<アンバランサー・ユウの独白>

 わたしは、アンバランサー・ユウ。

 平凡な人間、篠崎裕一郎としてのわたしは、搭乗していた航空機が空中で分解し、地球上から消えた。


 (こんなことで、私という存在がこの世から消滅するのか?)


 それは、予期せぬ死を強いられるものが等しく感じる理不尽さ。

 その理不尽さに、わたしが怒りをおぼえたとき、


   


 そう呼びかける声を聞いたのだ。

 そして、次の瞬間、わたしは別の世界にいた。

 白い霧に包まれた、前後、上下左右、まったく距離感のつかめない、音のない空間をわたしは漂っていた。


 「ここはどこだ?」


 あきらかに異常なことがおきていたが、私の感覚はもう麻痺したようで、異常を異常と感じられなくなっていて、ごく冷静に状況を検討していた。


 「わたしを呼んだのはだれだ?」


 そうつぶやくと、


 (見よ)


 わたしにとって下と思える方向から、声が返ってきた。

 見下ろすと、そこには――


 複雑にからみあう巨大な渦の群れがあった。

 わたしは、NASAの無人探査機から送られてきた、木星の表面写真を見たことがある。

 あのように、いくつもの複雑な渦が、それぞれ関係しながら流動していた。

 いつか美術本で見た、「ダロウの書」と呼ばれる、かつてアイルランドで作られた福音書写本を装飾する、魅力的な渦巻き模様にも似ていた。

 いくつもの渦がからみあって、さらに大きな渦をつくり、そしてつねに回転している。


 (これが『世界』だ……)


 声は、そう告げた。


 (篠崎裕一郎、わたしが君を召命した)


 「だれだ?」


 (『世界』をつかさどるものだ)


 「なんのために、わたしを?」


 (『世界』を存続させるために)


 わたしには、そのものがいう『世界』が、わたしのいたあの『世界』とはまた別の世界であることが直感できた。


 (軋み、死のうとする『世界』を、君は救ってほしい。

  そのために、きみを、この『世界』の『アンバランサー』として呼び寄せたのだ)


 「『アンバランサー』?」


 (完全に均衡した世界は、もはやそれ以上動かない。それは世界の死を意味する。

  つねに動き続けるからこそ、そこに生命がある。

 『世界』の動きをとめようとする力が、再び生まれている。

  アンバランサーとは、均衡を崩すもの。

  回転をやめそうな世界に、新たに動きを与えるために、外部からの力が必要なのだ)


 「それでは、そのためにわたしは何をすればいい?」


 ふふふ、とその存在は笑ったようだった。


 (――なんでも。

  君の心のおもむくままに。

  君が出逢うこの世界にたいして、君がすればよい……)


 「なんだか、よくわからないな」


 (行けばわかる。

  行くか? 篠崎裕一郎。いや、今からは君をユウと呼ぼう。

  行くか? ユウ、アンバランサーとして)


 「よくわからないが、それもまた面白そうだ。

  それが、この理不尽にあらがうことになるような気もする。

  いいだろう、わたしは、その提案をうけよう」


 (ありがとう。

  お礼に、きみにはいくつかのギフトを与えよう。

  行け、アンバランサー・ユウ。

  心のおもむくままに、行動せよ。

  そうすれば、その結果として、ひとつの『世界』が救われるかもしれぬぞ……)




 「風の結界! 風の結界!」


 気づくと、見知らぬ土地の、森の中に立っていた。

 いつのまにか服装は、航空機の中で着ていたスーツではなくて、昔自分が10代のころ好きでよく着ていた、お気に入りのTシャツ、ウインドブレーカーとジーンズの組み合わせに変わっていた。

 服装だけでなく、わたし/ぼく自身のからだが、軽くしなやかで、ぜい肉がとれて、活気にあふれた、10代の自分にもどっていることを感じた。

 森の匂いが、久しく感じたことがないほどの鮮烈さで、五感自体もあのころに若返っているのがわかる。


(これも、ギフトというやつかな……)


 そして、目の前では、一人の少女が男たちの集団に囲まれ、懸命に呪文を唱えている。

 その少女のかたわらには、胸を朱に染めたもう一人の少女が倒れていた。

 どのような深い事情があるのかはわからないが、今、仲間を守ろうとしている少女の必死のがんばりが、このまま、むなしく終わるようなことを、けっして許してはならない。

 ぼく/わたしの全存在をかけても。


 心のおもむくままに。

 したいことをなせ。


 ぼくは、少女たちに向かって、この『世界』に向かって、足を踏み出した。

 アンバランサー・ユウとして。

 そう、ぼくが、アンバランサー・ユウだ。

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