その人は、150年の呪いからエルフを解き放つ。

 「ねえ、ライラ、そこにいるんでしょ?」


 いきなりユウに呼びかけられて、わたしは固まってしまった。

 そうなのだ。

 わたしは、さっきから院長室の扉にはりついて、二人の会話に聞き耳をたてていたのだ。


 (えっ、ばれてた?)


 わたしの顔は真っ赤になった。

 なにか、ユウの秘密に関係する大事な話があるような気がして、そーっと扉に忍び寄って、二人が話すのを聞いてしまっていた。

 知りたがりが、わたしの悪いところなんだ。

 細かいところまではよく聞こえなかったけど、漏れきいた二人の会話は、口調からなんだか大人っぽい雰囲気で、聞くのもまずいような気もして、なんどもその場から離れようと思ったんだけど、けっきょく盗み聞きをやめられないままでいた。


 「院長先生、いいですよね?」


 ユウは、院長先生に確認を取ると


 「ライラ、君も入ってきてよ」


 そういったのだ。


 「ごめんなさ……あっ!」


 謝りながら、おずおずと扉をあけると、まず目に入ったのが、禍々しい呪いの紋様を身にまとわりつかせて立つ、全裸のルシア先生だったのだ。


 「せ、せんせい……」


 無残なそのありさまに、ことばを失うわたしに、ルシア先生は、口の端で笑った。


 「驚いたでしょう、ライラ。これが魔獣の呪いよ……150年間続いているわ」

 「苦しくないんですか……そんな」

 「この程度の痛みは耐えられるわね……それより、魔法が使えないのが、やっぱり不便ね」


 ルシア先生はさらりと言った。


 「ああ、ルシアさん、やっぱり痛み、あるんですね」


 ユウが、眉をひそめた顔でいった。


 「ルシアさん、やっぱり、あなたは大した人だ……。でも、それももう終わりですよ。

 ぼくが今からなんとかする。

 それで」


 ユウはわたしに向かって、


 「ライラにも手伝ってほしいんだよ」

 「えっ?」


 それはたしかに、ユウになら呪いだって、なんとかなってしまうかもしれないが、このわたしが……、魔法だってろくに使えないこのわたしが、こんな150年も続く呪いに、できることなんか、一つだってあるとはとうてい思えないのだが。


 「ライラの生命の渦は、実は、ルシア先生の渦にパターンが似ているんだ。大魔導師のルシア先生と渦のパターンが似ているということ、それはとりもなおさず、ライラに優れた魔法の適性があるということなんだけど……」

 「そう、ライラの魔法の適性については、わたしも以前からそう思っていました。たぶん、ライラには、潜在した大きな能力がある」


 と、ルシア先生も確信のある声で言った。


 「はい?」


 わたしはユウと先生の会話についていけてない。


 「適性はさておき、ふたりの渦のパターンが似ているというところが、この場合重要だ。つまり、健全なライラの渦を、ルシア先生の滞った渦に重ね合わせるようにして、ルシア先生の渦にかけられた呪いのブロックを崩す」

