すくらんぶるこうさてん




 今年の渋谷のハロウィンでは、仮装して出歩くことが許されていた。


 吸血鬼や女、ミイラに狼男、人気のマスコットキャラクター、奇をてらった出典不明の着ぐるみ——古今東西の妖怪が、楽しげに笑い合い、絶え間なくすれ違う街の中では、血まみれのワンピースを着た少女と燕尾服の男はかえって地味すぎる方だった。それでもなお、メアリーの美しい顔と、丁寧に着込まれた上質な礼服は、ある種の人々の関心を惹いていたが。



「いいね、メアリー。今夜は特別な夜だ」



 鎖のように繋がれた手から、父の興奮が伝わってくる。メアリーはただ、機械のように頷いた。

「お前を作るのには、実に長い年月がかかった。恵、亜美、里帆。失った三人の娘の体をつなぎ合わせるために、本当に多くの犠牲を払ってきた……『協会』に所属できたのが、やはり一番大きかったな。彼らの助けなくしては、お前は今、こうしてヒトとして顕在できてはいなかったろうからね」

 ことあるごとに、父はメアリーにこの話をする。

 言い方は変われど、内容はいつも「今があるのは協会のおかげだ」という、恩着せがましさを否めない話だった。

「いいかい。今のお前は、その体の接合を保つために、夜ごと人を殺す必要がある。そして外界の者は神聖な術式を汚す。だからこの父以外とは誰とも関わらず、すぐ殺さなくてはならない」

「はい」

「でも安心しなさい。そんな窮屈な日々も、今日でおしまいだよ」



 四面の大型ビジョンが輝く、スクランブル交差点。



 ぎらぎらと激しい光を往来へと降り注がせながら、スピーカー越しの声がしきりに何かを宣伝している。あまりの眩しさに、月も星も、もう見えない。

「お前自身の手で、

 細やかな彫刻を施された銀のナイフが、メアリーの小さな手に握らされる。彼女は思わず父の顔を見上げた。逆光の中でこちらを見つめる父は、これまで見たこともないほど、落ち着いた目をしていた。


「そうすれば、お前は完全な存在になれる。私と永遠に一緒にいられ、少しのことでは壊れない、究極の少女に。恵も亜美も里帆も、この父の子として一緒にやっていくことのできない、脆い存在だった——今宵『完全』になるお前こそが、ただ一人の私の家族なのだよ」


 穏やかな父の声を聞いているうちに、なぜか目から涙が溢れた。なんの涙かは分からなかったし、もう何も考えたくなかった。なんの罪もない人々が、そこかしこで楽しそうに喋り合っていた。誰も助けてくれない。きっとそれは他人だから。


「わかったわ、お父さま」


 信号が赤から青に変わる。


 少女はナイフを両手で持ち、父に背を向けた。それからくるりと振り返る。光を無くしたその目に、絶望を讃えて。


「では——


 どうしても、彼女にはできなかった。たとえ誰も自分を助けてくれないとしても。すでに己の手が汚れているとしても。何もこんな賑やかな夜に、こんな華やかな街で、無関係の人びとを殺すだなんて——それをしてしまったら、きっと自分は本当に、人間ではいられなくなってしまう。


 歩き出す雑踏に紛れて、メアリーは父の脇腹にナイフを突き立てた。


「……三度も、だ」


 呟くのが、遠く聞こえる。

 背中を、男の大きな手が、優しく撫でるのがわかる。

「お前たちはいつも、最後には私を刺すのだね。誰よりお前たちを愛している父を。この世で誰にも愛されないお前たちへ、ただ一人無償の愛を与えている、この父を。こんなことを三度もされて、私が対策を練っていないとでも思ったのかい?」

「なっ……」

 刺した腹から、血液ではなく、黒々とした何かが出てくる。煙のようにも、触手のようにも見えるそれは、みるみるうちにメアリーの全身を包み込む。


「いや、いや……!」


 抗おうにもどうにもならず、操り人形のように手足の自由を奪われる。銀のナイフが再び彼女の手に握らされ、赤い靴を履いた足が勝手に、雑踏の方へ歩いていく。


「矯正なんだ。親の愛というのは、とどのつまり」


 おぞましいほどに慈愛に満ちた声が、メアリーの脳内に直接響く。

「これはお前のためなんだよ」


 

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