<幕間> ガネーシャ様の犬

 ぼくの家は、今、いろいろたいへんで。

 お父さんは、どこか遠く、南の方に働きに行っちゃってるし。

 お母さんは、今日は朝から調子が悪くて。

 顔色も、とても良くなくて。

 ベッドの中から、すごく申しわけなさそうに言うんだ。


 「悪いけど、ダーシュ、うちの鶏が生んだ卵、市場で売ってきてくれる? お母さん、今日、市場まで行けそうにないわ……」

 「うん、いいよ!」


 ぼくはそう答えた。


 「ごめんね、ダーシュ。お金がどうしても要るの」

 「大丈夫だよ、行ってくるよ」


 たいていのものは自分たちでなんとかしても(ジキュウジソクとお母さんは言った)、どうしても、お金というやつが必要になるときはある。ぼくだって、それくらいはわかるんだ。

 それで、ぼくは、かごに卵を入れて、市場にでかけた。


 「あたしもいく」


 妹のリザも、ついてきてしまった。

 正直言って足手まといだけど、家に残して、調子の悪いお母さんに面倒かけるよりましかな。

 そう思って、連れてきてしまった。

 市場はいつものように大勢の人でにぎわっている。

 ぼくらは、じゃまにならないように、いちばん外れの方で店を出した。

 店を出したって言っても、かごをおいて、その後ろにぼくとリザが座って、道行く人に、


 「卵いりませんか」

 「生みたての卵です」


 そういって声をかけるだけだ。

 でも、今日はさっぱりだった。

 この前お母さんについてきた時は、もっと売れてた。

 それはお母さんが、愛想よく、通りがかる人に声をかけて、お話をしたりして、がんばったからだと思う。ぼくたちにはとてもそんなことはできそうにない。


 「卵いりませんか」

 「生みたての卵です」


 ……売れない。

 だんだんぼくは焦ってきた。

 なんとかお金を持って帰らないと。

 なにに使うかはわからないけど、お金を持って帰らないと、ぼくのうちはたいへんなことになってしまうような気がした。


 「卵いりませんか」

 ……。


 気づくと、リザがいない。

 あいつ、どこいっちゃったんだよ?

 きょろきょろ見回して、探すと、いた。

 リザは、向こうの方で、黒い犬と遊んでいた。

 のんきだなあ……。

 ちょっと腹も立った。

 それで、


 「リザ! だめじゃない、こっちこいよ!」


 怒った声でリザを呼んでしまった。

 まあ、リザはあんなにちっちゃいんだし、しかたないんだけどね、ほんとは。

 ぼくの声に、リザはびくっとして、こっちをみると、泣きそうな顔で走ってきた。


 「ごめんね、お兄ちゃん……犬がね」

 「見てたよ。怒ってないから、がんばって卵売ろうよ」

 「うん」


 「あっ!」


 びっくりした。いつの間にか、リザが遊んでいた黒い犬が、ぼくらの前にちょこんとすわっていたからだ。


 「お前、あたしについてきたのね」


 リザが言う。


 「なんかほしいの?」


 犬は、しっぽをパタパタさせて、じっと座っている。


 「なんか、ないかな…」


 リザは自分の服のポケットをさぐって


 「あ、こんなのあった」


 お母さんが焼いたクッキーの小さなかけらをみつけだした。


 「ほら、あげるよ」


 そういって、そのかけらを手のひらにのせて、犬の前につきだした。

 犬は、長い舌を出して、そのクッキーをぺろりとなめとった。


 (えっ?)


 ぼくは、ぎょっとした。

 クッキーをなめとった犬の舌……なんかへんだった。

 ピンク色の舌の上に、なにかの呪文のようなものが黒く書かれていた気がする。

 それとも、あれはただのあざ?


 (ひょっとして、こいつ、魔犬?)


