第8話 壊れた道具
「なんとか潜入できました」
少女は今、標的のいる建物に侵入が成功したところだった。
周囲に人影はなく、侵入に気づかれた様子もなかった。
「今回の任務は中々骨が折れそうですね」
いつもなら炎を駆使して勢いよく突入して、標的を殺しているが、今回はそういう訳にはいかなかった。
「まさか、標的以外の人間を殺してはいけないとは」
いつもとは違う厄介なこの任務を言い渡されたのは、言い渡されたのは今朝のことだった。
前回の任務から珍しく数日猶予があり、十分体を休めてからの任務だった。
いつも通りにボスの部屋へ行き、命令が下るのを待っていた。
いつもなら淡々と命令を言い渡されるのだが、今回はなぜか少し言いにくそうだった。
「今回の標的は灰の防護服を作っている会社の社長だ。任務を遂行する時に他の者は殺さず、周囲の設備もなるべく破壊しないようにしろ」
「了解しました。あの……一つ質問してもよろしいでしょうか?」
少女はいつもは内容を聞いたらさっさと任務に出ていたが、珍しいことに今回は質問をした。
「いいだろう。何を聞きたい?」
いつもと様子が違う少女を不思議に思いつつも許可を出した。
「なぜ、標的以外を殺してはならないのですか?いつも通り姿を見たもの全員を殺すのではダメなのですか?」
「何を聞くかと思えばその事か。普段ならお前には関係ないと一蹴していた質問だが、今回はそうもいかないな。この任務はお前にも関係がある事だからな」
まさか自分にも関係があるとは思ってもいなかった少女は、驚きながら聞き返す。
「私にもですか?」
「ああ、やつは異能力者を殺すための道具を製造し始めた。作っている者たちは、自分たちが何を作っているのか知らずにいる。何を作っているのか理解してるのは社長のみだ。それに、あの会社が製造する防護服は中々優秀で、失くすのは惜しい。だから、できる限り人員を殺さず、設備も壊さないようにしろと言ったわけだ。質問の答えはこれでいいか?」
「はい、ありがとうごさいます」
「では、さっさといけ」
「失礼します」
その後、部屋へ戻り準備をしてから任務を始めた。
周囲の警備の目を掻い潜り、なんとか潜入を果たして今に至る。
建物は大きく入り組んでいて、ひとたび道を間違えれば迷子になってしまい、警備に見つかってしまうだろう。
そうならない為に、あらかじめ内部の構造をしっかり頭に入れてきたが、面倒なことには変わりなかった。
「いつ侵入に気づかれるかわからないので、早めに移動しますか」
周囲の気配を探りながら少女は慎重に移動を開始した。
この建物は構造上一本道が多く、警備の目を欺くのは困難だ。
見つからないに越したことはないが、戦闘を回避するのは不可能ということは少女も理解していた。
それでも、もう少し後になると考えていたが甘かったようだ。
「なるほど、曲がり角に警備を配置すれば、侵入者を確実に発見できますね。隠れるような物は無いようですしこれは正面突破でいくしかありませんね」
少女の向かう先には二つの曲がり角があり、右へ行けば標的の部屋へ続いていて、左へ行けば防護服などのさふょうばに続いていた。
そして警備はその二つの曲がり角の真ん中に一人立っていたのだった。
ばれないように標的のところまで移動できるのが理想だったが、できなかったものは仕方がないと意識を切り替える。
そしてタイミングを計り、勢いよく角から飛び出した。
「誰だ貴様!止まれ!」
案の定警備に見つかり銃を向けられるが、気にすることなく壁を蹴って左右に素早く動きながら一気に近づいていく。
「止まらないのなら撃つ!」
警告を無視されたことで危険人物だと認識した警備が少女に向かって発砲するが、ピンボールのように壁を跳ね回る少女には当たらない。
