第17話 爪がコワい、噛まれそう



 店を変えた。

 前の店では矢山が喚き、店内の注目を集めてしまったため、他者の冷えた眼差しを一度、空間を変更することでリセットさせる。

 移動したのは元の店から国道を通りを挟んだ向かい側を少し進んだ場所にある、ファミリーレストランだった。昼食時から、やや芯を外した時間帯のためか、店内には半分ほどしか客で埋っていない。三人が向かい合い、座った席のテーブルには、各自がドリンクバーで入れたホット珈琲、紅茶、メロン風味の炭酸ジュースが置かれ、五郷前だけにチョコレート・サンデーがある。五郷は空腹かの如く、チョコレートとアイスの小集合体を食らい崩してゆく

 矢山は画面をタップしてスマートフォンをテーブルへ添えるように置いた。

「たったいま連絡が入ったよ、木野目さんからだ。車の修理は今日中に済みそうだと」

「なにが壊れていたんですか」

「エアコンが動かなくてね、塵が詰まってたそうだよ」

「まあ、現実の方はまだまだ現役で行き詰まってるけどな」

 五郷はいって、チョコレートへ齧りつく。そして食べながら続けた。

「おっさん、ネコ苦手なのか」

 問われた矢山は腕を組み、目をつぶっていた。

「おっさん」回答しない矢山を凝視し、五郷が「死んだのか?」と聞いた。

「いや、生きてるよ」

「電気ショックとかしようか?」

「それは蘇生じゃなくて、殺害目的のショックを与えてる方向だよね、そこの五郷くん」と、矢山が返す。

「で、猫が嫌いなのか。おっさん」

「んんん」問いかけられると、矢山は腕を固く組んだまま、目をつぶりうなった。「そうださ、無理なんだよ、猫………」

「ああ、どうりで一昨日の動物園」ふと、一条が思い出して話す。「スナネコの話して我々を妙に急がせてた」

「しかし、かるめ女子は猫好きそうだぞ。ノラにエサなんぞあげて」

「私は苦手なんだよ」

「なんで」

 五郷が雑に問い返す。

「爪がコワい、噛まれそう」

 放たれた回答に対し、一条は「なんだろ、シンプル過ぎて、意外とコメントしづらい理由ですね」といった。

 次に五郷が「なのに、おっさんの娘は家で猫飼っていいかって、聞いてきて、それで、さっきの店で発狂したってか?」背もたれに肩肘を乗せ、半身をひねった状態でいった。「なんか、おおげさな人生を生きれてて、もう、うらやましいよ。そういうランクだよ、おっさんの生きざまは」

「だってさ、ふたりとも」矢山はぐい、っと半身をテーブル越しに二人へ近づける。

 一条はひそかに、その身体があたらないようにコップをどかした。

「家の中に猫がいたら私は永遠へ帰れないだよ、これは由々しきことだよ」

「なら、別に家ん中に入んなくいでもいいじゃねえか。ただいまー、おっさんだけ庭に穴掘って、そこでモグラみたいに暮らせよ。俺は困らないし、またに観察には行ってやるよ、モグラパパとしてやってけよ」

「だってだって、私は家には入りたいんだよ、もともと私の実家だし、あの家」

「あーあーあー、そういうさー、法的な所有権うんぬんの話で物事を進めようようってんだから、っく、やましい精神だなあ。紙に書いただけの権利がありゃ、なんでもやっていいと思ってさ」

 好き勝手に嘆き、五郷は大口でチョコレート・サンデ―を食らう。

 無論、チョコレート・サンデーは矢山の奢りとなるものだった。だが躊躇はない。手加減不在で食い、ブレーキを踏むことなく相手を愚弄する。

 すると一条が腕組みをしたまま少し身を乗り出す。

「あの、もうコレ言っちゃっていいですか。言っちゃってというか、ストレートに聞いちゃますけど。もしかして、もしてなんですけど、矢山さんって、もし下手に家に帰ったら、娘さんから猫を飼っていいか頼まれることがコワいがために家へ帰ろうとしないんですか?」

「一条くん、バレちゃあしょうがない」

「しょうがねえのはおっさんのそのものだ」五郷が冷たく言う。「しょうがないの最高潮があんただ」

 吐かれる毒など矢山はこれほども気にしない。むしろ「まあ、しょうがないんだよね」認めてゆく。「で、それそれとして、ここ数日に、いよいよかるめが猫を飼いたい感じをだね、どばどば出しているんだわ」

 そう言って、嗚呼ぁ、とこの世界を憂いるような声を出す。

「いやいや、たしかにね、私とウチの奥さんとの関係はいま微妙ってのはあるの。まー、それはさ、前々から決定されている距離感ともいうべきものではあってね、じっさい、だからといって家へ帰れない、というほどの強い理由ではないんだよ」

