第6話 陽ざしに攻撃力もなく




 三日目。朝から曇り空だった。だが、それはそれで、陽ざしに攻撃力もなく、運動するには最適そうな気候であり、とくに強い陽ざし敵とするような野外をスポーツを嗜む者たちにとっては、優れた日とも思える。

「ひかれるのはダメだよ、五郷くん」

 一同は昨日となんら変化のないキャブコン車内に収まってした。そして、小さなテーブルの向こうから矢山がいった。

 向かいに座った五郷は目をつぶったまま腕を組みをしている。家着用なのか、紺色にフリースに茶色のズボンにスリッポン。

 一条はひどくうんざりした表情を隠さない。

「あのね、ああいう感じ思わぬ展開とかはいらないよ、びっくりするし、もう、我々にこの活動全体がブレから。悪のサプライズはダメだって」

 ダメだしだった。五郷は腕組みを継続させ、目をつぶっている。見た目に大きな外傷はないが、間近で見ると、顔に小さな傷や、青くなっている場所もある。彼、五郷に興味があって、日夜、よっぽど凝視している者でないと、その変化は気づけそうもない。

「んんー、めんぼくない」

 素直に謝罪して五郷は目をつぶったまま頭をさげた。そして、身を起すと、瞼をあけた。

「しかたないだろ。俺は、かるめ女子が、いったいどんな猫にエサをやってるのかなぁ、って気になちゃったんだもの、で、気持ちが流行って、つい、車道を渡るときに左右の確認を忘れただよ、で、飛び出せゼロ確認になってしまった」

「なんか扱いニクい発言の内容のブレ方だ………」一条が考察を述べてゆく。

「なによ? きみ、猫好きなのかい?」そこへ矢山がシンプルな質問をする。

「ああ、好きだ。だってほら、猫って犬に似てるだろ? だから好きなんだ」

「なんだろうねえ、なんだか魔界に放り込まような気分になる回答だねえ………」

「それはおっさんが愚かだからだぜ」微塵の理窟も持ち出さずそう断言して、五郷が息を吐いた。「まあ、これで俺は車に跳ねられたぐらいじゃ死なないことがこれで証明された、ってわけだぜ」

 公立の学校では教えてはならない種類のポジティブを口にしてゆく。 

「ほんとに………だいじょうぶなのかい、五郷くん?」

 そこへ一条がまっとうに心配する。

「ええ、いけますぜ、一条さん」かっとばすように答える。「まさかの木野目さんが動いて適切な処置してくれたおかげで、いまじゃもう、跳ねれれる前より調子が好いくらいであさぁ」

 きかされた一条が「うーん、頭でも打って、人間の身体を健康意識をつかさどるような大事な脳の部分でも破損したのかな………」と、つぶやく。

 すると、矢山がうなった。「しかっし、昨日の木野目さんは見事だったねえ。すぐに路上へ転がった彼を回収して、走り去ったもの、現場から。さすがプロだよ」

 いったい、なんのプロなのか。気になってしかたない。一条はそんな表情をしていた。

「遺体を回収、即出発。ってな感じでさぁ、すぱっ、すぱっ、やったから、きっと、かるめも気づいてなかったと思うよ」

 一条は「いま、遺体って言ってしまいましたよ、矢山さん」と、それを伝える。

「あれれ、そういえば?」作意か、真に聞き損じたのか判断不明の間合いで矢山はさらに口を開く。「五郷くん、君を跳ねた車の人ってどうなったんだっけ?」

「すぐに車から降りて来て謝ったから許したぞ。いはやは、ご心配なくお嬢さん、と言ってな」

「なら、一軒落着だ! 何もなかったことと同じだね!」矢山は言い切り「というワケで、今日だ、三日目だ」と、仕切りを入れた。

 すると、一条が言った。「いったい………ここにいるみんなは、果たしていままでどういう世界観で生きて来たんだろうか。たぶん、それはボクの認識している世界じゃない気がする。むしろ、本能が無意識のうちの認識してはいけない世界なんだとしていた気さえする」

