その人には、この世界の毒は効かないが、しかし……

 わたしが捕らえられているこの場所は、崩落のため行き止まりとなってしまった、乗り物のためのトンネルの一つのようだ。おそらく以前は、どこかの国に続いていたのだろう。

 がれきや土、金属の部品、その他よくわからないもので、先は完全に塞がれている。

 行き止まりとなるトンネルの、まさに入り口部分に今、ユウとジーナ、そしてダミニさんたちが立っているのが、カバンダの感覚を通して見えている。

 いや、カバンダの感覚でさえないかもしれない。

 トンネルは、ここに至るまでになんども曲がっているため、いかにカバンダが目が良いといっても、ユウたちのいるところまで見通すことは不可能だ。

 たぶん、いくつかの生き物や魔物の眼を共有し、中継しているのだろう。

 と考えたところ、


 「いやー、君はやはり、なかなかたいしたものだ。わたしに弟子入りしないかい?」


 ヴリトラ様がそんなことを言う。


 (わたしの師匠は、ルシア先生だけです!)


 わたしが即座に言葉を(心の中で)返すと


 「麗しの雷の女帝か……。彼女がうまく、エルフ族を説得できるといいのだがね」


 (そんなことまで、知ってるんですか?!)


 「それは、わたしも神様だからね。まあ、神様でもわからないことは、多々あるけれど……」


 妙に率直な神様ではある。あまり、嫌いにはなれない。

 しかし、この神様が、場合によってはユウをこの世界から消す、などといっているのだ。

 けっして油断してはならない。


 「そうそう、良い心がけだねえ。君は、冒険者として大成しそうだな」


 …………。

 この、カバンダとつながった状態では、わたしの考えることはどんなことでもすべて、向こうに筒抜けである。やりにくいことはなはだしい。

 あっ、ということは、ユウに不利になるようなことは、いっさい考えてはだめだな。


 「うむ、娘よ、君はなかなか健気けなげだねえ」


 (ヴリトラ様、もうかんべんしてください……)


 「それでは、突入するか」


 とユウが言った。

 ジーナが、イリニスティスを構える。

 ダミニさんたちは待機することになったようだ。

 トンネルの断面は、完全な円形をしていた。

 側面は、どうやって切り開いたのか想像もつかないが。


 (「ああ、それは、という道具をつかったらしいよ」とヴリトラ様がすかさずコメントするが、ヴリトラ様も、いっていることがわけがわからないのは、ユウなみである)


 まるで鏡のようにつるつるに磨かれていて、手掛かりがなにもない。

 そして、下面は……。

 もつれあって、うねうね、ぐねぐね動く、たくさんの細長い……

 蛇である。

 おびただしい数の蛇、それもおそらく毒蛇と思われる蛇が、トンネルの下面を、えんえんとうめつくしている。

 シュウシュウ、ガラガラという、毒蛇の威嚇する音が満ちている。

 近づくだけでも襲いかかってくるだろう。


 「ジーナ、ぼくについてくるんだ」


 そういって、ユウは、とんと壁面にむかって足を踏み出した。

 ユウは、まるで側面が下であるかのように、真横になって、ふつうに壁面を歩いていく。


 (重力操作?)


 こちらから見ると、ユウのからだは完全に水平になっているのだけれど、もちろん落ちる気配もなく。

 蛇たちが鎌首をもたげ、あるものは飛び上がってかみつこうとするが、ユウには届かない。

 そのあとを、ジーナがついていく。

 ジーナにもユウの力が及んでいるのだろう、ジーナもユウと同じように、水平になって進んでくる。


 「うーん、これ、苦手だなあ」


 と小声でぼやくジーナの声も、はっきり聞こえてくる。


 「おっ」


 ユウが声をあげた。

 蛇たちが、作戦をかえて、動き始めた。

 お互いの体をもつれさせて支えあいながら、手掛かりのない壁面をどんどん覆い始めた。

 ユウの進路をふさごうとしているのだ。


 「ジーナ、ぼくのあとにぴったりついてきて。走るよ!」


 ユウが言い、駆けだした。ジーナも遅れずについていく。

 ユウは、側面からさらにまわりこみ、今は、トンネルの天井部分をさかさまになって走っていた。

 蛇たちはその天井部分にも、先回りして迫り始める。

 さすがに、無理だったようだ。

 いったんは、ツタのように絡まりながら天井にせまった蛇の群れだが、ぐらりと傾き、そして、どっと崩れ落ちた。

 それを見ていたわたしが、ほっとしたのもつかの間


 (危ない!)


