第8話 最初の心



 五分後。

 ふたりは矢山の用意した従業員の制服を着終えた。

 そこへ五郷が「フィット感が気にくわん。それに今年の流行色、ベージュも入ってない」と、いい「スタート地点へ戻ろう、おれたちの最初の心へ」と言い出す。

 そして、元の服に着替え直した。

 一条はなにもいわなかったが、言いたいことはありそうだった。それでも、言わない。

 これ以上、時間を不毛したくない気持ちが、沈黙を貫かせた気配がある。

「ありのままのおれたちで行こう」

 五郷はそう言い放つ。会話が成立してないことなど、気にもせず。

「というわけで変装は無しだぜ。ふだんの服で行こう。なーに、全裸で行くよりはマシさ」

 さらにそう続けた。すると、矢山がしみじみといった「まさにドブみたいな精神だね、五郷くん。そういうドブに浸したような精神だからこそ、言えるセリフだ」

 矢山の愚弄を完全に無視し、五郷はドアをあけた。車内から外界へ降り立つ。

 一条もあきらめを帯びた挙動でそれに続く。高等な無視とも言えそうだった

 車から降りてふたりは、動物園の駐車場に立つ。目に入るのは、動物たち健在を示す、看板屋や垂れ幕だった。動物園の入り口へ、家族づれ、友人同士、恋人同士と思しき人々が、和気あいあいとした様子で向かってゆく。

 その雰囲気のなかで、ふたりは完全な異物な存在感を放っている。

 しかし、そんな両者にも、ひとしく太陽の光りは降り注ぐ。どうしようもないくらいの動物園日和だった。

「良い天気だ、普通の動物たちの挙動を愉しみたいぜ」と、五郷が漏らす。

 すると、そのとき矢山が車内から「うーん、ほほ、ふたりとも、なんだかそこはかとなく、刑務所から出て来た感じがあるね」といった。

 同時に、ふたりして、矢山を見る。それは限界まで高められた、冷ややかな視線だった。

  やがて五郷は「まあ、おっさんなんてのは、永遠に刑務所から出れねえ感じがあるぜ。おれたちへのこの蛮行の件もあるし実際、刑務所に入る可能性もあるしな」と返す。

 あとは、自然と会話も発生しなかった。ここで何かを言っても、実りあるものはなかろう。全員で暗黙のうちに見極め、園内へと続く入口へ歩き出す。

 矢山もふたりに続いた。

「って、え、矢山さんのついて来るんですか?」と、一条が小さく驚き振り返る。

「いや、ほら、だって今回は車内からふたりの動向をうかがうってことができないしさ、だから、一緒に行くよ」

「来んのかよ」五郷は手加減なしに、嫌そうな顏をした。「あんたが来たら、ゆっくり動物みれねえじゃねえか。こっちはマヌルネコの仕上がり具合とか確認したいのに」

「堂々とサボり予定を告白してくるんだね、君は」

 一方、木野目は車内に残った。五郷と一条が最後に見た木野目は手洗いのついでに買ってきた缶コーヒーを運転席に設置されたドリンクフォルフダーへ置き、運転席の椅子を角度も何度も倒して、最適化を果たしているところだった。

 入口へ向かいながら一条は矢山へ顏を向けた。

「あの、矢山さんが来ちゃったら、かるめさんにすぐ気づかれるじゃないですか」

「だな、妖怪みてえだしな、顏が。目立つんだよ、戦場に出たらスナイパーが任務を忘れて撃ちたく顔の造形だし。弾き飛ばしがいありそうでしかたねえ」

 五郷は淡々とした口調で次元の違う発言を添えてゆく。さらに続けた。

「とにかく、あんたの妖気でバレるぜ、かるめ女子にも。もしかしたら民間の妖怪ハンター的なのにもな。そしてその場合は、おれは妖怪ハンター側につくからな、覚悟しとけよ」

「うーぬ、きみの言うことはもっともだ、五郷くん」

「いや、もっともじゃないこともかなり含有率でしたよ」一条は教えてやる。「日常会話じゃまず持ち出さないフレーズとか入ってましたし」

「よしよし、わかったよ。では、私はこー、マスクをしよう。花粉症用にちょうど持っている」ポケットから使い捨てマスクを取出し、梱包ビニールをやぶって顏に嵌める。それから「んん、君たちは、花粉症じゃないの?」と、素朴な問いを投げた。

「ああ、花粉症ない。なんせ、おれは、山の神に愛されてるからな」

 五郷は何の迷いもなくそう言い放ち、それからくしゃみをして、豪快に鼻をすすり、手で目をつよくこする。その上で「山の神め………」と、やや歯噛みしながらつぶやいた。

「入場券を買いましょう」

 現世へ戻すように一条がうながす。

 矢山は「よーし、買おう、金はあるんだ」と、うなずき、顏にマスクをつけた矢山を先頭に入場券を販売する窓口まで行った。

 入場券を購入し、入口付近に行列もなく、滞りなく三人は園内に入る。一見して混雑はなさそうに見えた。そして、目の前には園内のニュースを知らせる掲示板があり、長年飼育してきた園内唯一のカバが、最近、召されたということが書かれていた。その召されたカバの写真には、吹き出しがあり『みんないままでありがとう、カバイバイ!』と描かれている。およそ享年七十歳前後らしい。

 五郷はその写真を眺めながら「カバ、いないのか」言い、一条は「カバイバイか………」と、つぶやく。

「おっ、マルヌネコがいるのか。一条さん、マヌルネコがいるよ。この動物園なかなかあなどれんですぜ」

「おーい、ネコはいいから、ネコはほっといて、ふたりともこっちこっち」

 すると少し先へ進んでいた矢山が呼んだ。少し落ち着くもない。

「これから、我々でかるめを追跡するから、ふたりともみつからないように、充分に注意するように、ね」

「ああ、みつかったら、即死。みたいなゲームに参加する気持ちでやってやるぜ」

「おう、たのもしいねえ」

「いや、ボクには、頭がわるそうなだけに聞こえるだけどなぁ」

 一条の発言は、けっきょく、空を切るに等しいまま、拾われることはなかった。

「このスマホでね、かるめの居場所がわかるからさ」

「気持ちわりぃ」五郷がそうコメントする。

「うん、あっちだね」矢山は園内に設置されたマップ看板と、握りしめたスマートフォンの画面を照らし合わせながらいう。「かるめはいま、ここのフラミンゴのところにいる」

「あっそ」五郷が答える。

「さああいくぞ! 若人たちよ!」

 張り切って声をあげ矢山は歩き出す。近くでベビーカーを押してた若い、夫婦と思しき男女が、怪訝そうに見ていることを、意にもせず。

 矢山はフラミンゴへ向かって歩き出した。そしてその足取りに添えて「作戦はないよ」と言い切る。

「期待はしてねえ」

 五郷に手加減はなく、左手をフリーズのなかへ入れ込み、腹をかきながらそう返す。


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