ふらんけんしゅたいん
洒脱な若者で賑わう渋谷の街に、一際人目を引く少女がいた。
西洋人形のように愛らしい、大きなブルーの瞳。上等な白いワンピースに、赤いリボンのついた靴。ふわりとカールがかかったブロンドの髪の毛には、天使の輪が光る。彼女は代々木公園のベンチにちょこんと座り、スマホをじっと見つめていた。
「ねぇ、お嬢ちゃん。さっきからずっとここにいるけど、誰か待ってんの?」
そこへ、ゆらゆらと男たちが近寄っていく。全員がゾンビの仮装をしており、若い顔にはマスクやらペイントやらで派手な装飾がされていた。だが下卑た目は一様に、少女の華奢な体を舐め回すように眺めている。
「退屈してんならさぁ、俺たちと……」
その時、少女が突然立ち上がり、男たちの方へと歩き出す。ゾンビマスクで口を隠した男が、誘いに乗ってきたな、と秘かににやけたが、その笑みは一瞬で消える。出刃包丁。その光る刃が、仲間の背中から生えていた。
「う……うあ、うわあああ!」
つんざく叫び声など意にも介さず、返り血に濡れた白いワンピースの裾を振り乱し、何度も何度も、少女は腹部を刺し、引き抜き、また刺す。目玉の中に血液が入ってもお構いなしに。瞬きすらせずに。
「け、けいさ、警察! 警察!」
「いやいいってそんなの! 逃げよう、ガチでやべえ!」
「助けて! 助けてえ!」
バラバラに悲鳴をあげて、ゾンビたちが逃げ惑う。残された哀れな一体が、何が起こったかもわからないままに息を引き取ると、少女はやっと一息をついた。
「はぁ、つかれた……」
カランと包丁を地に置いたとき、ふと、亡骸のポケットから板ガムが溢れているのに気づいた。かわいらしい桃のイラストが描かれている。少しだけ興味を惹かれて、そのガムを拾い上げた。銀紙のおかげで、中身は無事で、食べられそうだ。
拾い食いをすると怒られるだろうか。
そんな思いが頭をよぎったが、少女はやはり好奇心を抑えきれず、ガムを口に放り込む。甘い。無機質な甘味。それ以上でも以下でもない。安っぽい香料の香りが鼻を抜ける。けれど、少女の心はかつてないほど満たされていた。自分で選んで、自分で行動する。そのことが、アスパルテームの甘さの何倍も、彼女の心を喜ばせた。
「何をしているんだい、メアリー?」
しかし、そんな幸せを十分に噛み締める間もなく、背後からかけられた声に少女はビクッと驚いて、咄嗟にガムを飲み込む。おそるおそる振り返ると、白い街灯に照らされて、黒い燕尾服を着た男が立っていた。
「お父……さま」
「遅れてすまなかったね。会合が長引いてしまったんだ」
少女——メアリーは慌てて、残りの板ガムを後ろ手に隠したが、遅かった。血のついた小さな手首を、白い手袋を嵌めた男の手が、きつく掴みあげる。
「で、なんだい、これは」
「これ、は」
「こんな味付き樹脂を食すとは……私がお前に与えるお菓子では足りなかったのかな?」
ゾッとメアリーの顔から血の気が引く。ぎりぎりと音が出そうなほど、か弱い手首が締め上げられる。
「い、いいえ、そうじゃないの、お父さま」
「違わないだろう? だからこんなことをしたんだろう? どうせお前も、私のことを、ダメでクズな至らない男だと思っているんだろう?」
「ちがう、ちがうわ。だからお願い、もうやめて……」
次の瞬間、少女の視界がぐるりと反転する。
月が登る夜空が下に、公園の噴水が上に。そして肺が割れるような衝撃。燕尾服の男は、メアリーの足首を持って逆さまにすると、背中を容赦無く平手で打ち始めた。
「さぁ吐きなさい! 有害なものを、さっさと吐いてしまいなさい!」
ささやかな幸福感など、とっくに掻き消えていた。
ただ感じられるのは苦い胃液の味と、肺からせり上がる気管の痛み。この苦しみから一刻も早く逃れたいという思いと、果てしのない後悔だけ。
「が、がぁ、ぐっ——」
額に汗を滴らせながら、永遠にも思われる殴打の後で、ころりとガムが喉から転げ出る。パッと足首を離され、地面に落ちる。涙で周りは見えず、息は切れて、心臓がバクバクいう音で気が狂いそうになる。
「ああ、ああ、私の愛しいメアリー!」
ぎゅっと抱き締めてくる腕を抱き返すことも、突き放すこともままならない。人形のように黙って動かずにいると、やがてシクシクと泣く声が、耳元に届いた。
「ああ……ごめん。ごめんよ。本当は私もこんなことしたくないんだ。私がもっとちゃんとした男だったら、お前をこんな辛い目に遭わせることもなかったろうに。ああ、この世で誰より愛しいメアリー。どうかこの情けない父を許しておくれ……」
少女は何も言わぬまま、ただ月を見上げた。誰もいない世界に行きたい。静かな世界に。それさえ叶うなら、もう何も要らないのに。
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