その人は、わたしに魔法を命じた。

 扉を開けた途端に、わたしたち三人は、異常を感じた。


 「なに、この臭い?」


 ジーナが鼻をうごめかせてつぶやいた。


 「すみません、ごみのにおいがくさいですか?」


 と、お母さんがあやまったが、それは違う。

 この臭いは、そういうものではなくて、たしかに何かが腐るような臭いでもあるけれど、それだけではない。たんじゅんなごみの臭いなら、わたしたちだって、いくらでも嗅いでいる。


 ちがうのだ。


 そうではなくて、なにかもっと、普通にそこにあってはいけない臭い。

 それを一言でいうならば…ああ、そうだ、それはつまり「死臭」。


 ねずみが死んでいるの?


 そうだったら、まだましなような気がした。

 おかしなことはそれだけではなかった。

 扉を開け、降りる梯子の下に、光がさした瞬間、闇が後ずさりしたように感じた。

 光が照らしたのだから、暗い部分が明るくなるのは当然なのだけど、なにかおかしかった。

 わたしには、暗闇が、ずるずると下がっていったように見えたのだ。


 おかしい。

 この地下室はなにかがおかしい。

 しかし、不思議なことに、お母さんとジンタは、それに気がつかないようだ。


 「ねずみ、捕まえられるといいな……」


 ジンタはふつうに言う。


 「調べられますか? 今、明かりを、用意しますね」


 お母さんも、普通に言う。

 なんだか、違和感がありすぎる。

 ふと顔をあげると、寝室の扉のすきまから、ユーリがおびえたような顔で、こちらの様子をうかがっている。


 「ユウ……?」


 わたしたちとジーナが、ユウの顔をみると、ユウが


 「ライラ、浄化魔法の準備をしておいて。いつでも発動できるように」


 小声でそう告げた。


 「じょうかまほう?」

 「ア、アンデッドが?」

 「わからない、でも気を付けた方がよさそうだ」


 わたしたちが話しているうちに、


 「頭に気を付けてくださいね」


 お母さんは、火を灯したランプを手にして、ためらいもなく梯子を下っていってしまった。


 「ぼくもいく!」


 ジンタが飛び込んだ。


 「これは、行くしかないな……ぼくが先に」


 そういって、ユウがまず、慎重な足取りで梯子をおりた。

 つづいて、わたし。杖をにぎりしめて降りる。

 最後に、ジーナ。ジーナは警戒して剣を構えている。


 そうひろい地下室ではない。

 壁は古ぼけたレンガで。

 床に、樽や、小麦の袋や、ザザ芋の袋、かごに入れた野菜たちなどが、ところせましと並べてある。


 「ジンタと二人で調べたんですけど、とくに穴が開いているわけでもないし……」


 お母さんが、壁の前に立って、ランプをかざしてくれている。

 お母さんのかげが、ゆらゆらと壁で揺れる。


 「いったい、どこからねずみがくるのか、さっぱりわからないんです……」


 悲しげに言った。


 「ねずみって、どんな隙間でもくぐっちゃうのかなあ」


 その横でジンタも言う。

 親子のせりふに、わたしの背中を、ぞくりと冷たいものがはしった。


 「あの、お母さん?」


 ジーナも、ふるえる声をもらす。


 これが、わからないのか。

 こんなにも、あからさまに。

 なんでわからないの!


 そう、穴は、のだ。

 ならんで立つ、親子の間に。

 レンガで作られた壁の、一角が。

 まるで、むこうから突き崩されたように崩れ、そこには大きな穴がぽっかりあいていた。

 穴の向こうは暗闇で、扉をあけたときに感じた死臭は、その穴の奥からふきつけてきていた。


 「ね、ねえ……そこに、大きな穴があるんじゃあ……?」


 ジーナが言う。


 しかし、親子は、まるでその穴がみえないように


 「いくら探してもみつからない、どこから入ってくるのかしら…」

 「ザザ芋もかじられちゃって」


 ジンタがそういって、袋からザザ芋をつかみだす。


 「ほら、見て」


 そういって、わたしたちに一つ、放ってよこした。


 「ひぇっ」


 ジーナが悲鳴をあげた。

 かじられたザザ芋といってジンタが放ったそれは、けっしてザザ芋ではない。

 かたちはザザ芋に似ているようだが、一つの大きな目と、小さな生白い手足がついたそれは、けっしてザザ芋なんかではなかった。


 「えぃっ!」


 ジーナが反射的に剣を突き出した。切っ先が、大きな目玉にずぶりとめり込み


 ぎゃあああああ!


 けたたましい叫び声があがった。


 「ライラ、浄化魔法だ!」

 「は、はい!」


 ユウに促され、わたしは浄化の魔法を詠唱する。


 「闇に満てる生のことわりを外れたあだしものよ、光のもと万物の流れに戻るべし、清浄の光!」


 地下室がいっしゅんにして地上のように明るくなった。

 地下室の隅ずみまでが、わたしの魔法により発動された浄化の光に満たされる。

 浄化魔法の光は、普通の光と違い、本来ならさえぎられるはずの物かげにもまわりこんで、すべてをあまねく照らして、その効力を発揮する。

 地下室の空気に、まるで乳香のような、馥郁たる香りが漂った。

 ライラの剣に貫かれたままの、ザザ芋もどきは、光の中に溶けるように消えた。

 お母さんが、くたりと、膝を崩してその場にすわりこむ。

 ジンタが、我に返ったように目をぱちぱちさせた。


 「やった!」


 ジーナが叫んだ。

 しかし、


 「うわーっ」


 ジンタの悲鳴。

 穴の奥からのびた、黒い腕につかまれ、ジンタは闇の中に引きずりこまれた。


 「たすけてーっ……」


 ジンタの声が遠ざかっていく。


 「精霊の灯よ月なき夜の道しるべをなせ 月光の燭台!」


 杖の先に魔法の明かりをともし、わたしたちは真っ暗な穴の中に飛びこんでいく。

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