第15話 別の物語を展開しているかの如く
雨のなか、傘をさして無言のまま移動すること約ニ十分。三人は矢山の家の近くまでやってきた。
「車がないと、とたん、みすぼらしい集団になるな」
五郷がどこか発見したように言う。
「もう憐れだよ」
「まあまあまあ」と、矢山はなだめるように五郷へ告げる。「心配ないさ。車はね、あしたには直る予定だよ」
「ほい、ちゃんと直せよ、手とか抜くなよ」
「きっとだいじょうぶさ。とはいえー、中古車だったからね、しかたないよ。勢いで買っちゃったし。しかい、こんなこともあるさ、こういうのも思い出に変えてゆこうよ」
「思い出にする気はねえ、まったくねえ。いいか、おれはこの仕事の最後に金を受け取ったら全部忘れるハラ。ここ数日間の出来事、オールな。思い出なんて上等なもんにしてやるもんか、脳漿に記憶を微塵も残すもんかよ」
「うん、今日も張り切ってるねえ、はは」
「あの、そういえばなんですが」と、一条がどうにか隙間をみつけて問いかける。「矢山さんって、社長なんですよね? 会社やってる人なんですね? 暇………なんですか、あ、いや、こんなことしてて。本業のほうだいじょうぶなんですか?」
「ああ、それはだいじょうぶ。大きなプロジェクトもひと段落して、いま私、長期休暇中だから」
「休んでないで働けよ」
「おー。もー、かんべんしくれたまえよー、五郷くん、ってば」理不尽に攻められているが、なぜか矢山は半笑いで対応した。「せっかく長い休みがとれたんだよ、娘のためにつかわせてくれよ」
「こっちは、あんたのそのしょうもない休暇のせいで、貴重な高校時代のきらきら春休みが奪われってんだよ、この春あるはずだった青春の煌きが死んでってんだよ、おれの心のなかは、屍の山だぜ、青春たちの」
雑に発言をぶつけてゆく。だが、むはは、と矢山は笑い、あとはそれについて何も言わない。そして不自然な流れを気にもかけず、平然と話題を変えてゆく。「だけどね、アレなんだよね。こうして、いまみんなでウチに向かってってるけどさ、今日はどうするとかのアイディアとか、やっぱ、まだ何にも浮かばないね、私。きっと向かってるうちに、なにか見出せるかと思ったけど、いやはいや、さっぱり、何も浮かばない」
「ああ、だからだろうかな、おれも若干、牛歩になってるぜ。そうだな、いわば、すごく生きづらさを感じている」
「うーん、これはアレかなー、どっかでいったん、どっりしと座って、心を鎮めた上での作戦とか必要かね、五郷くん」
「いるな、それはいると思うぞ、矢山さん」
一条は五郷が急に、おっさん呼ばわりから、矢山さん呼ばわりに変えたことを見逃さなかった。だが、見逃さなかっただけで、指摘はしない。流した。
「ああ、そうだね。なら、どこか喫茶店でも探そう」
うなずき、直近の動向を決める。だが、あたりは住宅街であり、飲食店はない。
「でもなあ、そういえばこのあたり、喫茶店とかないんだよねえ」
矢山が傘越しに周囲を見回す。自宅近くということもあり、地域感も充分に備えていそうだった。一条もとりあえず、周囲をうかがってみているが、あるはずもなく。スマートフォンを取出し、調べはじめようとした、その時だった。
「昨日飲んだ珈琲の店」と五郷が言い出す。「ウマかったよね、一条さん」
「え、あ、ああ………まあ」
同意を求められる。だが、一条のうなずきにはキレがない。
「いやまあ、おいしかったけどさ………とお………遠いよね………ここからあの店………かなり」
昨日、四人がモーニングセットを食べた店は、矢山の家からは真逆の方向にあり、距離もある。
「でも、ほら」と、五郷が続ける。「たしかランチセットとかもあったし、あの店」
「いや、ええっと………ずいぶん離れてくけど矢山さんの家から………しかも今日は歩き出し………」
「けど、一条さん美味い珈琲を飲むのに妥協はしちゃいけないよ」
「君は珈琲フロートだったけどね」
「珈琲フロートだって、珈琲の仲間ですよ、一緒に暮らしてあげるべきじゃないですか。珈琲の世界で」
「なんの話をしているのかがわからないよ」
「まあまあ、一条くんよ」そこで、矢山が入りこんできた。「わかったよ、ふたりがもめるくらいなら、ああ、わかったさ。行こうじゃないか、昨日の店へ。ちょっと遠ざかっても、私は、ふたりの仲がそれで保たれるなら、いいさ。かまわないよ」
「いやあの、要するに無策の現実から逃げたい感じがダダ洩れてますよ。どばどば出てますよ、矢山さん」
「おっさん、行くなら急いだほうがいい」
まるで別の舞台で、別の物語を展開しているかの如く、五郷がカットイン式に口を開く。
「昼はあの店、きっと混むぜ」
「そうだね、五郷くん。君の言葉を信じよう。だから、ここはタクシーを呼ぼう。本当の戦いを前にして、歩き疲れてしまっては何もかもおしまいだ。大事な体力を温存するためだ、タクシーを、呼ぼう。タクシーで行こうよ」
どういう精神の上でそれを同意しているのだろか。そう思ってか一条は途方に暮れていた。
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