第16話 全身から絶望を発光
時間帯限定、ランチメニュー。
自家製パンが二つと、ビーフシチュー、サラダ、そして選べる珈琲数種類。総額千二百円のランチセットを、ひとつのテーブルに座った男たちは三人で食らう。
会話はとくになかった。誰ひとり会話を弾ませる努力もしない。黙々と食らう。我々の間柄に、話すことなど何ひとつとしてない。と、そう、断言して相応しいほどの黙食といえた。
五郷は二日連続で珈琲フロートを注文していた。昨日と同じようにストローは使わず、アイスをスプーンで押さえながら、直接、口をつけて飲む。コップのなかの氷を、からんと鳴らし、コースターの上へ置いた。
「ここ数年でいちばん眠いぜ、一条さん」
「その報告こそ、ぼくにとってここ数年でいちばんいらない報告となってるよ」
教えてやる。教えられた五郷がアイスをスプーンでつつくのに夢中だった。すると、矢山が食べ終わった矢山が、締めのホット珈琲を一口飲んで、ふう、っと息をついた。
「そういえば一条くん。君に彼女がいるって噂を聞いたよ」
「噂じゃなくて、さっきぼく自らが開示した情報ですよ」
「彼女は同級生か何かかい?」
「いいえ、別の大学の子ですよ」
問われて答えなくもないが、前向きには回答しない。カップを口元へ持って行きながら答える挙動には、やや防御の動向がみられた。こういう話題はあまりしたくない。そして矢山はそれを察知している様子がある。だが、わかっているうえ上でさらに問いを放つ。
「どこで知り合ったのよ」
「昔の………知り合いですよ、というか、高校の元同級生」
「そうかあ」と、矢山は遠くを見るような目をした。「彼女がいるのに、すっかり巻き込んでしまって、悪かったねえ」
「なら、いますぐここから卒業していいですか、ぼく」
「そうかあ」
矢山は強引に、聞こえないふりをした。この距離で聞こえてなければ、きっと両方の鼓膜が弾けてしまっているだろう。そう思われることなど恐れもしない。そして、言った方には、ああ、どうせ、何を言っても無駄だろうと感じさせる。高い壁を展開させる。
「一条さん。落ちついてくださいよ」
五郷が中に入って諭す。一条は何も期待していない表情で見返した。
「がんばりましょうよ、今日で最終日だし」
「あと二日あるよ、ごごーくんってば」と、矢山が言った。「今日で終わりじゃないから」
「ぜいたく言うなよ」
的を得ていない発言を返す。しかし、五郷のその返しに躊躇だけがなかった。
「このスプーンを鼻にさすぞ、おっさん」
「やめたまえ、五郷くん。私は、決して、君にスプーンを鼻につっこまれるために生まれて来たワケじゃないんだから」
「たしかに」言われて、五郷はうなずく。「スプーンをつくった人へも、これを洗う人へも失礼な行為だ、いかんかった。素手で殴ろう」
「私はね、もし君が殴って来たら、口をあけて、君の拳を丸呑みしてやるさ」
「できるのか、そんなファンタジーなことが」
「挑戦だけは誰だって出来るだろ、君」
「相変わらず、ごみのような会話だな」と、五郷は流れを裏切ってゆく。「一条さん、申し訳ないんですが、進行してもらっていいですか」
「ぼくは司会者なのか」
問いかけるが、ふたりとも答えない。
一条は、しばらく、幼子が部屋中に散らばった玩具を片づけるかのような心持ちを表情を見せた後、口を開く。「そういえば、昨日の当選者はどんな人だったんですか」
「ああ、そうそう、昨日はね」矢山は少し声を張った。「東の島にある、とあるレストランの店長に当たったよ。弱い、八十歳のおじいさん」
きかされ、数秒を経て「ほう」と、五郷がいった。
そして一条が「そのおじいさんは、なー………なにかの犯罪者ですか、また?」それをといかける。
「それがさあ、まあ、ふつうのおじいさんだね。おばあさんとふたりで小さなレストランをやってる、やや賭け事好きみたいだけど、スペシャルな悪いことは、したことなさそう」
それもきかされ、ふたたび、数秒を経て「そうなのか」と五郷は言い、その報告をどうとらえたものか、迷った表情を浮かべた。
すると、一条も似たような表情を浮かべながら「ふつうの人に当たったってことですか?」問いかけてゆく。
「なんか、そうなったんだよ」
