その人は、アンバランサーを待つ運命について語る。

 禁呪をめぐるすべてのことが、それなりの結末をみて、ようやく、わたしたちは、わたしたちの家「ドムス・アクアリス」に帰ることができそうだ。

 弾丸列車に乗って。

 えっ、ルシア先生の転移魔法があるじゃないかって?

 使いませんでした。

 なぜなら、ルシア先生が「わたしも、その列車、いちどは乗ってみたいわ、ね、ユウ」と、ユウに頼んだから。

 それで、けっきょく、わたしたちはどうしたかというと、帰還したエルフ族と交代するように弾丸列車に乗って、まずシンドゥーの国に行き(「シンドゥーも、ぜひ行ってみたいわね、ユウ」とルシア先生。ルシア先生、すっかりわがままである)、そこでガネーシャ様・ヴリトラ様と会見した後、エルランディア・ステーションまで戻ることになったのだ。


 ちなみに、弾丸列車は、今後ユウの力を借りて整備を進め、この世界の主要な都を、以前のように結ぶことになるようだ。


 シンドゥーでは、ダミニさんをはじめ、会う人みんながルシア先生に声をかけるので、ルシア先生はたいへん恥ずかしがっていて、ほほえましかった。


 わたしたちは、神殿に行き、ガネーシャ様の結界に招かれた。

 今回は、テーブルには、椅子が六つ。

 つまり、


 「娘よ、なにか、君とは久しぶりという気がしないな」


 当然のように、蛇身のヴリトラ様が椅子に巻き付いていた。


 「それは当たり前です、ヴリトラ様、向こうでも四六時中、わたしに張り付いてたじゃないですか」

 「そういう物言いが好きなのだ。どうだい、麗しき雷の女帝よ、この娘をわたしのところに、預けてみないか」


 ルシア先生は、小首をかしげて、すこし考えて


 「そうですね……もう少し、修行をつんだら、そのあとはそういうのもありかな?」

 「えっ?! ルシア先生! それはないです、それは!

  わたしは先生の、それは確かに、不肖の、かもしれないけど、でも先生の一番弟子なんですよ!」

 「先生、本気ですか? それはないよ、いくら神様のお誘いでも、ライラと別れるなんて!!」


 といって、ジーナが涙ぐむ。


 ジーナ。あんたやっぱりいいやつだね……


 ルシア先生は、微笑んで、


 「わたしから学ぶことがなくなったら、そういう道もありかなってことよ、ライラ」

 「それなら、大丈夫です! 先生から学ぶことなんて、何十年かかっても、絶対になくなりませんから! わたし、自信があります!」

 「うーん、それはそれで、どうなのかなあ……」


 (しかし、世の中とは不思議なもので、この先、ずっとずっと先の未来で、わたしはヴリトラ様直伝の魔法を使う、『紅の蛇と蜘蛛の魔導師』として、勇名を馳せることなるのだが、それはまた別の話)


 「さて、ヴリトラの戯れはそのくらいにして……」


 とガネーシャ様。


 「べつに、戯れではないがな」

 「それくらいにして、だ。お前が口をはさむと、まったく話が進まないではないか」


 ガネーシャ様はいうが、別に怒っているようすはなく、やはりこの二人の神さまは仲がいいのだ、きっと。

 ガネーシャ様はユウに


 「アンバランサー、あらためて、礼を言おう。禁呪の件、あれは本当にこの世界の危機だった。君はこの世界を救った。世界の神々を代表して、感謝する」

 「だれもお前を代表には任命してないけどな」


 とヴリトラ様が軽口をたたく。

 ガネーシャ様は相手にせず


 「そして、アンバランサー、お主が、ここにこうしているということは、選択をすませた、ということだな?」

 「そうそう、その話!」


 ジーナが叫ぶ。


 「教えてください、ユウさん、あの話の続きを」

 「そうです、ユウさん、今なら話せるんですよね?」


 わたしも、ヴリトラ様がいった「」という言葉がずっと、重く心にひっかかっていたのだ。


 「そうだね……」


 ユウが、静かに言った。


 「この地にとどまると、アンバランサーであるぼくに何が起こるかということだけど……」


 わたしたちは、かたずをのんで、ユウの言葉を待った。


 「まず、アンバランサーには、自ら選ぶことのできる、いくつかの選択がある。

  ひとつは、使命をおえたら、元の世界にもどること。

  それから、新たな別の世界に、またアンバランサーとして赴くこと。

  最後が、そのまま、召命された世界にとどまることだ」

 「やっぱり、もとの世界にも戻れるんだ……」


 と、ジーナ。


 「戻れるんだそうだ。ぼくをこの世界に召命した存在、『司るもの』はそういった。しかしその場合、もともとの自分にはもどれず、まったく別の人間として生まれかわることになる」

