第10話 すぐ効く毒で死んだみたいな顏して眠ってる




 六時間半後、空も夕陽の気配を帯びた頃、かるめとデート相手は動物園から出た。

 三人はその様子を離れた場所からうかがう。動物園を後にした二人は、近隣のバス停に並んでバスを待ちだす。かるめの方は、とくに何をするわけでもなく、男の方はスマートフォンを操作していた。

 両者の間にこれといった会話はなかった。七分後、バスがやってくると、ふたりは乗り込み、そして、バスは発車した。

 三人は夕陽へ向かってゆくバスを、その場から見送ったかたちになる。みな、無言だった。それから無言のまま、駐車場へ戻り、キャブコンへ乗り込む。運転席にはヘッドホンを耳にあてたまま、目を閉じている木野目がいた。

 三人は午前中と同じ配置で腰を降ろし、向かう会う。

「いやいやいや」と、矢山が開口一番をとった。「なにも、できなかったなあ」

 じつに、しみじみとした口調でいう。

「ああ」五郷は腕を組み、ミニテーブルを見据えながらうなずいた。「なんだかんだ、さすがに人のデートをコワすことは出来なかった」

 隣に座った一条もうなずく。「うん、僕たちも人間だもの。無理だよね、人のデートを邪魔するの」

 男たちは言葉をかわし合い、改めてうなずきあう。

 数秒ほど沈黙の間があいた。

「かるめもねえ」と、矢山がふたたび口を開く。「いや、デート中、たのしそうじゃあなかったけど、それでもねえ、ちょっとデートを邪魔するってのはー………できなかったなぁ」

 顏を左右にふってみせる。

 ふたたび、沈黙の間が訪れる。窓の外から夕陽も入りこんできて、車内が若干、赤みだした。

 すると、一条が運転席で目をつぶってヘッドホンをつけている木野目を見て「木野目さんは、ずっと眠ってたんですかねえ?」と、話題を別の方向へ持って行く。ささやかであり、あきらかな、現実逃避だった。

 しかし、そこへ五郷はのってゆく。

「この人、毒殺されたみたいな寝顔してるな」

「だねー」矢山は同意する。「すぐ効く毒で死んだみたいな顏して眠ってるね、うん」

 だが、逃避するように木野目を話題に扱ったものの、その話題もたちまち、消費し尽くしてしまった。沈黙が訪れる。

「まあね」

 すると、五郷はとりあえずといった感じで声を発す。

「人さまのデートを邪魔するってのはいけませんよ、一条さん。ねえ?」やや、もっちりとした語尾で、先にかわされた重複した会話内容に臆することなく、同意を求めてゆく。

「いやあ、まあね………」

「人として、人のデートを邪魔するなんて。人間のすることじゃないなんだよ、おっさん」

「その通りだと思うよ、五郷くん。私もその通りであると、ここに断言できるよ。五郷くん」

「そりゃあ、最初は、ふたりのデートに絡んで、どうこうってしてやろうってのはあった、正直にいうとな。しかし、我々は、踏みとどまった。踏みとどまれるだけの、高品質の教養、っていうのかなぁ。その持ち前の教養が、それを、ぐぐ、っと停めちゃったんだ、うーん。こんなことやってはいけない。そう、決して、どう邪魔をしていいかわからないとか、アイディア不足とか。勢いではじめたから無策で動き方がわからなかった。そういうことじゃない。人のデートを邪魔してはいけないんだ、やってはならないんだ! ってさ。心がそう、働いちゃたんだよなあ、オートマチックに。いざというとき、ぐ、っと踏みとどまる。なあ、そこだよあな。その場で踏みとどまれる、これは、人間としては最高ランクのところにいるんだろうなあ」

「うーん、五郷くん。私もそう思うよ、まったくまったく、その通りだと思うんだ。私は、いま、きみとシンクロニシティしてるよ、いまなら、私は五郷くんと合体できてしまいそうだよ。みごとに踏みとどまったもんねえ、我々は、デートの邪魔。邪魔のしかたがわからないじゃなくって、意志で、邪魔しなかったもんねえ、うん」

「そうだそうだ。やっぱりさ、あそこで、んんん? 待てよ、やはり、人さまのデートは邪魔してはいけない、そうさ、おれたちは人の恋を邪魔はしないんだぜ、っと、このムズかしい方向へ展開できる、この優れた現場判断はな、高い評価を与えてもいいと思うぜ。現場で臨機応変にそういう素晴らしい判断力がある者たち、これだ、いやはやここだよなあ、ちきしょうがぁ。たぶん、こういう、高度な判断は、そこらへんの有象無象では不可能なんだよぁ。人類は、よくこういうので間違えてきましたよ、決められた目的があるから、人の心を消して、なにがなんでもやってしまえばいいんだ、やってしまうんだ、ってな。しかしだ、我々は違ったと。この場で判断したんだ、そういわば―………ああ、正義さ ああ、そう、正義だよ。いま、ここにあるべき正義を見極められる者たちである。これはさ、ちょっとそこいらの奴にはないよなぁ、おれたちだからこそ持っていた判断力、そして、今日、ここに、この優れた結末を迎えることができたわけだよ、ふたりのデートに一切、影響を及ぼさない。ノータッチで終わる、ってな。けっか、ふつうのデートさせて終わらせちまったんだもの。んん、さすだな、おれたちは」

 しみじみとひとり語りゆく五郷。隣で聞いていた一条が目を閉じ、眉間にシワを寄せながら「ながいな………」とつぶやいていた。

「しかし、五郷くん。私は何度でも言いたい。よかったよ、ね、一条くんも、ね」矢山は何度でも重ねて肯定してゆく。実行できなかったことへの言い訳を、中和し、今日という日が不出来ではなかったということを、固めるように。「我々は機械じゃないわけだ。血のどくどく通った人間である、体温があるんだよ、体温のある、ほかほか生物なんだよ、うん、心がある。子心で動くんだ。だから、デートの邪魔はしないんだよ、うん、いい感じの邪魔するアイディアがなかったわけじゃないさ。デートの邪魔するべからず、と、人間らしい判断しただけさ」

「そう、実行しない勇気。ああ、おれたちは世にも素敵な野郎たちさ」

 五郷もまた自己肯定の手を緩めない。自身のなかに内在する、ありったけの肯定を投入してゆく。肯定のクオリティは二の次だった。数で攻める。

 何かに隙を与えないように。

 そのとき、運転席にいた木野目が瞼をあけた。そしてヘッドホンをはずし、振り返り三人を見た。

 それから木野目は「成功?」と、訊ねる。

 すると。

「いや、明日にすべてを託そう」

 五郷の素早くそう答えていた。

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