「ちなみに、昨日、かるめさんがアップした今日の一枚って、どんな写真なんですか」
「これだね」
矢山はスマートフォンの画面を見せる。そこには、オンラインゲームの勝利画面のスクリーンショットが表示されていた。
「ゲームの画面………」一条はじっと画面をながめなら言葉をこぼす。受け止め方をみつけれない。難解な問題に直面している様子だった。
「そういうことか」
そこへ五郷が腕を組み、背もたれに大きく背を預けた。
「一条さん、おれたちの戦いが、未来を切り開きはじめましたぜ」
「ぼくたち何もやってないよ。ゼロ手ごたえだよ、今日、いまこのテーブルで珈琲飲んでいる、寸前まで、何もやった記憶がないよ」
「まあ、その通りですがね」
すぐに認めて行く。もめる気はまったくない。
だって、根本的にはどうでもいいだもの。その意志が語られずとも伝わってくる。一条はそれを特別に処理することもせず、捨て置くことを選んだ。
「ということは、おっさん。もしかすると、今日もかるめ女子がオンラインゲームのひとつも、熱血プレイとかしてれば、このまま、なし崩し的に、いい感じのに当たるじゃないか」
「そういう希望的観測はどうだかねえ、五郷くんよ。わかんないよ。もしかしたら今日はオンラインゲームをやってないかもしれないぞ」
「ああ、たしかに」
「そこは逆らわずに納得するんだ」と、一条が指摘する。「どうして極端に楽な方へ向かったり、あえて行かなかったり、なんなんだろう………」
問いを投げかけられると、五郷は「その日次第ですわ」平然とそう述べる。
「私の会社にそういう輩が就職面接に来たら、必ず落とすねえ」矢山はしみじみといって、カップを口へ運ぶ。
その時だった。テーブルに置いてあった矢山のスマートフォンが振動する。画面には《かるめ》と表示されていた。
「わあああ!?」とたん、矢山は今まで二人には見せたことのない激しい反応を示した。「かかってきたあああ!」
「うっせえな、騒ぐなら外いけよ」五郷は不快そうな表情をしてみせる。「ずぶ濡れがお似合いだし」
「そそそ、そうじゃないんだよ、五郷くん! 娘から電話だ、電話がかかってきてるんだよ!」
矢山は振動し続けるスマートフォンに対し、まるで泣きだした幼子の扱いを知らぬ父親のような狼狽をみせる。
だが、五郷の方はかんたんだった。
「なーに? どれどれ」眉間にシワを寄せながらコップを片手に、テーブルの上で振動し《かるめ》と表示されている画面を一瞥した。それから腹をかきながら言う。「まあ、まちがい電話の可能性だってあるぜ」
「まちがい電話のはずがあるものかね! 画面に出てるもの、かるめって!」
「あ、そうそう、あのさ。つか、ずっと気になってたんだが、おっさん、なんで娘を《かるめ》、って名前にしたんだよ」
「わあ、いまこのタイミングで聞くべき質問じゃあないよね、それ」一条が教えてやる。
「いや! そそ、それは、あの、あれさ! あれだよ! カミさんがフラメンコ好きで、カルメンがが好きだったから、とか、そういう事情があってだね!」
「いまこのタイミングで聞くべきじゃない質問に答えるぐらい動揺してるんですね」
「憐れな人間ですわ」
おごりの珈琲フロートを飲みながら、好き放題発言する五郷を、一条はあきれた表情で見返す。
「こういう人間がチームに入ってると試合に負けるんですよ」
「ああ、どうしよう! かるめからの電話がまだまだ鳴ってるよ!」
うるさく喚く。すると、店へ迷惑がかかることを案じた一条は「出ればいいじゃないですか」という。矢山への動揺、そこへの配慮ではなく、あくまでも、店へ迷惑がかかることを恐れ、迷惑な客に見られたくない。その心境による発言だった。
だが、放たれる言葉も届かず、矢山はあたふたとするばかり。すると、テーブルで孤独に震え続けるスマートフォンへ、ぬう、っと手が伸される。五郷の左手だった。矢山のスマートフォンを手に取ると、画面をタップしてそのまま自身の左耳に添えた。
「はいよ」
「なにやってんだあ!」
叫びと共に、矢山は五郷の頭を叩いた。その衝撃でスマートフォンもその手から離れ、床に落ち、フタがとれて、バッテリーと本機が分離して、画面の発光も途絶えた。