 しみじみとした口調で語る。すると、一条が「なら、家で猫を飼われるのがダメだから家に帰ってなかったってことなんですね」と訊ねた。

「うん、家に帰れないのは猫がいちばんの理由なの。いま下手に帰ってから、猫飼わせてくれって頼まれるじゃないかと思って、想像して、私は発狂しそうなんだ」

「じゃ、やっぱモグラでいいじゃねえか」五郷が言う。「いまいにち、だだいまー、って庭へ言って、そこに掘った穴へ帰れよ、で、次の日には、いってきまーす、っつて、穴から出勤してけよ」

「いやー。それは勘弁してくれたまえよ、五郷くん」

 矢山は拒否を承認してもらうように頼む。無論、五郷に決定権などないが、それでも矢山は回避を求める。「私はこれでも会社の社長なんだからさぁ」

「モグラ社長はダメなのか」

「いやぁ、やっぱモグラはちょっとねえ………」

「………オケラ社長は?」

 新案を提示しゆく、が、見かねた一条が「五郷くん、そのあたりにしとこうよ、長引くから」と肩を叩き注意した。それから矢山の方を向く。「矢山さんが家帰れない理由は、いまここでわかりました。でも、それって、あっちの方はどういう関係があるんですか? ああー………あっちというか、アプリですよ、《神殿》ですよ。家に帰れないこととアプリの《神殿》の当選者の動向がかるめさんのその日の気分次第で、世界を幸せにするか、しないかを決める仕組みにしたことと、どういう関連があるんですか?」

「え、いいや。私が家に帰れないことと、アプリの当選者の仕組みは別に関連なんてないよ」

「ないん………ですか………?」

「一条さん」すると、今度は五郷が肩を叩く。「バグってんだよ、やっぱ。だから、そこを追求しても時間をドブに捨てるとイコールになるだけなんですよ、これは最初から負け戦なんだよ、いま、この状況、これつーのは」

「いやはや………」

 考えたら負けである。うすうす感じていそうだったが、ここでついに言語化されたことで一条は頭痛でも発したのか、片手で頭を押さえはじめた。

「まあね」そこへ矢山が口開く。「ドブみたいな人間である、この五郷くんの言う通りだよ、一条くん。私だってね、私がその場の思いつきではじめた無策の数々をね、いざ、まじめにキチンと情報整理されだすとね、ツラいんだよ、うん」

 五郷への悪口と、聞く相手を途方に暮れされることを言って来る。

「だって、説明なんてつけられないんだもの」

 あげく、そういいだす。

 すると、五郷が「とりあえず」仕切り直すように言う。

 ふたりは五郷が見た。

「ここは、いったん、新人になったつもりで立て直しましょう」

「のうのうのう」一条が苦虫を噛みつぶしたように言う。「出来れば、なんにも立て直さない方がいいと思うよ。もし、ここで倒れてるなら、立って直さず、そのまま倒しておくのが最善だよ、ね、そのままそこで土へ還ろうよ」

「しかしどうせ、我々いい土にはなりませんぜ」

「土に対する評価うぬんの会話に変貌させないでよ」

「だって、一条さん」五郷があらたまっていった。「昨日、俺さ、我々は《愛の戦士》だとかほざいてしまいましたし、ねえ、言った以上はやり切らねば」

「律儀さが最悪の作用を起しんだよ、やめてよ、その律儀、どっかへ捨てなよ、その律儀」

「一条くん」矢山が諭すように言う。「君も往生際がわるいねえ」

「ああ、バカが二人もここにそろってんだもんなあ」

 ついに、一条は両手で頭を抱えた。

「ずるいよ、勝てるもんか、こんなもの………」

 すると、五郷が平然と「気持ちはわかりますよ」そういった。そして「しかし、我々は立ち止まってばかりもいられんのです」と言い出す。

 矢山が「んん、というと、五郷くん?」その先をうながす。

「かるめ女子は猫を飼えば幸せになる」

 五郷が神妙な面持ちで言い切る。

 その真剣な様子に一条も抱えていた頭を持ち上げ見返す。その上で、五郷は、ぼそっっと「幸せになる、と仮定しよう」と付けくわえてゆく。

 そして確固たる強い意志を用いるように続ける。

「かるめ女子が幸せになれば、あのぽんこつアプリの当選者だって、たちまち、いい感じの人に当たるようになるわけだろ。だが、いまここに鎮座する矢山のオヤジは猫が苦手なわけだ。で、もし家で猫を飼うとなると家へおっさんは帰れなくなる、だから、猫を飼うことを許諾できない」

