第9話 理解されても難しい心持ちになるだけ



 園内は子供連れの客、そして、まだ初期の恋人関係にありそうな者たちが、まばらに散策する姿があった。大型の肉食動物の飼育もなく、木々に囲まれ、森のなかにつくられたような内は、ゆるやかな山の斜面に添って各動物の檻が配置されており、歩くことで自動的にちいさな山登りと似たような体力を消費することになる。

 しかし、幸い、涼し気な春の日にあるため、三名とも汗をかかずにすんでいた。

「あの、すいません」弱い坂道を歩きながら一条が声を発す。「ずっと、聞き損じていたんですが」

「んんー、なんだい一条くん」

「かるめさん、今日動物園ひとりで来たんですか」

「それをきいてしまうか、きみ」

 露骨に意味深な様子を醸しだす。

「ショックを受けないでくれたまえ、諸君」

「なら、いいや、聞かなくて」五郷の拒絶は素早かった。「しゃべらなくていい」

「かるめはな、今日」しかし、矢山は聞こえないふりをして話続ける。相手の気持ちなど、無視し、踏みにじることを厭わない。「デートなんだよ………」

「あらまあ」

 と、五郷は口を押さえた。

「そんな桃色なことに」

「やめたまえ、その表現は」

 苦情を放つ矢山に対し、一条は「デートって、どうして貴方がそんなことを知ってるんですか」と、問いかける。「だって、一緒に暮らしてないんですよね?」流れで、無意識のうちにずげずけと訊ねる。

「一条くん、いまだ進行中とはいえ、世界は情報化社会だからね、娘の情報をキャッチする方法はいくらでもあるのだよ」罪の意識は見られない様子で返し、さらに続けた。「しかしね、ふたりとも、私だって、べつに娘がデートすることに対して、ただただ芳しく思ってないとか、そういうのは無いんだよ。いいさ、すればイイさ、娘よ、かるめよ、誰を好きになってもいいさ、人を好きになるとは素晴らしいぞ、そして、誰かを好きになることで人生学べることがあるはずだ、そうさ、デートだってすればいい、一緒に動物園に行くがいい、私はそう思っているのだよ」

 矢山が拳を握りしめた上で放つ饒舌に対し、五郷は「あっそ」と最小限のエネルギー使用で返す。

「だがね、ふたりとも、ちょっと聞いて欲しいことがあるんだ、今回のかるめのデートに関して」

「矢山よ、顏、近づけな。運気さがるから」

「いいかい、私はだね。かるめがデートすることじたい、私はとめる気もないし、彼女のとうぜん権利もない。彼女だって、ひとりのにんげんさ。いくら親といえど、介入できない世界があの子にもある。しかしだね、そのデートの相手だがー…………んん、つまりだね、その相手に問題がある場合は、親として特別対応しなければならないといけないというのがあると思うんだ」

 そう言わう。すると、五郷が「おっさん。これから狙ってる、きっと如何わしい計画に対して、同意を求めようとしてんのがバレバレだぜ」と、先んじて答えた。

「かるめがデートしようとしている、その男はね。どうも、常に複数の女性に手をつけてるような男なのだよ!」

 犯人を告発するかの如く、矢山はいった。

「繁殖力がある奴、って解釈ともいえるがな」と、五郷が淡々とそう評する。

「いいか、私はそんな男に娘はやれんよ。娘が悲しむことが目に見えているからね!」

「別にいいじゃねえか、一回や二回もてあそばれるくらい。一回ももてあそばれねえ奴だってこの世にはいるんだぞ。何事にも翻弄されない生涯だってあるだ」

「五郷くん、君に親としての気持ちなど分かるまい」

「まあ、扶養家族だからな。さすがに《いいや、おれは親としての気持ちが分かってるのだ》とか答えたら、きかされた方は難しい気分になるだけだろうしな」

「愛の話をしようか」

「おっさんさ、今日はもう帰った方がいいじゃないか? どこに帰るか知らんが、巣に帰れよ。あまり騒いでると動物たちが異常な興奮しだすんじゃねえかと心配になってきたぜ」

 そこへ一条が「はい」と、小さく挙手をした。

「かるめさんのデートの相手って、もっと具体的に、どんな男なんですか」

「うん、同じ中学校の同級生でね、高校は違うんだけど。そうだねえ………若手ぇ………人気ぃ………俳優を、気持ちほど減点したような、顔立ちをしている。そう、ちょっとブレーキが掛かった感じの顔立ちをしている」

「おれの顏とどっちがいいんだ?」と、五郷が質問した。

「君よりは顏がいい」

「一条さん、そいつはおれたちの敵だ」

「巻き込まないでおくれよ」

「わかった」

「いや、即、理解されても難しい心持ちになるだけだけどね」

「ふたりとも、あそこだぁ!」

 とたん、矢山が張り切った声を放ち、ふたりの徒歩進行を手で抑止し、同じ手で近くにあった木の陰に隠れるように示す。一条は挙動不審な動きすること自体、嫌そうな表情を浮かべていた。

 見ると、テニスコート五枚分はあろうかという広さの檻なかに再現されたそこの浅い湖に、桃色をした無数のフラミンゴが立っていた。あるいは、水に浮かぶエサと思しき丸い粒を、嘴で拾い、喰らっている。檻の前に設置されたベンチにふたりの男女が座っている。檻といっても、大人の背丈ほどの高さしかない。