 崩れ落ちる寸前に、蛇の群れが全体を鞭のようにしならせ、数匹の蛇を矢のように、ユウとジーナに向かって飛ばすことに成功したのだ。


 「えぃっ!」


 ジーナはイリニスティスで次々に蛇を切り払ったが、一匹だけが、その刃をかわし、ジーナの首筋にとびかかった!

 刃は反対方向に流れており、もう、切り払うのは間に合わない。

 体勢も崩れていて、今からよけることもできない。


 (ジーナ! なんとか逃げて!)


 わたしが心の中で叫んだ時、ユウが


 「おっと」


 左手を伸ばして、ジーナの首をかばった。

 蛇は、突き出されたユウの手にまきつき、そしてその手首に牙を立てた。


 「むっ」

 「ユウさん!」


 ジーナが叫ぶ。

 ユウは、しかし、動揺も見せず、右手で蛇の首をつかんで、引きはがす。

 その手をはなすと、蛇は、からだをくねらせながら、上に(本来の下に)落ちていった。

 ユウの左手首には、はっきりと二つの牙の跡があり、そこから血が滲んでいた。


 「ユウさん! どうしよう、これ毒蛇だよね!」


 ジーナがうろたえて言う。

 わたしも言葉を失った。

 はやく、解毒剤を使うか、解毒の魔法を使うかしないと!

 しかし、ユウはおちついて


 「だいじょうぶ、ジーナ。ぼくには、基本、この世界の毒は効かないから」


 そういうと、また、通路を進み始めた。


 「ほんとうに、だいじょうぶなの?」


 心配そうに、ついていくジーナ。

 たしかに、ユウの様子はかわらない。足取りも問題なく、毒の影響はなさそうだった。


 (良かった……ユウさんに、毒は効かないんだ……)


 わたしが、そう考えると


 「アンバランサーには、基本、この世界の毒は効かない」


 と、ヴリトラ様が言った。


 「しかし、それは、あくまで初期設定なのだ。彼はそのことをわかっているかどうか……」


 (えっ? どういうことですか?)


 ヴリトラ様は、わたしの問いには答えず、


 「彼は、君の友だちをかばったね」


 (はい)


 「それは、自分には毒が効かないとわかっているからかな?」


 わたしはいった。


 (たぶん、たとえそうでなくても、ユウさんなら、手を伸ばしたのではないでしょうか?)


 「そうだね……そして、それが自分にどういう意味をもつのか、彼はわかっているだろうか……」


 (どういうことですか?)


 「アンバランサーとしての存在に、関わることなんだよ。わたしはそれを確認したいのだ」


 その間にも、ユウとジーナが、蛇をかわしながら、トンネルを上下左右、縦横無尽に走って、わたしのもとにかけつける。


 「ライラ! おまたせ」


 そして、ついにユウがわたしの目の前に到達し、そこで立ち止まる。


 「ライラ! ねえ、あんた、まだ生きてる?」


 ジーナが、ユウの後ろから顔を出し、おずおずと言う。

 わたしは、その二人を、いまやカバンダの眼ではなく、自分の眼でみた。


 「アンバランサー・ユウ」


 と、ヴリトラ様の声が、わたしのすぐ上で、聞こえた。

 複合した視覚で、わたしは、本来見えないその位置を見ることができる。

 妖艶な、切れ長の黒い目をした美しい顔が、わたしの上にあった。

 髪の毛はなく、つるっとした卵型の頭をしている。そして、深紅の唇。

 その顔は、カバンダの中から、長い首をつきだして、生えていた。


 「ヴリトラ様ですね」


 ユウが静かにいった。


 「どうして、わざわざこんなことを?」

 「君に会って、確かめたいことがあったんだ」

 「なるほど」


 ユウはおだやかに言ったが、


 「そんなの、ライラをさらわなくたってできるじゃないの!」


 と、ジーナが、イリニスティスを構えながら、怒りの口調で言った。


 「ひどいよ!」


 目が金色に輝き始める。


 「娘よ、こうしないとわからないこともあるのだよ」

 「何なのよ! 言えるもんなら、言ってみなさいよ!」


 ジーナはイリニスティスを振り上げて怒鳴る。


 「アンバランサー、君のなかまたちは、ほんとうに楽しいね」


 ユウが、にこりとして答える。


 「うん、ぼくも、大好きですよ」


 その口調に、わたしはなんだか胸が熱くなる。

 ヴリトラ様がさりげなく言う。


 「アンバランサー、この世界の毒は、基本、君には効かない、そうだね」

 「はい」

 「それなら、こういうのはどうだ?」

 「うっ!」


 ユウの表情が、はじめて見るくらいに険しくなった。


 「えっ?」


 ジーナはわけがわからない顔だ。


 (ああ、なんてこと!)


