死霊王が、その人に反魔法をかけた。

 穴は、通路のように、どこまでも続いているようだった。


 壁面は、でこぼこで、土や岩が剥き出しになっていた。

 きちんとした工事ではなく、乱暴に掘りすすめられたもののようだ。

 通路のところどころに、白い燐光を放つ、小さな袋のような花が、甘いにおいをただよわせて揺れている。

 その植物には葉がなくて、ひょろりとした茎のさきに、大きく、白く燐光を放つ袋状の花が一つだけついて咲き、風もないのに、ふわりふわりと人を招くように揺れる。


 フウセンシリョウソウだ。


 日光を必要としない。

 逆に、日の光をあびると枯れてしまう。

 白い花の、その甘い臭いは、けして好ましい匂いではなく、そう、おぞましい死臭を連想させるのだ。


 フウセンシリョウソウはアンデッドのいるところに、育つといわれている。

 シリョウソウが咲くような環境をアンデッドが好むのか、それとも、アンデッドの腐敗した肉体を養分としてシリョウソウが生えるのか、どちらが先かはわからないものの……

 わたしは、思わず口にした。


 「ね、ジーナ」

 「何、ライラ」

 「まさか、アンデッドが、ぞろぞろ出てきたりしないよね」

 「バカ、ライラ!」


 ジーナが怒った。


 「何よ?」

 「あんた、知らないの? こういう時に、そういうこと言うと、たいていは出てきちゃうんだよ!」


 ユウが、ポツリと言った。


 「つまり、いわゆるフラグが立つ、と言うやつだな……」


 あいかわらず、ユウのいうことは意味不明だったりする。


 でも、アンデッドなら、じっさい最悪なんだ……。


 アンデッドは、その名の通り、すでに死んでいるものたちだから、斬ったくらいでは倒せない。腕がもげても、足がちぎれても、頭がとれても、平気で襲ってくるのだ。

 アンデッドを倒すには、光の浄化魔法で、この世から存在を消滅させるのがいちばんだが、それができない場合は、灰になるまで燃やし尽くすか、完全にすりつぶすぐらいに粉微塵にするか……、とにかく厄介なのだ。


 ああ、いやだ。


 アンデッドが出てこないことを祈るが、あの地下室に充満していた死臭を考えると、楽観的にはどうしてもなれない。


 「アンデッド、苦手だな……」

 「だからさぁ、それを口に出したらダメなんだって、ライラぁ」


 ジーナが文句を言う。

 魔法の灯で足もとを照らしながら、わたしたちは先を急いだ。


  えーん えーん えーん


 ジンタの泣き声が、近づき、遠ざかり、聞こえ続け、わたしたちはせきたてられるように走るが、それはまるで、わたしたちをどこか危険な場所に誘い込むようでもあった。


 「あっ? やぁっ!」


 ジーナが急に剣を振るった。横あいから、突然、鋭い爪で掴みかかるように、腕が突き出されたのだ。


 どすっ!


 腕は、湿った音をたてて切り離され、ぼとり地面におちた。


 「えぃっ!」


 ジーナはその剣を流れるように反転させ、真っ向から振り下ろした。


 肩からななめに両断されたアンデッドが、腐汁を撒き散らして、地面にくず折れる。

 しかし、そうなっても、両断された姿のまま、もぞもぞとうごめき、立ち上がろうとしている。


「炎の精霊の加護により地上のもの塵となれ 炎熱の櫓!」


 すかさずわたしが、ルシア先生譲りの火の魔法を使った。

 激しい炎が、アンデッドを包む櫓のように燃え上がり、そのからだを余さず燃やし尽くす。


「ほら、だから、出たじゃないのよ!」


 ジーナが口を尖らせる。

 しかし……そんなもので驚いていてはいけなかったのだ。

 すぐにわたしたちは、そのことを思い知ることになる。


   えーんえーん


 ジンタの泣き声が、奥の方からかすかに聞こえてきていた。


   オウオウオウ


 聞きようによっては、笑い声とも、呻き声ともとれるような、大勢の低い不気味な声が、それにかぶさるように聞こえてくる。


 「うう、やつら、いっぱいいそう」


 ジーナがうめく。

 と、突然、そこに


 「うわーっ」

 「何だこりゃあ!」


 と言う、別の声が響いた。

 そして、濡れたものを断ち切るような音、なにかをぶつけるような音、


 「炎よ来たれ!」


 と言う。必死な女性の詠唱。

 ものが燃えて弾けるような音。

 どよめく不気味な笑い声。

 そうしたものが一斉に聞こえてきた。


 (えっ? 誰か、この奥で戦っている?)