「くそっ、弾が当たらない」
何度も発砲するがs飛び回る少女にはかすりもせず、やがて
「ぐぁっ」
背後に移動した少女に頭を強く蹴られ、気絶してしまった。
「力加減が難しかったですが、何とか大丈夫そうですね」
警備が死んでいないことを確認した少女はほっと胸をなでおろし、素早くその場を離れた。
少女に筋力は常人の数倍もあり、その力で頭を蹴れば簡単に死んでしまう。
なので今回の蹴りはかなり力を抑えたもので、気絶させるのは殺すことよりも難しいことだった。
最短ルートで標的がいる部屋へ移動したかったが、そうもうまくはいかなくった。
「発砲音が聞こえたぞ」
「皆こっちからだ早く来い」
先ほどの警備の発砲音を聞きつけた他の警備達が、続々とこの場所へやってきているようだった。
そして警備の一人が角から姿を現した。
「おい誰か倒れているぞ」
発砲音のした場所へ行くと、廊下で一人仲間が倒れていた。
周囲にはすでに誰もおらず、犯人はいなかった。
「敵は近くにいるはずだ、探せ!」
警備達をまとめる男が命令を出し、周囲をくまなく探させようとした時だった。
「隊長!あそこに何か赤いのが見えました」
一人の警備がそう報告をしたのだった。
「何っ!本当か?」
「はい、あの角を曲がっていきました」
「俺も一瞬ですが何かが曲がっていくのは見えました」
「分かった。何人か見てこい」
次々と目撃証言の上がった謎の赤いものを確認しに部下を数人向かわせると、叫び声が聞こえてきた。
「どうした!」
確認しに部下の元へ移動すると何が起きているのかが分かった。
「火が、建物が燃えています!」
瞳に移ったのは、廊下が徐々に燃え始めている火事の光景だった。
警備達が見た者は炎で、それが建物を燃やし始めていたのだ。
状況を素早く理解した隊長は部下たちに命令を下した。
「何人かは近くに消火器を持ってこい!まだ火は小さいから今のうちに食い止めるぞ。残りの者はまだ作業をしている者たちを念のため避難させる部隊と、逃げた犯人を追う舞台の二つに分けろ。いいな!」
「了解!」
すぐさま命令を遂行するためにその場を離れる警備達。
そして一瞬その場に誰もいなくなった時、少女が姿を現した。
「まさか誰も天井にいる私に気づかないとは思いませんでした」
少女は警備達がこの場に来る前に逃げることは不可能と考え、標的の部屋へ向かう道とは逆方向に小さな火を放ち、頃合いを見て操作して警備達にわざと見つけさせたのだった。
少女がその場にいないことから逃げ出したと思わせて、標的のいる場所の警備の数を減らしたのだった。
「こんなにもうまくいくとは拍子抜けですが、急ぎますか」
火が燃え上がるのを少し抑えながら標的に部屋へ向かった。
向かう途中作戦が成功したのか、本来なら配置されている場所に警備はほとんどおらず、数回戦闘をしただけで簡単に標的の部屋の前へたどり着いた。
「思っていたよりも数が少ない気がしますが、気のせいでしょうか?」
火を消しに行った人数と、配置されていた警備の数を足しても想像していたよりも少ないことに疑問を覚えたが、自分の考えすぎだと忘れることにした。
部屋へ突入する前に中の様子を探ると、人の気配が一つしか存在しなかった。
「妙ですね、部屋で一人でいるとは何かの罠でしょうか?」
一人でいることの意味を考えるが、部屋へ入りすぐさま炎を放てば大抵のことは対処できると思い、ひと呼吸を入れてから扉を破壊して中に突入した。
「誰だ!」
突然扉が破壊されたことに驚いた標的が近くにあった銃を少女に向けるが、それよりも早く少女は炎を放つ。
「あっ……れ?」
はずだったが炎は出ず、勢いよく踏み込んだ足からは力が抜け床に倒れこんでしまう。
「ぐっ……」