 わたしには、わかる。

 わたしにつながっているカバンダから、わたしの体になにかが注入されている。

 それはおそらく、なんらかの毒である。

 しかし、わたしはいま、毒による効果を感じていない。

 それはなぜかというと……


 「ほう、君が引き受けるか」


 そう、わたしのからだに注入された毒の作用が、すべてユウに転送されているのだ。

 転送されている? いや、ユウが自ら、その力で、わたしに働くべき毒の苦痛をすべて、自分にまわしているのだ。

 苦痛に耐えるユウの額に、汗がぷつぷつと滲み、ユウは歯をかみしめた。


 「どうしたの? ユウさん?!」


 ジーナはおろおろしている。


 (ヴリトラ様、やめてください!)


 わたしは叫んだが、声にはならない。


 「アンバランサーよ、わたしヴリトラは、蛇と蜘蛛を眷属とする神。蛇と蜘蛛は、この世界の渦の象徴である。いってみれば、わたしは、アンバランサー、君の力にたいへん近い存在なのだ」


 真っ青になったユウが、ぐらりと膝をついた。


 「ユウさん!」


 ジーナがそれを支える。


 (ヴリトラ様、やめて! やめてください!)

 (ユウも、もう毒を引き受けるのをやめて!)


 「わたしはおそらく、この世界の神でただ一人、君の力に多少なりとも干渉できる存在だろう」


 ヴリトラ様は、わたしの懇願にかまわず、言葉を続ける。


 「ユウ、わかっているか? この世界に、異世界からきた君がいることの意味が。

  君がこの世界に居続けることで、君と世界に、何が起きていくか?

  君は、わかっているか、このことが?

  わたしは、この世界の神として、それをどうしても君から聞きたいのだ」


 ユウは、顔を上げて、よろりと立ち上がった。

 そして、一歩ずつ、ゆっくりとわたしに歩みより、わたしの顔にふれた。


 「わかっていますよ、たぶん」


 そして、わたしの顔を見、やさしく笑うと、次にヴリトラ様の顔を見た。

 そして、苦痛に耐える顔で言った。


 「つまり、こういうことなのでしょう……」

 「そうだな、そういうことだな……」


 ヴリトラ様がそういったとたん、ふっとわたしから何かが離れていった。

 わたしのからだが、カバンダから離れ、前に倒れていく。

 ユウはわたしを優しく受けとめた。

 その体は毒のためか熱い。

 そして、よろけそうになり、わたしをジーナにあずけた。


 「ライラ!」


 ジーナが泣きながらわたしを抱きしめる。


 「娘のからだは、すぐにもとにもどるだろう」


 ヴリトラ様がそういった。

 その、ヴリトラ様の声もやさしかった。

 カバンダが、急に、その何本もの腕をユウに向けてのばした。


 「あっ!」


 ジーナが叫ぶ。

 カバンダの腕が静かにユウを包みこみ、引き寄せ、そしてヴリトラ様の顔がユウに近づき、漆黒の瞳がユウの瞳をのぞきこむ。

 ユウも、ヴリトラ様から視線を外さない。


 「うむ。やはり、アンバランサーは良い匂いがするね」


 そういうと、ヴリトラ様の真紅の唇が、微笑む形につり上がった。二本のするどい牙がみえる。先が二股に分かれたピンクの舌がするっと伸びて、ユウの唇をペロリとなめた。

 ヴリトラ様はそのまま、ユウと唇を重ね、そして、なにかがヴリトラ様からユウの口に流れ込み、ユウののどが、ごくりと動いた。


 えっ? えっ? なんなんですか?

 いや、待ってください。こんなのあり?!

 ちょっと、ヴリトラ様おかしくないですか?


 「……解毒しておいたよ。

  アンバランサー・ユウ、もし、エルランディアに飽きたら、わたしのところに来るがいい。いつでも歓迎するよ」


 ヴリトラ様は、そう言った後、笑って


 「しかし、まあ、そんなことはありそうにないかな……向こうには、あの人ルシアがいるしね」


 ユウもほほえんで、


 「そう、たぶん、ないでしょうね……」


 そう答えるのだった。

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