 不安になって見てみるけど、犬に悪意は感じられない。

 犬は、立ち上がると、くるりと向きをかえ、走り去った。


 「まんぞく、したのかな」


 リザが言い、ぼくらはまた


 「卵いりませんか」

 「生みたての卵です」


 そのうちに、たったったと足音がして、


 「あっ、帰ってきたよ!」


 また、黒い犬が戻ってきた。

 なにか布の袋をくわえている。

 そして、ぼくらの前でちょこんとまた座る。

 しっぽをパタパタふる。


 「これ、お礼?」

 「だいじょうぶかな、どこかから盗ってきちゃったとか?」


 そうぼくらが顔をみあわせていると、


 「おふたりさん」


 声がかかった。

 顔を上げると、そこには、色とりどりに染められた、見慣れない服をきた、おばあさんが立っていた。この土地の人ではなさそうだ。


 「喜捨をありがとう、この袋はお礼だよ」

 「きしゃ?」


 なんのことかわからない。


 「わからなくても、いいんだよ。それより、さあ、その袋を開けなさい」

 「は、はい」


 袋のふちをしばった紐をほどいて、中身をだすと、なにか黒い、干からびたしわしわの、細長いさやのようなものが何本も入っていた。さやが割れているのもあって、種だと思う、すごく小さな、黒いつぶつぶがこぼれていた。あまり嗅ぎなれない、でも、ちょっと甘い匂いがした。


 「いいかい、それを、かごの卵のところに、いっしょに出して並べておくんだ。

  そうすると、いいことがあるから」

 「いいこと?」

 「そう、いいことだよ」


 よくわからなかった。でも、とにかく少しでも良いことがないと、このままでは我が家は困っちゃうわけだから、おばあさんの言うとおりにすることにした。


 「そうそう、そうやって、さあ、がんばって卵を売るんだ」


 おばあさんは、そういうと、黒い犬をつれて、人ごみの中を去っていった。

 去り際に、


 「ふたりに、様のご加護を。そして、、祝福を……」


 そうつぶやくのが聞こえた。なんのことか、わからなかったけど。


 「卵いりませんか」

 「生みたての卵です」


 ぼくたちがそうやって、卵売りを再開すると


 「あっ、これは!」


 という声がして、ぼくたちの前に立ち止まる人がいた。

 お兄さん一人と、お姉さん二人。

 お兄さんは、はじめてみるようなおかしな格好をしていた。いったいどこから来た人なんだろう。

 お姉さんの一人が、獣人の鼻をひくひくさせて


 「なんだか、甘い匂いがするね」


 お兄さんは、興奮した声で


 「これは、たぶん、だと思う。卵もあるし、あとはミルクがあれば、がつくれるよ!」

 「うわあ、ぷりん! すごい、すごい!」

 「ちょっと、ジーナ、あんた、がなにかって、わかってるの?」

 「しらないけど、なんだかおいしそうじゃん」


 ぼくが見るところ、この獣人のお姉さんはたぶん、おっちょこちょいだと思う。


 「とにかく、買っていこう。ねえ、きみ、このバニラビーンズと、卵ぜんぶ、売ってくれるかな!」

 「ぜんぶ?!」


 びっくりした。

 でも、


 「やったあ!」


 ぼくとリザは大喜びした。


 「これは、ずいぶん貴重なものだから」


 そういって、お兄さんは気前よくお金を払ってくれた。

 ばにらびーんずとかいうものは、あのおばあさんにもらったものだったから、なんだか申し訳なくて、そのこともお兄さんたちに話したんだけど、かまわないって。


 「きっとあの人だなあ」

 「まだ、このあたりにいたんだね」

 「いろいろ、話をきいてみたいわね」


 三人はそんなことを言っていたから、あのおばあさんの知り合いみたいだった。


 「よーし、かえってぷりんをつくるぞー」

 「うわーい!」


 おっちょこちょいの獣人のお姉さんが、とびあがって喜んでいる。


 ぼくたちも、品物がぜんぶ売れたから、家に帰ることにした。

 おわかれするときに、


 「そうだ」


 お兄さんが、服をごそごそやっていて、


 「これあげるよ」


 といって、何かを取り出した。


 「なにこれ」


 すきとおったぺらぺらのものの中に、小さな黒い四角いかたまりが包まれていた。

 それが何個か。


 「お菓子だよ、っていうんだ。この包みをむいて、中身だけ食べてね」


 ぼくとリザは、おそるおそる、一個ずつ食べた。


 「うわーっ、なにこれ!」

 「甘―い!」


 めちゃくちゃ甘くておいしかった。

 お母さんにも持って行ってあげよう。


 「ユウさん、あたし、あたしにも!!」


 獣人のお姉さんも、お兄さんにせがんで、そのっていうお菓子をもらっていた。

 ぼくは、リザと手をつないで、家に帰った。


 ああ、どうなることかと最初は思ったけど、今日はなんだか良い日だったなあ……。おばあさん、ありがとう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る