 「そこまでしてでも、たとえ別の人間となったとしても、自分の世界ふるさとを望む人もいるのね……」


 ルシア先生がつぶやく。


 「あの世界樹の頂上で死にかけたとき、『司るもの』はぼくに、どれを選ぶか、聞いてきたよ。禁呪を祓ったことで、ぼくには、選択の権利が生じたと」

 「それで」

 「それで、ユウさんは、どう」


 わたしとジーナがせかした。


 「わたしの選択は、最初から決まっている……あのとき、あなたはそうおっしゃったわね」


 ルシア先生がいった。


 「そうです、ルシアさん。正にあのとき、ぼくは、『司るもの』に問いかけられていました。君はなにを選ぶかと。

  そして、それがぼくの答えだった。つまり……」


 ルシア先生が、確信を持った声で言った。


 「ユウ、あなたは、この世界を……わたしたちの世界を選んでくださったのね」


 ユウはうなずいた。


 「ぼくは、この世界にとどまることを選びました。ルシアさん、あなたがここにいるから。それに、ライラや、ジーナや、ここで知り合ったみんながいるから……」


 ルシア先生の目から、みるみる涙があふれた。


 「まあ、わたしもいるけどな」


 と茶々を入れるヴリトラ様。こんな場面でも、まったくその姿勢はぶれないからすごい。さすが神様だ。


 「この世界で生きて、死んでいったアンバランサーは、ぼくの前にもいるようだしね」

 「でも、ユウさんがこの世界を選んでくれたのはとてもうれしいんだけど、でもそのことで、ユウさんの身になにか、良くないことがおこるのでは?」


  わたしは聞いた。


 「それについては、わたしが話そう」


 とガネーシャ様が言った。


 「アンバランサーは本来、この世界にとっては異物だ。

  この世界の外から来て、この世界とは無関係であるがゆえに、そのからだは不可侵であり、この世界ではありえない超絶の力を発揮することができる。それは、わかるな?」


  わたしたちはうなずく。


 「だが、これはすべてのアンバランサーについて起こることなのだが、その世界で、彼が奮闘すればするほど、彼という存在は、その世界と結ばれていくのだ。アンバランサーと世界とのあいだに、関係ができ、わかちがたい因果やつながりが生じていく。その結果として……」

 「その結果として?」

 「アンバランサーと世界が接近し、ついには、お互いが異物ではなくなる時が来る」

 「さっぱり、わからないなあ」


 ジーナが言う。


 「わかりやすく言うと、その時、アンバランサーはアンバランサーでなくなるということだよ」

 「えっ! ユウさんがユウさんでなくなるということ?」

 「そうではない。ユウはユウのままだ」

 「?」


 「つまりね」


 と、ユウが続けた。


 「ぼくの持っている、アンバランサーとしての能力が、この世界に同化することで、消えてしまうということ。将来のどこかで、ぼくは、アンバランサーとして持っていた力をすべて失うだろう」

 「そうしたら、死んじゃうの?」


 ジーナが不安そうに聞いた。


 「いや、死にはしない。今みたいな力が使えなくなり、斬られたり毒をうけたりしたら傷つき、年を取り、ああそうか、ずっと歳をとったら、そこで人間としての寿命がくるかな」


 (そうか、命にかかわるとは、そういう意味だったのか……)


 わたしは納得した。


 でも、ヴリトラ様の、もってまわった言い方が悪いよ。


 『すまんな、あれが、あの時点で可能なぎりぎりの言い方だったのだ』


 とヴリトラ様が、頭の中で言った。


 「なーんだ、そんなことかあ……」


 とジーナが、ほっとした声で言った。


 「娘よ、お前は、これを、そんなことかと言うのかね?」


  ガネーシャ様が問い返した。


 「だって、そんなの普通じゃん。みんなそうでしょう。だれだって、傷つくし、病気にもなるし、歳とったら死ぬし、できないことだっていっぱいあるし……」

 「うん、たしかにそれはそうだねえ」


 とユウ。


 「ああ、良かった。あたし、ユウさんがどうかなっちゃうかと思って心配したよ!」


 さっぱりした顔のジーナ。

 わたしは、そんなジーナに感動した。

 このシンプルさ。

 人にはそれぞれその人なりの価値観があり、大切なものがあり、ゆずれないこともあるのだろう。いちど手にした力がなくなることが耐え難いという、そういうアンバランサーだっているのだろうし。

 しかし、このジーナの割り切り方はどうだ。


 ジーナ、あんた、すごいよ。


 「うん、すがすがしいね、この娘は」


 ヴリトラ様が言う。


 「でも、あいかわらず、考える君も、わたしは好きだぞ」

 「その、『ぐだぐだ』っていうのはやめてください! これは熟考というのです」


 わたしは言いかえした。


 「まあ、力がなくなるといっても、今日明日という話でなく、長い時間のうちに、徐々に消えていくということだから、当面はなにもかわらないのだけれど」


 と、ユウは、いつものように、あっさりと言った。

 でも、その選択は、本当はすごく、すごく重いのではないだろうか?

 自分の故郷に、もどれる機会を手放し。

 すべての超絶の力を失い。

 不可侵の身体ではなくなり。

 召命によって送りこまれた、自分にとってまったく異邦のこの地で、力を失くすことを受け入れて、ずっと生きていくということは。


 「ユウ……」


 目を潤ませたルシア先生が、ユウの手を取っていった。


 「この世界を選んでくれてありがとう。ここで、わたしと、いっしょに生きていきましょう」


 そして、ルシア先生はユウにキスをした!


 『おお!』


 ヴリトラ様が(私の頭の中で、こっそり)声を上げた。


 『これは、とてもいい場面だ、ライラ、また、世界のみんなに中継しなくていいだろうか?』


 わたしの頭の中にだけ響いたはずのその声を、なにかしら超常的な感覚で鋭くキャッチしたルシア先生が、横目でキッとヴリトラ様をにらみ、


 「、やめてくださいよ!!」


 厳しくたしなめたのだった。

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