 さらに足を速めたわたしたちは、突然、広い場所に出て足をとめた。


 「あああ、やっぱり……ライラがあんなこと言うからだよ」


 ジーナがつぶやいた。


 そこは、岩が大きくくりぬかれて作られた、洞窟のような場所だった。

 見上げるほど高いところに、岩の天井がある。

 その天井には、フウセンシリョウソウが群生し、燐光を放つ花を、ゆらゆらと揺らしている。

 その広い洞窟が、すべて——アンデッドで満ちていた。


 「なに、この数……」


 いったい、何百体、いや何千体いるのか。

 もはや数えきれない。

 緑色に不気味に腐り果て、眼を赤く輝かせた、アンデッドの大集団が、呻き声を上げながら、うごめいていたのだ。腐臭は鼻を突き刺すようだ。

 みるもおぞましい光景だ。


 そして、そのアンデッドに包囲された、四人組のパーティ。

 見覚えがある。

 あの、サバンさんに引きずられて行った連中だ。


 「ライラ、何で、あの人たち、よりによってこんな場所に?」

 「さあ?」

 「バカだから?」

 「たぶんね……」


 パーティは、顔を引きつらせ、必死に奮闘しているが、戦況は絶望的だ。

 剣でいくら斬ろうが、メイスで殴ろうが、アンデッドの動きは止まらず、いったんは倒れても、また起き上がって向かってくる。


 「ちくしょう、なんでこいつら死なないんだよー!」


 アリシアさんにつっかかった、あの若い冒険者が叫ぶ。


 「……そりゃあ、あんた、もう、死んでるからだよ……」


 ジーナが思わずつっこむ。


 「だよねえ……」


 ユウもうなずく。


 女性の冒険者は魔法が使えるようで、炎の魔法を連発するが、いかんせん火力が足りず、アンデッドを燃やし尽くすことができないため、黒焦げになっても、歯を剥き出しにしてアンデッドが前進してくる。


 「ヒィー」


 そのあまりの不気味さに悲鳴を上げている。

 今まさに、彼らはアンデッドの群れに飲み込まれようとしていた。


 さすがに、このままにしてはおけないだろう。


 「炎の精霊の加護により地上のもの煙と滅せよ 炎熱の宴!」


 わたしは、さきほどのものより有効範囲の広い、より強力な炎の魔法を杖から放った。

 業火の波がアンデッドの群れを襲い、数十体をたちまちに焼き尽くす。

 炎の範囲をはずれ、腕だけになったアンデッドは、それでも指を地面に突き立て、ずるずると這って動く。


 「ライラ、浄化魔法は使わないの?」


 ジーナが聞くが


 「広すぎるのよ。わたしの力では、ここの全体を浄化しきれない。たぶん、炎のほうが有効」


 そう答え、わたしは魔法を放つ。


 「炎の精霊の加護により地上のもの煙と滅せよ 炎熱の宴!」


 さらに数十体のアンデッドが灰となる。


 「おお!」


 パーティがこちらに気づいた。


 「た、助かった……」


 アンデッドもこちらに気づいた。


 大半のアンデッドが方向を変え、わたしたちにせまってくる。

 わたしは杖を構え、ジーナも剣を構えた。

 そのとき、 


   おねえちゃーん……


 ジンタの声が聞こえた。


 その声が聞こえた場所は。

 洞窟のいちばん奥のところが、そこだけ、まっ平らな壁面になっていた。

 まるで、すっぱりと垂直に切り取られたかのように、凹凸がない。

 そこに、彫刻に囲まれた四角い門があった。

 門からは、さらに奥に通路が続いているようだった。

 その門の前に、ジンタがいた。

 ジンタは、黒く大きな影にわしづかみにされ、ぶら下げられてた。


 その黒いものは……


 「げっ!」


 ジーナがうめいた。

 肉のそげ落ちた髑髏の顔、眼窩の奥ではちろちろと赤黒い炎が燃えている。

 羽織ったボロボロのマントが、ひらひらとはためいているが、そのマントをまとう本体のからだには、目の焦点を合わせることができず、どうなっているのか、はっきりしない。ただ、体に身に付けているらしい、宝石や首飾り、鏡などの呪物が、ギラギラと輝いていた。


