 そして、また歩き出す。

 どこまであるいたのだろうか。

 日はいつの間にか傾いている。

 草原はとぎれ、荒れ野に出た。

 荒れ野には、大きな岩がいくつも散在していた。

 コートの人は、その岩の一つまで歩いて行くと、岩に背中をもたれかけて、こちらをふりかえる。


 ようやく、顔がみえた。

 温和そうな、しかし、孤独を感じるその顔。

 視線がユウに。

 しかし、その人にユウが見えるはずもない、その人の視線はユウを素通りして。

 ユウのその向こうに、何かをみていたのだろう。

 だが、ユウには、なぜかその人には、ユウがそこにいることをわかっているような気がした。

 その人が、やさしく笑った。


 そして、ふっと、その人は消えた。

 ユウは、その人が消えた場所まで歩いていった。

 その人と同じように、岩にもたれた。

 草原と、そのはるか向こうにみえる王都の城壁。

 くれかかる空を、鳥が飛んでいく。


 ああ、ぼくも、そろそろ、戻らないといけないな。

 そうおもって、最後に、その岩を見たユウは、まるで雷に打たれたように動きをとめた。


 その岩に。

 文字がきざんであったのだ。まぎれもなく、ユウの故郷、日本のことばで。

 その文字にはこうあった。


 「わたくしに続く、アンバランサーの君に。

  この世界は、美しい

  不合理や理不尽は数多あれども、

  この地には生きる価値あり

  わたくしはねがう、君の思いがわたくしと同一であることを。

  K.M」


 ユウは、その文字を長いことながめていた。

 これを書いた人の、人となりが伝わる、その筆跡。

 やがて、ユウは、顔を上げると、きびすをかえし、この地で出会った大切な人たちのもとに、戻っていったのだ。


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