第7話 いらない教訓




 車は一路動物園へ向かう。ハンドルを握るのは木野目で、矢山は助手席へ収まった。

 後部の空間では一条がシートベルトして鎮座し、五郷は寝そべりながら、矢山に買わせたキャラメルポップコーンを微塵の遠慮もなくむさぼっていた。

 移動中、会話はない。車内はただただ無言の時間が流れてゆく。世間話が始まる兆候すら見られない。しかし、緊張感はない。気を遣い、会話のための会話すら仕掛ける気持ちが全員にない。無理興味を沸かせようという心遣いなど、微塵も起してたまるものかという様子さえある。

 さながら車内は、囚人の護送車の様相すら呈していた。とても、春のある日、動物園へ向かっている者たちとは思えない。

 五郷はキャラメルポップコーンを食べ終わると、ソーダ味のグミの入った小袋の封を切り、無心のようすで食べ始めた。その安価なグミもまだ、矢山に買わせたものだった。無表情のまま存分に、ソーダ味で舌へ刺激を与え続ける。

 すると、山羊のように無心で喰らい続ける五郷を見て、一条が「朝ごはん食べてこなかったの?」と訊ねた。

「たべたよ」

 五郷が四歳児みたいな答え返し、その後、車内は一時間以上、沈黙を貫き通し、やがて目的地へ到着した。

 そこは県営の動物公園だった。駐車場は広大で、一日停めても料金は安価である。最寄り駅からは遠いため、自家用車以外では路線バスを使ってやってくることになる。学生は春休み期間とはいえ、平日であり、駐車場は三分の一も埋っていなかった。ハンドルを握る木野目は、手洗い場に近い場所に停車した。

「すぐトイレいけるようにここで停めたのである」と、五郷がナレーションを入れた。

 木野目は無視した。

「ついたぞ、ふたりとも」

「おうよ」

 五郷が応じる。相変わらず、やる気があるのか、まったくないのか、不明な声だしだった。

 一条はスマートフォンを取出し時間を現時刻を確認する、午前十半丁度だった。それから動物園の入口へ目を向ける。そこに設置してあった看板には、園内で飼育されているらしきカバの等身大写真とともに、吹き出しが掛かれ『開園時間は午前十時カバ!』と、描かれていた。

「カバいるんだね」五郷が小窓から園の様子をうかがいながら言った。手にはストローがささった珈琲牛乳の紙パックを持っている。とうぜん、矢山に買わせたものだった。

「うん、カバがいるみたいだね」

 一条はうなずき、同じ看板を見続けた。

「で、おっさん。ついたけどどうするんだ」

「そんなの決まってるだろ、五郷くん」

「決まってんのか?」

「まずは変装だよ。かるめにバレないようにね」

「変装………」一条はその部分を切り取りとってつぶやき、やがて、優れない表情を浮かべてから「変装………」ふたたびつぶやいた。

 ふたりは家から私服でやってきていた。

 五郷が三日目も似たような服装だった、上は黒だけのフリースに、下はやや薄茶色のズボン、靴は滅びかけたスリッポンだった。道に落ちていたのを履いている、そういわれても信じてsまいそうなほどの、そのスリッポンは朽ちかけていた。

 一条は紺色の襟付きだった。そして、下は黒いズボン。五郷のように、ほつれや、布地の限界を越えている様子はなく、清潔感があった。

「きみたち、そんな格好じゃすぐにかるめにバレちゃうよ。だって、今日は、尾行とかするからね。三日目にしてダイナミックに動いてくからね、今日は」

「知るかよ」

 五郷は躊躇なく突き放す。しかし、矢山はダメージを受けない。話を続ける。

「きみたちの顏って、かるめにはワレてんだからさ。変装して、みつからないようにしなけば、いけません」

「かるめさんに顏がバレてるのが嫌だったら、最初からボクたちを採用しない方がよかったんじゃないですかね」

「おーお、そうだそうだ」一条の発言に、五郷がのかってゆく。「無策なんだよ、無策。こちとらな、高校の春休みをまるまる投じるつー、多大なる犠牲を払って手伝ってやってんだぞ。いいか、もしかしたら、おれらだってさ、こんなことしてないで、春の陽気のまま外とかお出かけとかしてさ、で、そこで偶然、素敵な町娘とかと出会ったり、知り合ったりとかしてだよ、もしかすると愛の、春物語りに発展する可能性だってあったんだぜ? いいか、そんな素敵な可能性を蔑ろにしてまで、おれたちは手伝ってんだぞ、いい加減フザけるのはやめてくれないか」

「うーん、なんか、めんぼくないね、五郷くん。きいていて、きみが気の毒で気の毒で、泣けてきたよ」

「なんかわかんねえが、しっかりしろ」

 けっきょく、五郷もだんだん面倒になってきたのか、そのあたりで切り上げた。

「しかし、いいか、おっさん。忘れるな、おれたちはな《扶養家族》の身分なんだぞ」まるで鼓舞ような口振りで言ってゆく。「現役扶養家族の高校生に世界の運命とか背負わせて、あとはよろしくやっといて、っていうのは悪の香ばしさだからな」

「うん、わるかったよ、扶養家族の五郷くん」

「ふたりのやり取りを至近距離でずっと聞いてると、いままで大学で学んだことをすべて脳から失いそうな気がするんだ」

 一条は感想を述べる、哀れみも少し含まれていた。そこへ五郷は言う。「その場合はもう一度、大学に入り直せばいんですよ」決して言う必要のない、品質の悪い助言を与えてゆく。

 そうしているうちに運転席にいた木野目が車から降りて、車に近くにあったお手洗いへ向かった。一同のやり取りの区切りがつくのを待てなくなったらしい。

 一条を精神を車内から逃がすように、お手洗いへ向かう木野目を見ていた。

「で」と、五郷が片方のスリッポンを脱ぎ、履き直しながら問う。「どんな変装すればいいんだ?」

「けっきょく、変装するのは許諾なの?」一条が訊ねる。「そこに言い争いは登場しないんだね」

「しかたないですよ、一条さん。いくら喰えないからって、問題を遠まわしにしてても、いつだって同じ場所に立たされるのが、人生ですわ」

「いらない教訓だな。いや、教訓としてもほぼ機能してないけど」

「えっとーね」矢山が車内の棚へ手をつっこみごそごそした。それだけでの挙動でも、車内はそれなりに揺れてしまう。「いちおーね、こういうの用意させてもらったんだ」

 取り出して掲げてみせたのは、目の前の動物園の従業員の制服のようだった。

「これこれ、この動物園の従業員の服を着ていれば、かるめにはあやしまれることはないはずだ!」

 すかさず一条が「いや、なによりこの園の従業員にあやしまるでしょ」そう指摘をする。

「ぬるいアイディアだよなぁ」五郷も口を開いた。「ノリだけやってっから、そういうユニークさに欠けるアイディア持って来て、しかも、さも、これぞ最高のアイディアでござる、みたいな顏でへーぜんと発表できんだよ。おっさん、まわりにちゃんと注意してくれる人いないんだろ? はー、ったく、扶養家族なめんなよ」

「………ダメかね?」矢山は用意した二着の制服を眺めながらつぶやく。「そっかぁ………」

 すると、五郷は数秒ほどして。

「………まあ、じゃ、一回だけ着てみようか?」

 と、言い放った。


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