 圧倒的な悪意を感じるその姿は。


 「死霊王レイスだよ、あいつは……」

 「レ、レイス……?!」


 レイスはアンデッドの王。


 一説には、最上位の魔道士が死を拒み、自分に禁忌の呪いをかけることで誕生するとも言う、恐ろしく強い魔物である。何しろ、元魔道士だけに、攻撃魔法がほとんど通用しないのだ。その上に、肉体も半分以上がこの世にはない状態で存在する魔物のため、斬る、殴るなどの物理攻撃も効かないという、とんでもないしろものだ。


 「なんで、こんなところに、レイスが……」


 本来なら、ダンジョンの最下層にいるような化け物である。

 レイスは、わたしたちに、すうっと視線を向けた。


 「ぎゃっ!」

 「うぐっ!」


 視線を向けられた、ただそれだけで強力な呪力の圧迫を受け、わたしの体は急に重さが増したようで、足も力が入らず、がくがく震え始めた。

 それはジーナも同じで、辛うじて剣を構えてはいるが、その剣も力が入らないため、切っ先がぶるぶる震えて、いまにも下がっていきそうだ。


 そして、ユウは……


 ユウはといえば、いつもとかわらない。

 静かな表情で、ふつうに立ち、レイスを見ている。


 ああ、ユウはいつものユウなんだ。

 この人はいつだって、こうやって平気な顔なんだ。

 そのユウのかわらぬ姿に、いったんは抜けた足の力が戻ってくるようだった。


 レイスは、腕をゆっくりと持ち上げると、ユウを指さした。


 「愚カナ、チカラ無キ人間ヨ。我ガモトニキタレ」


  骨の指で、さし招いてきた。


 「我ガ不死ノ生贄トナレ」


 そうしている間にも、アンデッドの群れは、どんどんわたしたちに迫ってくる。

 わたしが急いで炎の魔法の詠唱を始めようとすると、

 レイスが、肉のない顔でにやりと笑ったような気がした。


 そして、


 「スベテノ精霊ノ契約ハ去リ、ココヨリ汝ノ望ミコトゴトク絶ユ、滅呪!」


 レイスの不気味な声が、洞窟に響き渡った。


 「あれは!」


 わたしは、その詠唱をきいて、うめいた。

 今、レイスが唱えたのは、相手の全ての魔法を無効にする反魔法の詠唱。

 この空間にある、敵方の魔力がすべてキャンセルされる。

 パーティの魔法使いの放った炎が、ぽしゅっと音を立て、一瞬にして消えた。

 わたしの発動しようとした魔法も、どこかに霧散して消えた。


 「あああ」

 「もうだめだー」

 「だれか、助けてくれー」


 冒険者たちが情けなく叫び声を上げる。


 「いいかい、ライラ、ジーナ」


 ユウは、レイスの反魔法の行使にも動ずる様子はなく、わたしとジーナに、


 「今から、ぼくがレイスのところまで道を作る。

  離れずについてきて。

  ぼくがジンタを奪い返すから、そうしたら君たちふたりで、ジンタを守って、安全なところまで離れるんだ」

 「わかった!」


 ジーナが即答した。


 どうやって? この反魔法の影響下で?

 でもユウなら、できる気がするんだ。


 「了解!」


 わたしも答えた。


 「よし、やるよ!」


 ユウが、きっと顔を上げ、その瞬間、ユウから何か大きな力が放たれるのがわかった。

 そして、その力を受けて、洞窟全体が、鳴動を始めた。

 天井のフウセンシリョウソウが、狂ったようにざわめき、そしてパラパラ散り始めた。

 レイスが、いぶかしげに洞窟の天井を見上げ

 次の瞬間、


 ずどぉおおおん!!


 轟音とともに、広大な洞窟の上部が全て、吹き飛んで消えた!


 (こ、これは、重力操作?)


 頭上の岩や土や、ひょっとしたら樹や、そうしたすべてのものが吹き飛ばされ、その結果、洞窟はもはや洞窟でなくなり、ただの深い窪地ととなり、天井の代わりにそこには青空が見え、そして、燦々と輝く日の光が、全てを照らした。


  オオオオオオオオ!