「あれさ、あれがかるめだよ!」

「木の陰で興奮すんなよ。いま、マスク姿のおっさんのルックは、完全に、この園一番の危険動物だからな」

「五郷くん、私はコーフンしてきたよぅ」

「そういう発酵した情報はいらんのだ。で、おっさん、どうするだ。ああー、見たところ、そうだな………」

 五郷は、じっとかるめと、連れ添いの男を観察した。フラミンゴの檻の前に設置されたベンチに並んだふたりの間には、ひと、ひとりぶんの間合いがあった。完全には寄り添ってはない。現在の心の距離の可視化ともとらえることが出来た。

 かるめはまるいレンズの大きめの眼鏡と、ボブカットは同じだが、昨日の家着とは違い、色味が薄目の黒に灰色のボーダのワンピースを着ている。背中はリュックサックだった。

 対するデート相手の男は、白いカットソーに、黒いパンツで、短い靴下を履いているのか、組んだ足から踝が見えている。

 男の方は、かなり気軽に、かるめへ話かけているようだった。距離が或る過ぎるため、何を話ているのかは不明だが、かるめはあまりしゃべらず、目を相手の合わさないように、うなずくことに徹しているようにも見える。

「ザ・デートですね」一条がいった。「見紛うことなき、高校生のデートですね、あれは」

「きぃー」

 すると、矢山がハンケチでも食いちぎるような小さな奇声を発す。

「五郷くん、一条くん! 悔しいよ、私は」

「そんな報告おれたちに寄越すなよ、銀河一うっとうしぜ」

「しかしだね、ふたりとも! 私はね………それでも決っしてぇ! このプロジェクトに私情を持ち込まないさ。プロジェクトの私物化などしない男なんだ、私は………くううう」

「まあ、こっちもマジメに聞いてないから、なんでも言いたいこと言っとけよ。何の影響も受けてやるつもりもねえからさ、きいてないのと同じだからさ」

「いいかい! 今日こそ、我が娘、かるめに素晴らしい写真を撮らせて、この世界に幸せをもたらそうじゃないか!」

「また、こっちへの負担がかなり大きそうな予感しかしないですね………」一条が愚痴ってゆく。

 その間も、ベンチに座るかるめと、相手の男とのやり取りの様子に進展はみられなかった。

 一方で、動物園は既存の森をベースにつくられており、各檻と檻の間を、木々で遮るようにもなっている。ゆえに、場所によっては見通しが良いとはいえず、かるめと相手の男が座るベンチは、ひとめを遮る場所にあるともいえる。

 そして、現在、フラミンゴの檻のそばには、二人以外の入園者はいない。

「いまなら目撃者はいねぇ」言ったのは五郷だった。どういう意味で言ったのかの説明は不在だった。

「というわけだ、ふたりとも、あとは頼む!」

「やっぱ、具体的な作戦ゼロなんですね。期待に応えないだろう、って、期待には応えたカタチだ」

「かるめをあの男の餌食になるのを救ってやれ! でなければ、不幸のどん底に落ちてとんでもない邪悪な写真を撮ってしまうぞ! そうなったらもう、どんなレベルの闇の住人にカネが当たってしまうかわからんぞ!」

「いや、今日の今日、かるめさんが不幸なるわけじゃなさそうですけどね。後日、男に騙されて不幸にある可能性ならありそうですが」

「一条さん、おれに考えがある」

 と、五郷が一条の指摘は無反応のまま、口を開く。

「かるめ女子もこうしてデート来たんだ、断ってないってことは、奴がまんざら嫌ってわけでもないんだろう。もし、マジでデートが嫌なら、ナイフで、交換不可能な内臓を、えい、ってやってでも断ってるはずだ」

「その場合は確実に病院送りだね、刺された方も、刺した方も」

「けど、あの男はふしだららしい。このままあのふしだら大将と付き合っても、かるめ女子が不幸になる確率は確かにある。となれば、やるべきことはひとつだ。まず、なんとか、かるめ女子に、このデート中にあの男を見限らせ、その上でいい写真を撮らせる」

「うん、つまり、やること、ひとつじゃなくて、ふたつだけ。別れさせると、いい写真撮らせるで二つだよ、五郷くん」

「人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじめえ、という。さあ、おれたちで、あの恋の蕾を、しゅ、っと刈りとろう」

「うん、ぼくたち馬に蹴られて死ぬ側なのに、なんで、人の恋路のうんぬん、の文言を持ち出した」

 すると、矢山が前のめりになった。「して、五郷くん、君の考えとは」

「いや、ホントは何も考えてない。言ってみたくなっただけだ」

「このうすのろめ」

 矢山は淡々とした口調で侮辱した。それからかるめとデート相手の男を見る。

「必ず、なんとしてでもあのデートをやめさせなければ」

 ぬるりとされている、目的の変更を一条は、あえて指摘していない様子だった。こんな奴のために、もう一ミクロンのエネルギーを使いたくない。そういった感じがあった。

「私はね、手段は選ばないよ、五郷くん、一条くん」

 そして矢山はそう宣言した。

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