 一条のその発言はどっかモノローグ感を帯び、そして若干の慣れも見られはじめた。元の世界に戻ることへのあきらめも感じられる。

 しかし、五郷は様子を変えない。

「今日はどうするんだ。と、聞く前に、昨日はどうなったんだ。けっきょく、かるめ女子はどんな写真を撮って、アレのアレはどうなった」

「え、ああ。写真はまあ、猫がふつうにメシ食ってるだけだよ、こんな感じ」

 いつも通り、プリント済みの写真を掲げてみせる。その通り、八われ柄の猫が皿からエサを食べているのみだった。

「それで、どんな奴が当選したんだ」

「南西の国に住んでる偽造ビザ業者の人間に当たったよ」

「ある意味、おおむね期待通りの当選者だな、という感想だけ述べておよ、おっさん」

「しかしね! 今日こそは、世界を幸せにするような写真を撮らせるんだあ!」

「急に盛り上がんなよ、気に食わないから」

 言い返しながら五郷は、ついさっき立寄ったコンビニで矢山に買わせたサンドイッチの封をあけ、とんがりへ齧りつく。

「相変わらずよくそんなことがいえるね、きみ」矢山は妙に冷静だった。「気に食わない奴に買ってもらったサンドイッチを平然と食いながら」

「客観視、ってのを無視して生きてるんだ、俺は」

 聞かされたものにとって、至極、とらえずらいことを述べ、サンドイッチを食い、また、矢山に買わせた珈琲味の豆乳を飲む。

 一方、自らは望んでいないが、五郷と同じ種類のサンドイッチを買い与えられた一条だったが、ビニール袋から取り出そうともしない。遠慮ではなく、この場では食欲が沸かない様子だった。

「じゃ、食べながらでもいいからちゃんと聞きなよ、五郷くん」

「ああ、まかせろ、聞いてやるし、なんだって死ぬ気でやってるぜ」

 口を拭いながら応じる。台詞に反して、重力は感じさせる、むしろ軽薄だった。

「いままで我々は間違っていたんだよ」

「おおっ、なんだよ? そういう話の入り方できたか。ヨシ、聞いてやる、つづけろ」

 傲慢な態度に手を緩めとなくうながす。矢山は平気そうだった。

「まず。だ。なぜ、私がかるめに良い写真を撮らせるために、わざわざ君たち二人を雇ったのか。ちゃんと説明してなかったんだ。そこに、二日連続の失敗の原因を見出したんだ。結果から分析した」

 しみじみとした口調で言う。矢山の満悦ともいえる表情から、優れたポイントにたどり着いたとだと思っている節が見える。

 ああ、おそらく今日からまた、新しい種類の厄介が始まる。一条の煮え湯を飲まされるような表情から、そう思っていることを察するのは容易かった。これは確実にまた始まってしまう。今日もまた体験することになる。妖怪体験めいたものを体験することになる。

 地獄が迫っている気分も多少あった。

 ところが、矢山は一条の心の流れなど汲み取る機能を搭載している気配はない。ようようとしゃべり出す。

「君たちも気になってたたろ? 思ったろ? そもそも、自分の娘なんだから私が直接出向いて、かるめに良い写真を撮らせるように仕向ければいいんじゃないか、ってな」

 言われ、ふたりは長い間、黙っていた。テレビの放送局でいうところの、放送事故といえるだけの時間、黙りつづけていた。

 そして長い間、沈黙を生産した後。

「………いいや」

 やがて、五郷が顏を左右に振る。

「なんで思わないのよ」

 たまらずという様子で矢山が迫った。

「思いないさいよ、君たち」矢山はいった。部類としては脅迫ともいえた。

「いや………だってあんまし、おっさんの前で頑張って生きようって、思ってえないんだよな。いや、むしろ、頑張れそうな場面では、ええい、がんばって頑張らないようにしなくては! ってのがあってさ」