そして、倒れた少女の背中に二発の銃弾が発砲された。
普段なら少女の肉体に銃弾は通じず、少々の痛みと衝撃があるだけなのだが、今回は貫通とはいかないまでも体にめり込んでいた。
「その様子を見るに、貴様は異能力者のようだな」
痛みに耐えていると頭上から低い声が聞こえてきた。
顔を上げると、標的が銃を向けながらこちらを見ていた。
「何を……したのですか」
「そうだな、貴様はこの道具を使った初めての異能力者だから特別に話してやろう。簡潔に話すと、異能を封じる道具だ」
「異能を……」
「そうだ。貴様が私を殺しに来た理由もわかっている。大方道具を製造される前に殺そうとしに来たのだろうが、遅かったな。すでに完成している」
少女の炎が出なかった理由はそれで説明がつくが、それだけでは少女の身体に力が入らない理由と銃弾の説明がつかない。
「体に力が入らない理由は?」
「それも簡単だ。異能力者にのみ衰弱させる道具だ。そして貴様が受けた弾丸も異能力者の身体に通用する特別な弾丸だ」
「そんな道具が作れるとは……」
まさにボスが危惧していた状況になっていた。
異能力者に対抗する道具、その恐ろしさを今身をもって実感していた。
傷の治りも遅く、体も思うように動かない。
目の前には自分に通用する銃を持った標的。
さすがの少女とはいえ、異能が封じられ、持ち前の再生能力が効きにくいとなるとこの状況を覆すのは不可能に近かった。
「おしゃべりはもう終わりでいいか?」
「まだ……ぐっ」
起き上がろうとした少女にもう一発弾丸が発射される。
「すごいな君は。この弾丸は本来なら貫通しているはずなのに、まだ動けるとはな。なるほど、貴様が紅か」
「さぁどうでしょう」
「ふっ。無理に隠さなくてもいい。その頑丈な肉体に、先ほど報告があった炎、そして対異能力者の道具を製造し始めた私を殺しに来たタイミング。それらを総合すれば、おのずと導き出される」
「そうですか」
男の話を聞きながらも、少女の頭の中はどうすれば殺せるかについて考えていた。
全力を出せば、一瞬だけ動くことはできるが、今までのような機敏な動きは無理だ。
これ以上銃弾を食らえば完全に動けなくなってしまう。
近づくことさえできれば殺すことは容易いが、目の前の男までの距離が今は果てしなく遠く思えた。
「私は……」
少女のか細い声に男は反応した。
「何だ?」
男の目には皿の上の魚のように映っているのだろう。
最後の抵抗を見届けようと、楽しんでいる節もある。
そんな男を少女は強く、殺意のこもった目で睨み呟いた。
「殺します」
その一言を聞き、男は愉快そうに大きな声で笑った。
「何を言うかと思えば、殺すか。今の自分を見ろ。そんなことができると思っているのか?私は笑い殺すつもりか?」
男は少女の殺意を気にすることなく笑い続ける。
やがて満足したのか笑うのをやめ、とある提案をした。
「貴様が気に入った。紅よ、私の部下になれ」
「部下に?」
「そうだ。これから先、異能力者との戦争は確実に起こるだろう。これまでもそれに近い小競り合いはいくつも起きている。対異能力者の道具が完成したとしても、戦いは厳しいものになる。そこで貴様の戦闘力が欲しい」
男の言っていることは理解できる。
戦いにおいて絶対はない。
そんなに準備をしたとしても、負けるときは簡単に負ける。
その可能性を少しでも低くしたいという気持ちはわかる。
だが、少女の中に組織を裏切るという選択肢はなかった。
「お断りします」
少女の返答に残念そうに男は首を振る。
「分かってはいたが、実に惜しいな。だが、私の部下にならないというのならもういい。死ね」
遊びは終わりと言わんばかりに、男の雰囲気が変わり今度は少女の頭に照準が向けられた。
