その人が、ルシア先生のクリスを高く掲げる。

 「むぅ……、これは容易ならぬ事態だぞ」


 と、ガネーシャ様が言った。


 ルシア先生の事告げ鳥が砕け散り、わたしたちは、再度、先ほどのガネーシャ様の空間に戻っていた。


 「これを見なさい」


 ガネーシャ様の言葉とともに、わたしたちのいる場所の床が透明になり、壮大な風景を映し出した。


 「ひゃあ!」


 ジーナが叫ぶ。


 眼下に広がるのは、どこまでも続く、深い森。

 森の上に浮かぶ、白い雲。

 雲が森の上に、影を落とし、その影が流れていくのも見える。

 はるか向こうの地平線は、円く曲がっていた。

 それは、鳥よりもはるかに高く、雲よりもさらに高い位置から眺めた地上の様子だった。

 こんな景色、わたし、一度だって見たことないよ。


 「まるで、国際宇宙ステーションあいえすえすから見た映像みたいだな……」


 ユウが例によって、わけのわからないことをつぶやく。


 「これはまさに、神の視点だな」


 ガネーシャ様が、手にした杖で地上の一点を指差す。


 「そこだ」


 わたしたちの視線が、その場所に集まる。

 深い森の一角に、異変が生じていた。

 黒と灰色に彩られた、半球上のものが、森の中に見える。樹木の大きさと比べて考えると、あの半球の大きさは、おそらく数十キラメイグはありそうだ。

 それは、都が丸ごと入ってしまうほどの巨大さである。


 「拡大する」


 ガネーシャ様の声とともに、その半球が、視界の中で、ぐうっと大きくなっていく。

 視点が、高度を下げて、半球にどんどん接近していくようだ。

 近づいていくにつれ、その半球が、個体ではなく、なにか細かい粒子でできた、霧のようなものだということが分かる。

 霧は流動している。

 灰色の半球状の霧の上を、文字のような黒い模様が流れるように蠢いている。


 「あれは……」


 わたしは、これに似たものを見たことがある。

 それは、あの、ユウがわたしたちのところにやってきた孤児院の夜、ルシア先生の白い体にまとわりついていた邪悪な黒い呪文。

 それに似た、黒い、禍々しい蠢き。

 あれあ、あきらかに危険なものだ。

 そして


 「広がっている?」


 その灰色の半球の境界部が、じわじわ移動し、森の樹をのみこんでいるのが見えた。

 半球に触れた瞬間、樹々は、色を失い、灰色に石化して倒れ、崩れていく。

 そのさまは、まるで、さっき見たルシア先生の事告げ鳥が砕けるように。

 この半球は、おそろしいことに、周囲のすべてのものを飲み込み、石に変えながら広がっているのだ。


 「なにものかが禁呪を使ったな。エルフの里は、今や、完全にあの中に飲みこまれている」

 「そんな!」


 ジーナが声を上げた。


 「ルシア先生が、みんなを説得するって」

 「説得が上手くいかなかったか、それとも一部のはねかえりものが、先走ったか……」


 とヴリトラ様が言った。


 「いずれにせよ、あれが、再度の禁呪の結果だ。愚かというほかない……」

 「ルシア先生は? ルシア先生もあそこにいるんでしょう?!」


 ルシア先生が、禁呪にのみこまれ、石と化していく想像を、必死で振り払う。


 (そんなことないよね?)


 「あの球体の中心部が、エルフの里なのだ。本来なら、そこには、エルフの魔力の源である世界樹が、屹然と聳え立っているはずなのだが、それも見えない。おそらく、エルフの里はもう……」

 「そんな!」


 「待って」


 ユウが言った。


 「これを見て」


 腰につけたクリスを、手にして掲げた。

 ルシア先生から預けられた、あのクリスだ。

 ユウの手にある、その美しいクリスは、今、刀身が赤く明滅していた。


 「うむ……、それがまだ光を放っているということは」

 「可能性はある」

 「よし、もう少し探ってみよう」


 ガネーシャ様がいい、さらに視点を近づける。

 目前いっぱいに黒い渦が蠢き流れ、そのおどろおどろしい動きに吸い込まれそうだ。

 見つめているだけで、よくない呪いに取り込まれるような恐怖がある。


 「むう……だめだ、これ以上は見えぬな」

 「ガネーシャ、波長をかえてみろ」


 ヴリトラ様が言い


 「そうか、その手があるか」


 ガネーシャ様が答える。

 途端に視界が、見えている形はそのままで、緑一色に変わる。

 緑一色のそのなかに


 「あそこだ。あそこになにかある」


 ふちが波打つ、白い光点が、ぽつりと見えた。


 「結界だ。護りの結界が張られているぞ」

 「ルシアさんは、あそこにいる」


 とユウがいった。その声には確信がある。


 「そして、まだ、ぶじだ。ぼくにはわかる」

 「ああ、ルシア先生!」

 「だが……」


 ガネーシャ様が言う。


 「猶予はないぞ。

  おそらく、あそこで、生き残りのエルフたちが、必死で護りの結界を張っているのだろう。

  あれは、なにものも通さない最高レベルの護りの結界だ。

  エルフの強力な魔力で、今のところは、禁呪にくわれるのを防いではいるが、いかに最強のエルフが揃っていても、あれだけのことをすると、魔力は、そういつまでもはもたぬだろう」

 「転移魔法で、あそこから、ぱっと逃げてこられないの?」


 ジーナが聞いた。


 「あの禁呪に包まれていては難しい。魔法では、そこを突破できないだろう」

 「そんな……」


 絶望に目の前が暗くなりそうなわたしに、ユウが


 「魔法でない力でしか、たどり着けない。すなわち――」


 ガネーシャ様が、ユウを見た。


 「アンバランサーのぼくなら、行ける」


 ユウが言った。


 「ぼくが、助ける。ルシアさんと、みんなを。そして、禁呪を祓う」

 「頼む、アンバランサー……」


 ガネーシャ様が言った。


 「あの禁呪は、危険だ。放っておいたら、全ての大地をのみこみ、石に変えてしまう可能性がある。

  我々、神は、自らの拠って立つ土地を離れることはできない。

  あの場所に行って、この状況を変えられるのはアンバランサーだけだ」


 「「わたしたちも行きます!!」」


 わたしとジーナは叫んだ。


 「それは、わたしたちなんかに、何ができるかわからないけど……わたしたちも『雷の女帝のしもべ』なんだから」

 「娘よ、君は健気だなあ。ますます気に入ったぞ」

 「そんなこといっている場合じゃないです、ヴリトラ様!」

 「いやいや、健気な君のために、わたしも一つ策を提供しよう。

  あの結界に最速で到達する手段だ」


 そういって、ヴリトラ様は、その「策」を説明し始めたのだった。

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