第21話 起こらないビックバンを待つ宇宙がここにある



 木野目の運転により、矢山の自宅を目指す。矢山は助手席へ、五郷と一条は後部の居住スペースにつく。

 矢山は猫を膝に置き、運転の揺れで落ちないように手でそっと押さえていた。猫は大人しくそこにいた。

 エンジンをかけ、駐車料金の支払う。車を走らせ移動を開始した。道路に出て走り出す。そして、けっきょく。数分足らずのうちの矢山の自宅前への到着した。

 車が矢山の上にまえに停車される。木野目によって、サイドブレーキがひかれ、エンジンも切られる。

「ついに着いたよ、ふたりとも」矢山が後部を振り返り言い放つ。後部からは、猫のしっぽが揺らいでみえた。

「見ればわかる」五郷が淡々と返す。「うん、思えば五日前、俺はここでひき逃げされたな」

 一条は「そういえば、そんなこともあった」もはや、遠い記憶を呼び覚ますような様子でいう。「いまさらだけど、五郷くん、脳とかだいじょうぶなの? 今日までの君の言動が、事故前と事故後で違うのかがわからないのが、この心配の致命的なところではあるけど」

 すると、矢山が、遠い目をして微笑んだ。「いまにして思えば、それも、もういい思い出だね」という。

「いい思い出なワケがねえだろ。ただ殺人のされる側の記憶でしかねえよ」

「いやー、ふはは、でも、こんな会話も、これが最後かもしれないよ、五郷くん」

「ああ、さびしくなるぜ」

「うん、私には、それが君の心からのセリフじゃないと完全にわかってしまうさ」

「まあ、実際は無だよ。宇宙が始まる前の状態が、いまの俺の心に近い。起こらないビックバンを待つ宇宙がここにある。つか、いいからさっさといけよ。終わるからって感動なんてねえんだよ、自分に都合のいい幻想ばっかみやがって」

「いやいやいや、でも私ひとりじゃいけないよ。家には帰れないってば」

「うっせえな、あんたの感情のなかじゃ帰れねえかもしれねえが、物理的には移動できるだろうが、家までよぉ。いいから行けよ、その自慢の二足歩行で。俺と一条さんが一緒にここまで付き合ってやってんだって、こっちは大サービスなんだぜ。いいか? サービスのランクで言ったら、腎臓のかたっぽ移植してやったぐらいの気持ちのサービスなんだから。がたがた言ってねえで帰れよ」

「まるで悪鬼だね、君は」

「あの、矢山さん」そこへ一条が場を諫めるように口を挟む。「我々が一緒に貴方の自宅まで行ったら、もう場が混乱しますから」

「混乱?」

「ええ、混乱しますから」

「混乱って………どんな?」

「さあ、それは不明ですど、混乱しますよ。なにもかも」

 混乱の具体部分は考えてなかったらしい。それを微塵も隠すことなく、一条はその一点張りを突きつけてゆく。

 一条の表情には、この厄介な日々を一秒でも早く終わらせないという願いも垣間見える。

 そして、ここまで一条が何かを強く押し通したことがなかったせか、矢山は馴染みのない惜押しに屈してゆく。「そうかねえ………」

「ひとりで帰れますよ、矢山さん」

 心の揺らぐ矢山へ、一条はその肩を叩いて後押しする。一種の留めに見えなくもない。

 あと一刺しで、倒せる。その感じさえうかがえる。

「そうか、そうだな。わかった、私はひとりで帰るよ、うん」

「最初からそうしてろよ」五郷が憎たらしい言い方でいう。「なにもかもスタートするまえにひとりで帰っとけよ。家でも、土へでも」

「じゃあ、帰るよ。ふたりとも」

 矢山は五郷の発言に反応することなく、膝の上の猫に気を付けながら、シートベルトを外す。そして、猫を抱えて車をおり、ドアを閉めた。

「退屈だなあ」

 すぐさま五郷はそういって片手で腹をかく。どういう心境でそんなことを言い放ったのか、一条は理解しかねている様子だった。いっぽうで木野目だけが車をおりてから、通りを渡り、自宅の玄関まで向かう矢山のことを見ていた。五郷と一条も矢山が玄関先に立った時、はじめて窓からその様子を見た。

「ああ、呼び鈴押しましたね」一条がふわりと実況する。それから程経て玄関ドアが開く。「あ、あ、開いた、開いたよ!」

 ひとり興奮していた。


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