「うん、五郷くん。こちらが求めた回答とは、また、別の属性ことを言ってよこしたね。しかも、しかも、私がダメージを負う告白でもあるよ、それは」

「んん、なんだろなぁ、あわよくば、おっさんの心を壊してやろうって意志が出ちまうんだろうな。たぶん、俺の本能が無意識にそれをさせるつーか。再起不能にしてやろうって、おさえきれない気持ちが」

「君は、ホント、屈辱してる相手に買ってもらった豆乳を飲みながらよく平然とそんなことがいえるね」苛立つことはせず、しみじみとした口調で言った。「まあいいよ、いまは話を先へ進めよう。つまりね、こういうことだよ。私と娘はいま一緒に暮らしてない。なぜなら、いままさに妻と私の仲が崩れかけてるからなんだ」

「高校生相手にいったいなんの話をはじめてんだよ」

 五郷がうんざりした表情で、豆乳の最後の一口を飲み干す。

「いやいや、浮気とかじゃないんだよ、ただ、ただ、なんというかー………哲学の違い? とでもいうべきかねぇ………いやはや、なっはっは」

「わ………わらってるよ………」

 一条はひいていた。笑うしかない、その域に達してると察し、それはまた、人間関係の末期症状の印象を与える。

 すると、五郷が豆乳の紙パックに突き刺したストローを咥えながら「ったく、いやだねえ、こういう奴が、最後人類を絶滅させる核ミサイル発射ボタンとか押しちゃうんだろな」といった。

 一条はコメントをしなかった。

 矢山は続ける。「まあね、じつはなんだかんだで、私は、かるめとも、もう十年ちかく、まともな感じで一緒に暮らせていないんだ。だからね、いまさら顏を見せるのが、なんだかやりにくいってものあるんだ」

「いや、俺たちふたりはかんたんに玩具にしてるヤツがよくいうぜ。あんた、そんな繊細な人間であるはずがない。」

「しかしね、特別な存在ってのは、人生にあるんだよ。五郷くん」

「つか、べつに獄中にいるワケじゃねえだし、会いたきゃ会いに行きゃいいじゃねえの。たとえば、ほら、ポケットから札束でも見切れた状態でいけなば、向こうは気が狂わんばかりに喜んで会ってくれるだろぜ。パパー、って、マネーパパー、って」

「うん、それは君に会いに行く時に有効なパターンだろ。ザンネンながら、ウチのかるめは君とは違うんだよ、心の色レベルがね」

「おっさんの背景の話はもういいよ、どうせ感動も感情移入もしねえだろうし。こっちは基本的にスタートの時点からうんざりしてんだよ。さっさと今日の計画を話せよ。人生を時短してこうぜ」

「人生時短って、早死を希望しているようにもきこえるね」一条が感想を添える。

「なんとも味気ない世代だねえ………」

 屋山はしみじみといった。が、すぐに表情をいつもの軽薄そうなものへ戻す。

「では、今日の計画を発表するよ。今日、かるめは動物園に行きます」

 一呼吸ほど間があいて「ほう」五郷が声を漏らした。

「チャンスだよ、ふたりとも、動物園だよ!」矢山は興奮して続けた。

「なるほど、動物チャンスか」

 五郷は神妙な面持ちで、動物チャンス、なる結果的に得体の知れない造語を放ってゆく。一条も矢山も特に反応しなかった。

 その無視を、五郷は気にしない。

「なるほどぉ、こいつぁ、今日もひともんちゃくありそうだぜ」

 意味深につぶやく五郷へ、一条は「君が起すもんちゃくだろ、そのもんちゃく」といった。それから一条はそのまま「あの、ところで、どうしてかるめさんが今日動物園行くってわかったんですか、別居しているのに」なにげなく踏込んでゆく。

「うふふふ」

 対して矢山は気味わるく笑って誤魔化すだけだった。

 一条はのけぞり、五郷は「なんかあんたの笑顔って、毎回マイナスて点を叩き出すよな」と、愚弄してゆく。

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