その人は、異国の神々にも知られていた。

 「こんなところで、あたしと用足ししてて、死んじゃうなんてあんまりだ……」


 わたしには、そういうジーナの声がはっきりと聞こえていたのだ。


 (ジーナ、あんたってば、ほんとうに……)


 そう思わずにはいられない。

 わたしのことを思って、心配して、泣いてくれるのは、ほんとうにありがたいが、そのデリカシーのなさと、短絡的なところはなんとかならないのか。


 いや、今のわたしは、そんなのんきなことを考えている場合では全くなくて……。

 わたしは、このなにやら毛むくじゃらの、足が何本もある、不気味なやつに捕えられていて、あいかわらず、からだには全く力が入らず、この縛めから逃れることはできそうない。

 それなら、と魔法を唱えようとしても、なにか大きな力で、魔法を使うための意思をおさえつけられているようで、魔法を頭に浮かべてもそれを発動するところまでたどりつけない。

 要するに、なにもできない、ということだ。

 ただ、感覚だけがとぎすまされていた。

 異常なほどだ。

 目を動かすこともできないのに、頭の中には、自分の視界とは思えないくらい広く、明るく、まわりの様子がみえていた。見えないはずの後ろの様子までが見えてしまう。

 遠くはなれたところにいて、聞こえるはずのない、ジーナやユウの会話も、すべて、はっきりきこえてくる。

 あちこちに潜んだ生き物のかさこそ動く音も聞こえる。

 このトンネルの中の空気の流れ、そして漂うにおい。そんなものもわかる。

 ダミニさんや戦士たちのからだからは南の国のスパイスのにおいがする。

 泣くジーナの髪と汗のにおい。

 そして、ユウの体からただよってくる、なにか不思議なにおいもわかる(ジーナがいっていたのは、これのことか!)

 これは、わたしの感覚ではなくて、ひょっとしてわたしを捕えている、この怪物の見ているもの、聞いているものなのかもしれない。

 わたしのうなじのあたりに、なにか軽く噛まれているような違和感がある。

 意識をそこに持っていくと、


 (うわぁ)


 怪物の、ギザギザのあごのようなものがわたしのうなじを挟み込み、その口の中からのびてきた、ぐねぐねした白い管が、わたしのうなじ、ぼんのくぼあたりに、ずぶりと刺さっているのが、はっきりと見えてしまった。

 それは視覚として見えたのだ。わたし自身の眼では、けっして見えるはずのない映像である。


 (ひぃぃ……これ、どうなっちゃってるの? あたし、だいじょうぶ?)


 不気味さに心中うめきながらも(声は出せないので)、この不気味な管がきっと、今のわたしの状態に関係があるのだと思った。


 「その通りだ。君は、賢いねえ」


 とつぜん、頭の中に声が響いた。男とも女とも判断のつけがたい、深みのある声だった。

 そして、高い知性を感じさせる口調だった。


 「その管は君の脳に直接情報を送り込んでいるから、君はこのの感覚を共有しているのだ」


 この怪物、(カバンダというらしい)が、わたしとつながっていて……と考えると、その不気味さにぞっとする。


 「大丈夫、まあ、そんなに害のあることではないから」


 こともなげに言う。それが本当のことなのかどうかはわからないが、口調に悪意はそれほど感じられないのが救いだ。


 (なぜ、こんなことをするんですか? そもそもあなたは誰ですか? カバンダっていってたけど……)


 わたしが心のなかで思うと、


 「カバンダは、わたしのしもべだよ」


 すぐに返事が返ってきた。


 「わたしは、ヴリトラ。南の国を統べる神のひとりだ」


 (ガネーシャ様みたいに?)


 「そうだね、ガネーシャもわたしと同じ存在。さっき、ガネーシャの巫女ダミニが言ってたけど、わたしとガネーシャとの間には、すこしばかり考えが違うところがあってね」


 (南の国って、神様が何人もいるんですか?)


 「うん、そうだよ。それはもう大勢いるよ。それがわたしたちの国なんだ」


 声はすこし誇らしげだ。


 (でも、大勢いたら、喧嘩しないのかしら)


 わたしがふと思ったことも、すぐに伝わってしまうようだ。


 「その通りだよ、あっちこっちで、しょっちゅうもめてるねえ」


 そういって、ヴリトラ神は笑った。


 「でも、それが楽しいじゃない? わたしは、そういうの好きだな……」


 (でも、神様が喧嘩したら、たいへんなことになるんじゃないんですか?)


 「うん、それはもう。だから、なるべく直接対決は避けて、しもべにがんばってもらうんだけどね……」


 (ひょっとして、わたしたち、ヴリトラ様とガネーシャ様のけんかに巻き込まれたんですか?)


 わたしは聞いた。

 それならとばっちりである。

 わたしたち、文句をいってもいいじゃない?


 「ふふふ」


 ヴリトラ様はまた、笑った。


 「いいねぇ、君のそういうところも好きだなあ」


 が、まじめな口調になって


 「でも、ちがうよ。わたしとガネーシャの間のことだったら、無関係な君たちをまきこんだりはしない。

  わたしは、アンバランサーに用があるんだ」


 (ユウさんに? ヴリトラ様も、アンバランサーのことをご存じなんですね)


 「神はみな、アンバランサーを知っている。アンバランサーはそれだけの存在だからね」


 (そうなんだ……でも、用があるって、ヴリトラ様、ひょっとしてユウさんと戦うつもりですか?)


 わたしは緊張し、思わずからだに力をいれようとした。もちろん、ぴくりとも動かなかったけど。


 「ふふふ、君はアンバランサーのことが、だいぶ好きなんだねえ」


 ヴリトラ様はそういって、わたしの顔は赤くなった(はず)。


 「わたしは、アンバランサーに、というより、今、この地に現れたアンバランサーであるユウという個人に、確認したいことがある。その結果によっては……」


 (結果によっては?)


 「かれと戦い、この世界から消えてもらわなければならない……わたしは、この世界の神だから」


 (?!)


 わたしは、暴れて縛めから脱しようとした。もちろん無駄だったが。


 「さて、アンバランサーがやってくるようだよ」


 ヴリトラ様が言い、


 「ジーナ、それでは、二人でライラを助けに行くとしようか」


 カバンダの感覚を通し、ユウの、いつもの声が聞こえたのだった。

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