 「でも……」


 と、ルシア先生が


 「それで、ライラになにか危険が及ぶようなことはないですか? もしそうであるなら、わたしは、解呪をのぞみません」


 きっぱりといった。

 思わず、わたしは大きな声をだした。


 「わたしなら、大丈夫です! それで先生の呪いが解けるなら、なんだって……まあ……まあ、ちょっとは怖いですけど」


 ユウがやさしく笑った。


 「大丈夫だと思うよ。ライラの渦をコピーして、それをルシア先生の渦に上書きしようとするようなものだから、オリジナルであるライラには影響はないと思うんだ」


 そう説明してくれたが、何を言っているか、正直、わたしにはさっぱり理解できなかった。


 「それなら、いいのですが……」


 ルシア先生は、まだ心配な顔をしているが


 「大丈夫です、先生。ユウは本当にすごいんですから。ぜったいになんとかしてくれます!」


 わたしはルシア先生にそういって、


 「少し恥ずかしいけど、わたしもがんばります!」


 恥ずかしさをこらえながら、決意を固めて、服をぬぎはじめた。

 男性であるユウの前に、肌をさらすのは、年頃の女性としてはつらいものがあるのだけど。

 でも、ルシア先生のためなら、そんなことをいっている場合ではないのだ。


 「ちょ、ちょっと待って!」


 ユウがあわてた声を出した。


 「なんで、ライラが服を脱ぐの!」

 「えっ?」

 「いや、なんでそこで君が、いきなり服をぬぐのかな……」

 「だって、ルシア先生も、ああだし、わたしも脱がないと、解呪はできないんじゃあ」

 「そんな必要はないんだよ」

 「えーっ?」


 わたしは、もう脱いでしまった上衣で、あせって自分の体をかくした。


 「そ、そうなんだ……脱がなくても、いいんだ……あはは……」


 ユウはわたしから急いで目を逸らし、わたしはからだがかっと熱くなり、ルシア先生はくすりと笑っていった。


 「ありがとう、ライラ。あなたのその気持ちは、とてもうれしいわ」

 「は、恥ずかしいです……」


 わたしは、自分のかんちがいに小さくなった。でも、この状況なら、そう考えてもしかたがないよね。そんなふうに自分を慰めるのだった。



 「それでは、はじめよう」


 ユウが言い、ルシア先生とわたしは、ユウの前に並んで立った。

 ユウの顔が、引き締まる。

 そして、わたしをじっとみつめた。

 わたしのからだの内部までをすべて見通すようなその瞳に、今は服をまた着ているのだけど、それでもなにか、わたしは体が熱くなり、胸がどきどきしてくるのを止められない。

 しばらくわたしをそうやって見ていて、


「よし、完全にコピーしたぞ。これをこんどは」


 ユウは次に、ルシア先生に瞳を向けた。

 わたしと同じように、ルシア先生をみつめる。

 ユウは、ルシア先生の顔をのぞきこみ、安心させるようにひとつうなずくと、その視線をルシア先生の体幹に下ろしていった。ルシア先生の均整の取れた美しいからだにからみつく、うごめく黒い紋様をたどるようにして、視線を走らせる。


「ルシアさんの渦の、呪いの部分だけに、健全なライラの渦を、こうして、上書きコピーしていけば……!」


 集中するユウのひたいを、ひとすじ、汗がつたった。


「あっ」


 変化が現れた。

 その黒い紋様がざわめいた。

 紋様はいっしゅん、驚いたようにその動きをとめて、そしてまたじわじわと動き出すが、新しい動きは、それまでのものとは違って、なにかバラバラだった。おそらく、ルシア先生を拘束している呪いの秩序が、崩されようとしているのだ。


 (これが、アンバランサーの力!)


 ユウはその紋様の様子を、相手の一瞬の動作も見逃さないような、すぐれた戦士が相手の力量をはかるかのような目で、みつめている。


 (すごい!)


 「崩れる……紋様が、崩れていく……」


 今、紋様はもはや、統一した全体を保つことができず、弱々しく、切れ切れになって薄れていく。


 「うふぅぅ……ああぁ…………」


 ルシア先生が、ドキリとするような、なまめかしい吐息を吐いた。


 そして――150年、ルシア先生を苦しめ続け、その魔法の力を奪ってきた、黒い呪いの紋様は、ついに消滅した。


 「やった、成功だ! これでルシア先生はもとどおりに……」


 ユウは告げたが、その瞬間、顔を真っ赤にして、慌てて横を向いた。

 体幹をおおっていた紋様がすべて消え去り、そのけっか、ユウの前には、なにひとつ隠すもののないルシア先生の、輝くような裸身が現れたからだ。


 (ユウさんって)


 わたしは、ほほえましい気持ちになったが、


 「うぁっ?」


 とつぜん、自分の体に異変を感じ、叫ぶことになった。


 「なに、これ?」


 体が熱い。

 なにか大きな力がどんどん自分に流れ込んでくる。

 けっしてそれは嫌なかんじではないんだけど。

 力強くて、やさしくて。

 圧倒されるような、そしてどんどんなにかが広がっていくような。


 「うああああ?」

 「ライラ?」


 ユウがわたしの両肩をがっとつかんだ。

 そして、わたしを視た。


 「大丈夫ですの?」


 ルシア先生が心配そうにきく。


 「…………」


 沈黙の後、ユウが、ぽつりと言った。


 「レゾナンス……」


 ルシア先生が聞き返す。


 「レゾナンス?」

 「そうです。

 コピーはオリジナルに影響を及ぼすことはないと、僕は言ったけど、まちがっていたようです。

 ライラの渦をコピーした結果、ルシア先生の生命の渦と、ライラの生命の渦が非常に似通ったものになったために、二人の渦の間に共振レゾナンスがおきて、圧倒的に力の大きなルシア先生の方から、ライラに向けて、渦の調整がおこりました」


 ルシア先生の顔が青ざめた。


 「では、わたしの呪いがライラに? ああ、それは!」


 うろたえるルシア先生のことばを、ユウが打ち消した。


 「大丈夫です、ルシア先生。そうではないのです。これは調整なのです。けっして悪い結果にはなりません、このことで、ライラの身に起きることは、むしろ……」


 ユウがそこまで言ったとき、


 建物のどこかで、


 バリン! 


 と大きな音がして、


 

 


 子どもたちの悲鳴が、わたしたち三人の耳をうった。

 悪意をもった何者かが、今、わたしたちの院に侵入したのだ。

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