「いたっ」五郷は叩かれた無表情のまま部分を手で押さえた。「叩くなよ、おっさんの代わりにおっさんのフリして電話に出てやってんだろが、野菊の如き優しさで」
「やぁ、やめたまえよ、五郷くん! 心臓にわるいじゃないかい、君にはいったい何を考えているだね、もう心臓だけじゃなく、同時に複数の内臓も破裂しそうになっただろが! ええ、出ちゃアレなんだから、アレなんだからさ! おしまいなんだから!」
「しょうもない興奮しやがって。未成年に手をあげるなよ」
「だって、きみ、ひどいじゃないの!」矢山は泣きそうにすらなっていた。「これはひどいんだもの!」
「いや、その、至近距離から、そうやって、だばばばー、って訴えてこられてもなぁ。ったく、運気が下がるんだよなぁ」相手の抗議に少しも対応する気もなく、五郷が落ちたスマートフォンとバッテリーを拾い、フタもはめて、テーブルの上へ置く。一度、電源が完全に断たれたため、当然、かるめからの着信もなくなっていた。
「ああ、どうしよう」
「かけなおせよ」
「そんなことできるわけないよ」
「おれの頭を叩くことは出来たのに、娘に電話をかけれねえってどういう世界感なんだよ。いいか、こっちは暴力を振るわれ、もはや発狂しそうなところを、こうして持ち前の優秀な理性によって、ぎりぎりだぜ、ぎりぎりのラインで、いまこの公徳心の高い人格を苦労して維持して話してるんだよ。こういった若者が背負わされた負担ってものを、しっかり受け止めるべきだろ」
「んん、君の話、総合的には何を言っているのかほぼわからないけど」矢山は一度、大半を否定した上で話す。「たしかに殴ったのはわるかったよ、あやまる」
少しは冷静さを取り戻したらしい。
「あやまってくれればいいのさ、矢山さん」
「五郷くん………なんかカンきわまってるよ、私は。ここに、カンきわまってしまったよ。ううん、今日は記念日だ。私は今日、生まれ変わるよ」
「ああ、灰色の河童にでもつり橋に住み着く鬼にでもなんでも生まれ変われよ。そして、二度と人里へおりてくるな」
そう二人が話していると、一条が「それで、どうするですか」行く末へと促がす。
「なぜ、かるめがいま、私に電話をかけてきたのか、まずそれを推理してみようじゃないか」
現実の回避を図る。その浅はかさに、照れもなく。だが、その現実が攻めてくる。テーブルに置いたスマートフォンが再び振動した。画面には《かるめ》と表示されていた。
それを目にした途端、五郷が「あれ、もしかして時間がループしてんのかな?」と言い出し、一条は「やめてよ」と、顔を左右へ振る。
「どうするだ、おっさん。セカンドかるめコールが来たぜ」
「ど………どうしよう、五郷くん?」
「出れば、おそらく金の無心だろ。それ以外、あんたに連絡する用事なんてありえねえ」五郷が言い切った直後、着信が途絶えた。それを見て、五郷は「息絶えたぜ」と言った。
かと思うと、今度はメッセージの着信が画面に出る。矢山がテーブルに置かれたままスマートフォンの画面をタップして、メッセージを表示する。
ふたりもその画面をのぞき込む。メッセージの内容は、手短だった。《ネコ、この家で飼っていい?》
「もう終わりだ」
メッセージに目を通した矢山が言い放つ。全身から絶望を発光していた。ふたりが見返していると、肩を落としていった。
「私はね、死ぬほど猫が苦手なんだ。もし猫が家にいたら、永遠に家へ帰れなくなる………」
告白される。そして五郷が指差した。
「見ろよ、一条さん。おっさん猫背で、猫のことを話してらぁ、こいつは愉快」
「絶対にそういうの見逃す気ないんだね、君は」
「今日までおれとおっさんの関係性と流れで、もはや、なにが来たって深刻になれるはずがねえですぜ」
言ってコップを持ち、まだ手つかずだったフロートのアイスを直接口で齧ってゆく。
そして、さらに五郷はいった。
「たとえ、太陽が爆発しても、おっさんのそばに深刻はない」
「それは告げる必要があるのかい」一条が問いかける。
「ないですがね、告げる必要」
五郷は言い切った・
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