 アンデッドが叫ぶ。

  強力な陽光に焼き尽くされ、一瞬にして、何百体、何千体もいたアンデッドは全て蒸発して消えた。

 冒険者たちはおどろきのあまり、固まってしまっている。


 「ええっ? なにこれ……アンデッドが……ぜんぶ」

 「それ以前に、あの巨大な天井、どこいったの?……」


 わかるよ。わたしたちだって、びっくりだ。


 「さあ、今だよ!」


 そして、ユウの号令一下、アンデッドの消滅した広間を、わたしたち「雷の女帝のしもべ」が駆け抜ける!


 「バカナッ!」


 さすがにレイスクラスの魔物ともなれば、陽光で消滅したりはしない。

 太陽の光の下、平然と立っている。

 ただし、肉体的には、消えたりしなかったというだけだ。

 予想を超える事態に、さすがのレイスも、精神が狼狽しているのは明らかだ。


 「コノ魔法ハ何ダ? コノ我ガシラヌ魔法? イヤ、ソモソモ、ナゼ、ナゼ魔法ガ発動シタノダ?!」


 ユウが答えた。


 「ぼくの力は、魔法ではないから」


 その間も、レイスに向かって走り続ける。


 「クッ、クラエ! 地獄ノ業火!」


 レイスは迫るユウに向けて、やみくもに炎の魔法を連発するが、ユウはそれをものともしない。

 レイスの放った炎は、ユウに到達する直前でなぜか全て消えてしまうのだ。


 「悪いね、ぼくには、いっさい効かないんだよ」

 「キサマ、ホントウニ人間ナノカ?!」

 「たぶん?」


 ユウは、あっというまにレイスに到達し、うろたえるその手からジンタをあっさり奪い返した。


 「ジーナ、ライラ、頼む!」


 ジンタをジーナに放り投げ、ジーナが獣人の反射神経でキャッチ、わたしはそんなジーナを守りながら、レイスから脱出する。


 「オノレ……コザカシイ」


 レイスは眼窩の奥の炎を滾らせながら、


 「ダガ、オロカモノメ、コゾウノ代ワリニ、オマエヲ捕マエテヤッタゾ……」


 マントでユウの体を包みこんだ。ユウのからだが、暗黒に抱きしめられる。


 「ユックリ、オ前ヲ貪リクッテヤル」


 レイスは、金属じみた不快な声で高笑いをした。


 「それはどうかな」


 ユウは平然と


 「ぼくは、アンバランサー」

 「……? ドコカデ、聞イタ、ヨウナ……」

 「アンデッド、それはこの世界の、本質的なことわりである生命の渦を、呪力で歪め、滞らせているもの。

  アンバランサーは、その渦を回すことができる。すると、どうなるかな?」


 そう言って、レイスの眼窩を臆せず覗き込んだ。


 「ウォッ?」


 レイスの輪郭が、ぶるぶると振動を始める。


 「……コノチカラハ……イッタイ? ……我ノ存在ガ……根源カラ崩サレ……ル」


 レイスの暗黒の体は切れ切れとなり、いくつもの小さな渦をつくりながら、虚空に消滅していく。


 「あ、あんばらんさー……ソウダ、カツテ、我ガ人間ダッタ頃……ソノ噂ヲ聞イタ……コノ世界ノ理ノ外ニアルモノト……」


 レイスは、怒りに震えながら、身悶えた。


 「ソノヨウナ存在ガ、世界ノ内ニ、アッテヨイモノナノカ?!」


 ユウは静かに言う。


 「たぶん、よくはない、それは分かっているよ」

 「消エル……不死ガ……消エル……」


 そして、水泡がはじけるように、レイスは消えた。

 レイスの本体が消滅すると同時に、レイスが身にまとっていたさまざまな装飾が地面に落下し、けたたましい音を立てた。そこに残るのは、刀、宝石や鏡、効果の計り知れない呪具などの小山。


 「やった……なんと……とうとう、あの死霊王を倒しちゃったよ……」


 わたしが呆然としていると、


 「あっ! ライラ、ジンタをお願い!」


 ジーナが、ジンタをわたしに預けて、駆け出していく。


 「お宝、お宝の山だあ!」


 ジーナ……。


 わたしは思った。


 ジーナ、あんたのそういう、ブレないところは尊敬するけど、だけどさあ、これはわたしたち『雷の女帝のしもべ』の、記念すべき初クエストで、しかもあのレイスと戦ったっていう……だから、ね、もう少し、わたしたちは戦いの余韻ってものをさあ……

 まあ、いいけどね。

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