「ああ、そうなのさ」矢山は大きくうなずいた。「素晴らしい情報の交通整理だよ、五郷くん」

 素晴らしい情報の交通整理。

 微塵もそうは思えません、という感想を一条は表情で示してゆく。

 いっぽう、五郷が話してゆく。

「ここでおっさんが死んででもくれれば、かるめ女子も誰の許諾もなく家で猫を飼えてハッピーエンドになるわけだが」

「うーむ、私だけハッピーエンドじゃないハッピーエンドはハッピーエンドとしないで欲しいなあ」

「そこをなんとか」ぐい、っと五郷は迫る。「俺はここに大胆なアクションを求める」

 死を迫る。

「無理だよ、死は」

「頓死とかで」

「では君も一緒に黄泉の国へ付き合ってくれるかね?」

「はは、戯言を」

「ほらね」と矢山は眉毛をいじりがらら言う。「じゃあ、死ぬのはなしなしね」

「ためにし七時間五十分ぐらい息とめてみろよ」

 一条が「死ぬ催促もまた大味だね」と、あきれている口調でいった。

 すると、五郷は「となると」ぬるり、っと切り替える。ここまでの提案内容には、微塵も固執などない様子だった。「残された方法はひとつだ。これが実現可能なラストの作戦になる」

「おお、ぜひぜひ発表してくれたまえ。いまのところ蛮族の末裔みたいな五郷くんよ」

「矢山さん、貴方が猫を好きになればいい」

「それは無理だね」

「なら、おっさんが猫になればいい」

「方向性のおかしくなる速度がすごかったね、いまのは」一条が口を挟む。「しかも、ラスト作戦って前置きして、すぐ別案だしたし」

「出てきた案のクオリティも少し焦った感じあったよね」と、矢山は一条へ声をかける。「出火元の品質がさがってるよ、五郷くん」

 言われて、五郷は神妙な面持ちを保ったまま、静かに言った。「俺を追い詰めること、無かれ」

「けど」そこで声を発す、一条の表情はやや明るさがあった。「じつは矢山さんが猫嫌いを克服するって、ベストなんじゃないですか。猫が苦手なのを、訓練して克服すれば」

「とんでもないよ、一条くん」顏と手をぶるぶると左右に振る。「猫を克服するために訓練なんてしたら、私は、死でしまうよ」

「死ねば解決なので」当然のように五郷が見逃さない。「それもまたヨシ」

「うーむ、私を囲い込んでくるねえ、ふたりとも。次々に出口を塞がれてゆく気分だよ」

「娘のためだろ、猫ぐらい平気になれよ」そう続けた。「家で猫飼うくらいだいじょうぶだよ、猫の奴ら、別にスマホ片手に電波を探すために二足歩行で家中を歩き回わけじゃえねし」

「持ち出して来る説得要素がおかしいと思わないかい?」一条は教えてやる。

「つか、俺もう疲れてきちゃったよ」

 五郷は遠慮なくそう言い放った。歩き疲れた五歳児が如き態度だった。

 すると、矢山は腕組みを解き、両手を両ひざへ添えた。

「わかったよ、そんなね、そんな感じになってまで言うんなら。では、私が猫が苦手なのを克服するってのをやってみようじゃないか」

 回答され、数秒ほど経てだった。五郷が「………抵抗とかしないの?」と訊ねてゆく。

「………抵抗って?」

「いや、猫はどうしてもダメだぁあ、って、おっさんが抵抗して、で、こっちが、わがまま言うなぁ、って、こー、迫って、そういう、ひと悶着があって、じゃあ、おっさん、猫になる、みたいなのがあるかと」

「よくわかんないけど、、君の発言のなかに、私が猫になる、って感じの奇妙な部位を発見したぞ」矢山はそう言い返す。しかし、相手が答える隙間を与えることもなく「まー、でも、いいじゃないか、私は変わるよ、猫向きの人間になってみせるさ。見ててくれ、なぜなら私は変化できる人間なんだ」と、自己解決へ持ち込む。

「おい、変われる人間だったら、最初からおっさん単独で変わってなんとかしとけよ。俺たちを巻き込み、俺たちの青春を消耗しやがって。俺たちは、ホントはいま青春の殺意を押さえ込んでここにいるんだぜ。心のなかには殺意がうごめいてるだぜ。もし、俺と一条さんじゃなきゃ、おっさんはいまごろマグマん中だからな」