「無駄に吠えたところで貴様は任務をこなすことができずに、一人孤独で無様に死ぬのだ」
その言葉を聞いて少女の中で何か、スイッチが入ったような気がした。
少女にとって孤独とは死と同義だった。
幼いころから組織によって育てられていたが、常に一人だった。
そして、一人の時には任務が命じられ、誰かを殺した。
一人は寂しく、恐ろしいことで、それを忘れるために任務に没頭していた。
それは今も変わらない。
忘れようと、意識しないようにしていた少女に、男の言葉はそれを思い出させた。
そんなことはつゆ知らず、男は余裕をもって少女に問いかける。
「何か言い残すことは?」
「――――」
少女が発した言葉は意外なものによって遮られた。
「お父さん!」
それは女の子の声だった。
後ろを見れば、破壊した扉の前に小さな女の子が立っていた。
「なぜアリアがここに!」
どうやらこの女の子は男の娘のようで、この状況にさすがの男も動揺していた。
「警備の人にお父さんに会いに行きたいって言ったら、火事も消化できたからって連れてきてくれたよ」
「なんだと!」
そしてその動揺した隙を少女は逃さなかった。
体を起こして、今まで貯めていた力を一気に解放した。
震える足に力を込めて地面を強く蹴り、弾丸のように男に突進した。
警戒している時ならば発砲されてそれでお終いだったが、一瞬の隙をつき、撃てば娘に当たるかもしれないと思い逡巡した男の胸を手刀で貫いた。
「かはっ」
手から銃が零れ落ち、胸からはおびただしい量の血が流れだす。
「お父さん!」
背後から叫び声が聞こえてくるがそれを無視して、胸から手を抜いた。
より一層血が流れ男は膝から倒れた。
「あ、アリア……」
最後の力で最愛の娘に向かって手を伸ばすが、それは届くことなく冷たい床に落ちた。
その瞬間に重かった少女の身体は軽くなり、炎も出すことができた。
念のため男の身体を調べるが、道具は何も出てこなかった。
「お父さん?」
そんな少女に男の娘は震えながら近づいてくる。
少女は任務を達成した以上これ以上この場にいる理由はないので、すぐさまその場を立ち去ろうとすると、男の娘と目が合った。
その瞳からは涙がいくつも零れており、少女がいつも浴びせられたどの感情とも違く、悲しみが宿っていた。
少女が殺した相手はいつも怒りや憎しみの感情をむき出しにしていたが、男の最後は娘への愛情、そしてその娘からは悲しみの感情が感じられた。
娘は少女を無視して、冷たくなり始めた父へと駆け寄る。
「お父さん?ねぇ、お父さん!返事してよ!お父さん!」
泣きながらもう返事をすることのない父へと何度も呼び掛ける。
その悲痛な叫びを聞いて少女は今まで感じたことのない気持ちを抱いた。
少女はこれ以上この場に居ることはできなかった。
立ち去る前にただ一言
「ごめんなさい」
と男の娘に投げかけてその場を立ち去った。
逃げる間も娘のお父さんという叫びは何度も、何度も聞こえてきて、少女の胸は今張り裂けそうだった。
そして走りながらずっと、ごめんなさいと何度も繰り返し呟いた。
「なんでしょう、この気持ちは。辛く、苦しく、なぜか涙が出てきます」
そう思いながら少女はこの感情に覚えがあった。
それがどこで感じたものかを思い出すと、この感情の正体が分かった。
「これが、悲しみの感情」
少女は今まで感情と鋳物を知らなかったが、先日悲しみの感情を理解したところだった。
そしてその時に感じたものと、今感じているものが同じものだった。
今感じているのが何の感情か理解したが、なぜ感じているのかはわからなかった。
ただ、頭の中には、ごめんなさいという言葉がだけが思い浮かんでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます