<院長室での、ユウとルシアの対話>

 「今日は、ありがとう。あなたのおかげで、子どもたちも大喜びよ」

 「喜んでもらえて、よかったです。でも、しとめたのは、ジーナですよ」


 草豚のシチューに満足した子どもたちが、ベッドでそれぞれの夢をみはじめた時間。

 院長室で、ルシアとユウが、向かい合って話をしている。

 院長室は、ルシアの私室も兼ねていて、今のルシアはラフな白の貫頭衣を着ていた。

 テーブルについた二人の間には、ルシアが淹れたハーブティがあった。

 部屋には柔らかい、こころが落ち着くようなハーブの香りが漂っていた。

 ルシアが、その鳶色の瞳でユウをじっと見つめ、そしてはっきりと言った。


「ユウさん……、あなたは、この世界の人ではない。そうですね?」


 ユウは、不思議そうな顔できいた。


「ルシアさん、なぜ、それを?」

「わたしは、以前、あなたのような、別の世界からきた人に会ったことがある。

 それは……」


 ルシアは、ハーブティを一口飲み、そして遠くを見る目になった。


「ずっと、ずっと昔……そう、わたしがまだ、この院のこどもたちよりも、もっと幼くて、だから、あれは……そう、かれこれ800年くらい前のことになるかしら」


(800年! ルシアさんの年齢って)


 ユウのその考えを読んだように、ルシアは微笑んだ。


「そうよ、びっくりした? わたしは920歳のおばあちゃんなの」


 ユウはどぎまぎして


「いや、その、エルフってほんとうに長命なんですね」


 などと、どうでもいいことをつぶやく。


「ふふふ……あなたも、でしょうに」


 そして、ルシアは話を続けた。


「……その人は、突然現れた。

 ここからずっと、ずっと北の方にある、わたしたちエルフの村に。

 そして、しばらく滞在して去っていった。

 不思議な人だったわ、そう、あなたのように。

 そういえば、髪の色も瞳の色もあなたと同じだった。

 服装もなんだか似ているわ。

 その青いズボンは何って、わたしがきいたら、だよって。

 ひょっとして、あの人、あなたと同じ国からきたのかしらね。

 朝ご飯をわたしたちといっしょにたべるたびに、こういってたわ。

 『ああ、あったかいご飯に、生卵をかけて食べたいなあ……』」


 ユウは思わず笑った。


 「ああ。まちがいないです。その人、ぼくと同郷ですね。でも、800年前? なにか時間があわないような気もするけど……」


 首をひねる。


 「その人も、自分は『アンバランサー』だって言ってた……。

 アンバランサーってなんですか、ってわたしが聞いたら、少し考えた後、自分でもはっきりしないけど、たぶん、均衡を崩す役目じゃないかっていってたわ。

 渦が滞らないようにする役目なんだって。

 乱れた渦をただし、滞った渦を開放して、世界がちゃんと続くようにする役目だって。

 そのために、この世界を旅しているんだ。

 そのために、もともといた世界から、ここに、この世界に、連れてこられちゃったんだよ、

 そう笑っていた」


 ルシアがその人の話をするとき、その表情はとても幸せそうだった。


 「とても、優しい人だったのよ……」


 ルシアは独り言のようにつぶやいた。

 ユウは、首をひねった。


 「均衡を崩す……均衡が崩されないと、いったい何が起きるというんだろう……」

 「さあ、……わたしにも、わかりませんわ」

 「それで、その人はどうなりましたか」

 「わからない。

 わたしは、その人にはそれから二度と会うことがなかった。

 でも、世界はちゃんと——いや、ちゃんとかどうかは、ちょっとわからないけど——なんとか、まだ、続いているわ。

 あの人が、任務を全うしたということなのかしらね。

 あら……おしゃべりしているうちに、冷めてしまったかしら。お茶淹れなおすわね」


 ルシアは、さっと立ち上がろうとして、痛めた足もとがふらつき、よろけてしまった。


 「危ない」


 ユウが、手を伸ばして、そのからだを、さっと支えた。


 「ありがとう」


 エルフの長身ながら均整の取れたからだにふれて、ユウはどきりした。

 ルシアはたしかに美しかった。

 なにかの花のような、馥郁とした香りもする。


 「この足……」


 ルシアは苦笑いをした。


 「わたしにかけられた呪いがどうしても解けないの。150年前に、王都を滅ぼそうとした魔獣との戦いで受けた呪い。そのために、どんな回復術をつかっても、この足は治らないし、そもそもわたし自身、その呪いを受けた時から魔法が使えなくなってしまったのよ。魔法の手順はわかっていて、魔力も自分の中にあるのがわかるけど、いくらやっても、魔法は発動しない……」

 「それは……」

 「まあ、魔法が生きるすべてではないし。

 私はここまで900年生きてきた経験と、その間に蓄えた知識があるから、それでなんとかやっているけど……」


 質素ではあるが、たくさんの本に囲まれた部屋をぐるっと見回して、


 「そして、その知識を伝えていきたくて、その知識でみんながもっと幸せに暮らせるようにしたい、そんな願いがあって、世界が荒廃したあの戦いのすぐ後から、こういう場所をはじめたわけだけど、まだまだね。こどもたちに、十分に食べさせてあげることも、なかなか難しい」


 淡々と話すルシアの横顔を見て、


 (そうやって、150年ものあいだ、この人は、ひとりでがんばってきたんだなあ……)


 ユウは目頭が熱くなった。


 「尊敬しますよ、ルシアさん、あなたはりっぱな人だ」


 おもわずルシアの手をとってしまい、あわてて離した。

 柔らかな感触が、ユウの手に残る。

 ルシアは、こぶしを握り、


 「わたしは、自分にできることをしているだけなの、ただそれだけ……。でも、思うことはあるわね、もう少し、前の自分が持っていた力がもう少し使えたら、この場所も、もっと、なんとか……ってね。これでもわたしは、かなり名の通った魔導師だったから……」

 「ルシアさん」


 ユウが真剣な顔で言った。


 「はい?」

 「なんとか、なるかもしれない」

 「えっ?」

 「あなたの、その呪いです。ぼくには、その呪いの機構しくみがわかるような気がする……」

 「まさか……」


 ユウには、えていたのだ。

 ルシアのからだの中にある、複雑に絡み合ったたくさんの渦。

 本来は、それらの渦が協調して働き、生命を十全に発揮するのだが、ルシアのものは、その渦に、何か所か、ブロックがかけられていた。そのため、生命の渦の回転が滞っている。

 ときおり、滞った部分の渦が、無理にも回転しようとするのだが、ブロックのため軋んでひきもどされてしまう。それは痛々しかった。


 (あれが、呪いの正体だ。ルシアさんの生命の均衡が崩されている。いや、本来崩れて流れるはずの均衡が固定されている。それを解除して、元に戻すことさえできれば……そして、アンバランサーならそれができる)


 ルシアはいぶかしげに言った。


 「そんなことが、本当にできるのですか? 魔法が得意なエルフの、最高の術者でも無理だったのに……」


 しかし、ユウの中には確信があった。


 「できます、ぼくがその呪いをとく」


 しばしの沈黙の後、ルシアは


 「わかりました。アンバランサーを……いえ、ユウさん、あなたを信じて任せます」


 そういって、いきなり、貫頭衣を脱ぎ捨てた。


 「えっ?」


 衣の下から、エルフの輝くような白い裸身がなんの被いもなく、あらわとなったが、


 「これがわたしにかけられた呪いよ……」


 その美しい裸身は、体幹をまがまがしい黒い紋様でおおわれていた。その紋様はしかも、その瞬間も、うねうねと動いていた。

 ユウの目には、その紋様が、ルシアのからだの中にある生命の渦をキャンセルするがごとく、逆回転して妨害しているのが見えた。


 「だいじょうぶ、そんなもの、アンバランサーのぼくが消してみせる……」


 ユウは、力強く断言した。


 「でも、その前に」


 そして、院長室のドアの向こうに呼びかけた。


 「ライラ。そこにいるんでしょ?」

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