その人は、「雷の女帝のしもべ」となった。
「さて、どれにしようか」
「うーん?」
わたしたち三人は、冒険者ギルドのホールにいた。
ホールの壁に取り付けられた、黒い大きな石板の前に立っていた。
この掲示板には、白い蝋石で、いくつものクエストが書かれている。
現在募集中のものだ。
冒険者は、そのなかから、これはというものを選び、受付にそのクエストを受注することを申し出る。
ギルド職員が申し出を吟味し、認可すると、掲示板のそのクエストには<遂行中>の印が付けられ、達成されるのを待つことになる。
クエストにはそれぞれ、その難易度のランク、成功した場合の報酬など、いくつかの情報が記されている。冒険者は、その情報を頼りに、請け負うクエストを決めていくわけだ。
なかには実力不相応なクエストに挑もうとする冒険者もいるため、そのあたりの判断をギルド職員がおこない、受注を認めない場合ももちろんある。
特に、駆け出しの冒険者は、自分の実力を客観的に見られず、往々にして自信過剰の傾向があるために、無謀なクエストを希望してしまうことがよくある。
それで初心者はしばしば命を落とす。
ベテランほど死ななくなるのだ。
まあ、本人が実力不足で死ぬのは、それは自己責任だから仕方ないといえば言えるのだが、それだけでは済まなくて、失敗したあげくに状況をこじらせ、被害をさらに拡大してしまうことも稀ではない。
その後始末をしなければならない立場の人間にしてみれば、大迷惑だ。
だから、ギルドも、判断を慎重にせざるをえないのだ。
「なんで、ダメなんだよ?! アンデッドを始末するだけのクエストだろ」
今も、いかにもな感じの、ひと組のパーティが、受付でもめていた。
若い男三人と、女一人のパーティだ。
「ですから、なんども言っているじゃないですか。あなたたちのパーティに、浄化魔法を使える人は、ひとりでもいるのですか? アンデッドに立ち向かうのに、浄化魔法は必須ですよ」
そう答えているのは、アリシアさんだった。
頭に血を昇らせてまくしたてる、単純そうな若い男にも、きぜんとした態度で応対している。
さすが有能なギルド職員アリシアさんだ。
男はそれでも、なかなか、ひきさがらない。
「そんな魔法なくても、アンデッドぐらいなんとでもなるんだよ!」
「あなた、アンデッドのこと、わかってますか? とにかく、だめなものは、だめです」
「なにおぅ?」
怒鳴り声をあげて、男が、剣の柄を受付の机にたたきつけた。
「なあるほど、お前たちの自信のほどは、よおーくわかった……」
ドスの効いた声がした。
ぬうっと、サバンさんのたくましい体が、後ろから現れた。
元狂戦士の鋭い眼光に射竦められ、
「ひぇっ」
若い男は情けない声をあげ、一歩下がった。
「お前たちが、アンデッドを始末できるかどうか、念のため、いまから俺が確かめてやるよ。あくまで、念のためだけどな。さあ、こっちにこいや!」
そういうサバンさんに、がしっと肩を掴まれ、「うああああ……」抵抗もできず、男は、扉の奥に引き摺られていったのだった。
「バカだなあ……」
ジーナがつぶやいた。
「バカだね……」
わたしも言った。
「わたしたちは、ちゃんとやろう」
なにしろ、今日、これからのクエストは、わたしたち三人がパーティを組んで初めての、記念すべきクエストなのだ。きっと、あとあとまでわたしたちの記憶にのこるのだから、それにふさわしい仕事で、きっちりと達成しないといけないと思うんだ。
——どんなクエストがいいかなあ。
そう思って、石板のクエストを真剣に吟味していると、
ガラーン
ゆっくりと、ギルドの扉が開いた。
振り返ると、そこには、小さな男の子が立っていた。
冒険者ギルドとはあまりに場違いなその姿に、冒険者たちが思わず話をとめ、注目していると、男の子は、とことこと石板の前までやってきた。
そして、置いてあった蝋石を手にし、石板の一番下、空白があるところに何か書き込み始めた。
のぞいてみると、
ねずみ、たいじしてください
ちかしつにでます たべものやられています
おながいします
と、つたない字で書いているのだった。
「おいおい、どうすんだよ、これ」
「ぼうず、かってにかいたらダメだろうが」
と、それをみた冒険者たちから声がかかり、アリシアさんが受付からやってきた。
子どもは、アリシアさんに
「ここで、こうやって頼みごとを書いたら、冒険者さんがなんとかしてくれるって。そう聞いたんだ」
迷いのない顔で言った。
「うーん……、基本的にはまちがってはいないんだけど……」
アリシアさんはつぶやいた。
アリシアさんは、しゃがみこんで、視線を男の子にあわせて
「こまってるんだね。それで、この依頼は、だれの依頼なのかな? 家の人に言われてきたの?」
「んーん、お母さんはそんな余裕ない。妹とぼくで考えたんだよ」
「そうなのかあ、よく思いついたねえ。だけど……こうやって、ギルドで依頼をするには、報酬をはらわないといけないんだよ」
「ほうしゅう?」
「お礼のお金のこと」
「そうなんだ……」
こどもは、それをきいて、しょんぼりした。
「ぼく、お金なんか、ないよ」
うなだれてしまう。
「ねえ、君」
そこへ、ユウが声をかけた。
「なにか、お金じゃなくてもいいから、お礼になりそうなものはないかな……」
「うーん……」
「君が、これならお礼にふさわしいって思うものだよ」
こどもは考え込んで
「そうだ! お母さんのクッキー? とてもおいしいよ」
「いいじゃない、クッキー、おいしそうじゃない?」