「君と一条くん以外のひとは、私をダイナミックに殺害するんだね」

「な、勉強になるだろう、おっさん。それが世界の正体だ」

 芝居じみた口調で情緒的に話し、合わせるようにチョコレート・サンデーを食べきる。

 一条が「見失われた会話好きだな」とつぶやいた。

「さて」そこで五郷が仕切り直す。これまでの会話の大半を完全に切り捨てているようにも見えるほど、拍子の好い仕切り直しだった。「じゃあ、ま、今日はこのあたりかね?」

 五郷の発言に、一条は少し間をあけてから「このあたり?」と問い返す。

「ほら、だってさ、今日これから一条さんは彼女さんと予定があるんでしょ? こんなところでぼやぼやしてる時間ないんですよね?」

「ああ………そうだけど」一条は、一度は受け止めうなずき、しかし、内部で何か葛藤があったのか「んんー」とうなった。やがて「まあ、んんん、うんうん」抵抗しないことに決めたらしく、うなずき直した。

「おっさんも、今日は解散ってことでいいか?」聞く。ところが相手に回答する時間を与えない。「いや、ほらほら、じゃあ、猫、これから克服しに行くか、矢山さんよぉ?」

「お、おっと………」矢山は再び腕を組んだ。

「いいかい? これから猫へ行くか? いま解散しないと、今日、いますぐこれから猫行きだぜ? 猫に行くぞ? いいのか? あん? いいだな、猫行きで?」

 スプーンの先を矢山へ振ってみせながら迫る。

「んん、さすがの私でも、それは心の準備がいるよ、五郷くん。そうだねえ………一晩ぐらい、寝かせてみてようか………ねえ」

「だろ」此処に得たり、と、ばかりに五郷がスプーンを口に加えて背もたれに寄りかかる。ふてぶてしさは、店内の誰よりもだった。その上で言い放つ。「戦士には休息も大事だ。これは外せないよ」

 その五郷の隣に座っていた一条の表情には、まだ葛藤の様子があった。これを指摘すると、余計な仕事が増えるだけで、損でしかない。そんな心の声が顏にすべて出てしまっていた。

 そして、けっきょく、自身の生真面目な性格に負け「あの、今日、幸せの方は?」と、小声で問いかける。

「ん、どうした、一条さん。なにか言ったか?」

「いや、あー………今日の、かるめさんの幸せの方はどうするの」

 五郷は口を手で多い「盲点の登場だ」と述べた。

「盲点と定義するのは間違ってるんだろうね、それを」一条は、とりあえず、そこだけ指摘した。「ただの君の、不備、にんげんとしても」

「昼めし食って、デザート食ったら、満腹感で頭のなかからキレイに消え去ってどっか行ってましたよ。だって、どうでもいいだもの」

「いいだよ、五郷くん」矢山はそれを許してゆく。「我々は生き物だ、生ものだ、忘れることだってあるさ、嗚呼ぁ」

 なぜ、許すのか。少なくとも、たいしは意志はなさそうだった。きっと、適当なのだろう。なんせ、この者たちは騒ごうと思えばいくらでも騒げる、火のないところに平然と煙を起すことだって出来る、しかし、ここはあえて許す。エネルギー消費をケチったのだろうか。

 一条の眼差しはそう分析していた。必死で正気を保とうとすると、逆に正気を奪われかねない。

「ありがとう、矢山のおっさん。おっさんの矢山、ありがとう」他意もなく、倒置法を放つ。きっと、もはや話すことがない、その現れそのものだった。「俺は明日から頑張るよ、ああ、いつだってそうさ、明日からなら、誰だって頑張れるはずさ」

「明日からなら、誰だって頑張れる」一条がひろっていう。「いまここに、普遍的なだめ人間のセリフがご登場だ」

「そういうことで」五郷は前のめりになってテーブルに片手をついた。「今日のかるめ女子のハッピーは、あれだな。今日も、どうせ、家にいるってんだろ、だったら、やっぱ、あれだな。オンラインゲームだってやってるだろう。オンラインゲームに、今日のかるめ女子の幸せを託そう。現代テクノロジーを信じようじゃないか」

「そうだね、五郷くん」矢山は染み入るように同意してゆく。「私は英断だと思う、そうしよう」

「あの、もう、どんどん何の集団かわかんなくなってきてますよ、ぼくたち」

 一条が現実を与えて修正しようとする。

「ごめんなさい」

 そこで五郷が素直に謝る。それはそれで一条は途方に暮れる。

 少しでも油断すると刺されるような感じが、一条が浮かべたその複雑な表情に現れている。

「じゃ、一条さん、彼女さんの元へどうぞ行ってください」

 留め下すように、受ける方が難しいタイミングで五郷がいった。

「そして矢山のおっさんとふたりっきりになるのはキツいので、俺も今日は帰りますから」

 重ねがされ、相手が処理するには工夫のいることも言う。


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