ジーナが言い、アリシアさんがほっとしたようにうなずき、「受注、認可します!」とその場でいい、なんだかよくわからないけど、きっとたぶんこれは、ギルドの正式なクエストではないのかもしれないのだけど、わたしたちパーティの栄えある初クエストは、男の子の家の、地下室のねずみ退治にきまったのだった。
その男の子——ジンタに案内されて、わたしたちはジンタの家まで歩いて行った。
道々、ジンタは状況を説明してくれる。
ジンタは、街はずれでお母さんと暮らしている。
家には食べ物などを貯蔵する地下室があるのだけれど、ここ半年ほど、地下室があらされるのだそうだ。
野菜がかじられる。小麦の袋がやぶられる。
そんな被害が続いているのだそうだ。
夜になって、みんなが寝静まると、がたがたと地下で音がするようだ。
家には、お母さんと、ジンタ、そして妹のユーリしかいない。
「ユーリは、ここのところずっと、体の調子がよくないんだ」
ジンタが悲しそうに言う。
「昼間も、寝てることが多いんだよ」
お母さんといっしょに、ジンタも地下室を調べてみたが、ねずみの侵入場所さえ、見つけられなかったようだ。
ジンタの家は、町をぐるっと囲む城壁の、すぐ内側にあった。城壁の向こうに、高く茂った森の樹々がみえている。
壁にそって並んだ石造りの長屋のような建物の、端にある、ひと間だった。
「お母さん、冒険者さんをつれてきたよー」
ジンタが叫んで、家に飛び込んだ。
「えっ、ジンタ、どういうこと?」
家から、ジンタに手をひかれて、エプロンをつけたやさしそうな女性が出てきた。疲れているのだろうか、顔色はあまりよくなく、髪もすこし、ほつれていた。
「あ、はじめまして」
びっくりする女性に、わたしたちはあいさつする。
「わたしたち、ジンタ君に依頼されてきました、冒険者パーティ……」
わたしはそこまで言って、三人のパーティ名をまだ決めていなかったことに気がついた。
パーティ名……パーティ名……
冒険者といって頭に浮かんだのは、ギルド副マスターのサバンさんで、サバンさんがルシア先生に「お仰せのままに!」と言って……。そんなことが頭をよぎったせいか。
とっさに思いついて名のった。
「……『
「ええっ? それ初耳っていうか」
「なんだい、それ……」
ジーナはあぜんとし、ユウは苦笑した。
しかたないよ。
そんなかんたんには思いつかないんだよ。
ぱっと浮かんだのがこれだったんだもん。
「きっと、今ごろ、ルシアさんはくしゃみをしているな……」
ユウがつぶやいたが、なんのことだか、わたしにはわからない。
「えっと? それで、その冒険者様が……?」
ジンタのお母さんは、話がわからないという顔だ。
「ねずみだよ、地下室のねずみ! ぼくが、ギルドまでいって、退治してくれるようにたのんだんだ」
ジンタは得意気にいった。
「まあ!」
お母さんはおどろき、そして困った顔をした。
「あの……息子が、迷惑をかけてしまって……もうしわけありません。でも、そもそも、冒険者さまに依頼するような内容じゃないし、それに……情けないですがうちは貧乏で、報酬なんかとても……」
「大丈夫です、お母さん!」
とジーナが力強くいった。
「これは、わたしたち『雷の女帝のしもべ』の記念すべき初仕事です! 初回限定特別サービスで、報酬は、おいしいお母さんのクッキーを、たらふくいただくことになっています!」
「えっ?」
いや、ジーナ、どこからつっこんでいいのか、もはやよくわからないが、あなたのセリフは、いろいろとだめだと思う。ちゃっかり『雷の女帝のしもべ』っていってるし。「たらふく」って、ただのあなたの願望だし……。
「お母さんのクッキーおいしいよ!」
ジンタが、また得意気な顔で言った。
「まあ、とにかく、お困りなのでしょう? ご期待にそえるかはわかりませんが、よろしければ、ぼくたち『雷の女帝のしもべ』におまかせください」
ユウが、さらりと言った。
……わたしたちのパーティ名は『雷の女帝のしもべ』に決定したようだ。
「あまり、きれいでなくて恥ずかしいのですが……」
そういいながら、お母さんは、わたしたちを家に入れてくれた。
そんなことはない。
部屋は決して広くはないが、こぎれいに片付いている。
わたしたちが入っていくと、奥の部屋、たぶん寝室、のドアが遠慮がちに開いて、そこから小さな女の子が顔をのぞかせた。かわいらしい顔立ちだが、顔色は青白く、やつれているために、目の大きさがさらに目立っていた。
この子が、ジンタの妹、ユーリなのだろう。
「お客さん?」
と、か細い声で言った。
「ユーリ、無理しなくていいから、寝てなさいね」
お母さんが、やさしくいった。
ユウはその姿をじっと見つめ、なにかを考えるようだった。
「お母さん、ユーリさんの調子が悪くなったのって、いつぐらいからですか」
「そう……半年くらい前からかしら。からだがだるいっていうようになって……」
「台所で、ねずみがではじめたのは?」
「それも……同じくらいかもしれません。でも、それが、なにか?」
「もう一つ……この建物ぜんたいで、ほかに調子の悪い人いませんか?」
お母さんは眉をひそめた。
「上の階の、マイルさんに、二軒隣のサモンさんもそうですね……ここはたしかに、環境があまりいいとは言えないので、たぶん、病人も……」
「なるほど……あなたも、あまり調子はよくなさそうだし……」
ユウは考え込んでいる。
「ここが、その、地下室の入り口です」
と、お母さんが、台所の床を示した。
一角に、木の扉がしつらえてあった。
そして、その扉を持ち上げて開けた瞬間、
「ん?」
わたしたち三人ともが、妙な違和感を感じたのだった。
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