4章 少年の閉じる世界
1 特別さの意味
成年を迎えるまで、十五年の歳月を過ごした、狭く小さな世界。
その中で、自分だけなにかが違う、という漠然とした気づきは、物心つくころにはすでにあったように思う。
名前の呼ばれ方。話しかけられ方。投げかけた要求への反応の速さ。優しくされるのも、優先されるのも、いつだって自分の方だった。
だから、自分は特別な存在なのだと思っていた。
その認識は正しく、けれども、優越感をもって捉えた“特別さ”の意味だけは、とんでもなく履き違えていたことを、レヴィン・トワ・ティシャールは成長と共に知っていくことになる。
彼がこの世に生を享けたとき、その誕生を心から喜べた者は、おそらくいなかっただろう。
最後の国の次代の王は、このときすでにつくられたあとだったから。
もしも王が、愛する王妃との子を次代に、と望んだら。もしもそれが波乱の呼び水となって、滅びを迎えることになったら。不確かな“もしも”でつなげられた無数の恐れによって、レヴィンは滅びの種となった。
王籍を廃され、新たな公爵位を授けられることになった彼が、成年を迎えるまでのあいだ、後見役を任されたのがアトロス伯爵家だった。
歴史はあっても力はなく、母である王妃の生家とも縁遠い、気弱で善良な男が当主を務める家。だからおそらく、後見役は押しつけられたのだろうとレヴィンは思っている。気弱な伯爵がどれほど狼狽してそれを受け止めたかは、容易に想像がつく。
反対に、伯爵夫人がどんな心境でもって事態を受け止めたのかは、わからない。ただ、結果として彼女がとった行動ならば、レヴィンはよく知っていた。
穏やかで、おおらか。そのくせ大切だと思うことには、どこまでも辛抱強く向き合う強さのある人だった。とにかく子煩悩で、乳母には任せず自ら子育てをしていた。貴族女性としては変わり者といえる女性でもあった。
とんでもなくいわくつきの子どもであったレヴィンに対しても、人を雇って任せることはしなかった。そんな彼女のことを、レヴィンはロサンナと呼んで慕っていた。
「レヴィン様、あなたは国王夫妻からお預かりした大切なお子様です。大人になるその日まで、あなたがこの家で健やかに成長していけるよう、私がお傍におりますからね」
ロサンナはよく、歌うような声音でそう言った。
レヴィンの出生と、アトロス家が後見役であるということは、はじめから隠されず、語り聞かされて育った。けれど、優しい乳母が滅びの種について触れることはなかったから、レヴィンはそれを別の人物から知ることになった。
アトロス家には、五人の子どもがいた。
そのうちエルマとゼルマは、ちょうどまんなかの子どもだった。レヴィンよりも少しだけ年上で、上と下のきょうだいに挟まれていたせいか、まわりをよく見て動くことのできる子どもたちだった。
そのためか、ほどよく加減のできる遊び相手としてレヴィンと過ごすことが多く、ロサンナの子どもたちの中では、もっとも身近な存在だった。良いことをしたときには二人がかりで過剰なくらいに褒めちぎり、危ないことをしたときには、きちんと叱ってくれた。優しい姉と兄のように。
双子の上には、二人の兄がいた。年の離れた彼らは、レヴィンが話しかければ優しく応じてくれたが、いつでも離れた場所にいて、そこからレヴィンを見るときは、なぜだかとても冷たい目をしていた。
「あれは滅びの種なんだぞ。変に冷遇して、歪んでしまったらどうする。従順でまっとうな人間に育てる義務が、我が家にはあるんだ。……そういう役割を押しつけられてしまった以上は」
あるとき彼らがひそやかに話しているのを聞いて、レヴィンはそのときはじめて滅びの種という言葉を耳にした。そのときは、それが誰を示す言葉なのかも、その言葉の意味も、よくわからなかったけれど。
五人の子どものうち、いちばん下の末っ子は、レヴィンと同じ歳の女の子だった。なにかと母親の手が必要な幼いうちは一緒に過ごすことも多かったけれど、自己主張ができる年齢になると、彼女はレヴィンに不満をぶつけるようになった。
「やだぁあッ! かあさま、わたしの! わたしのなの!」
まだ甘えたい盛りの末っ子は、母親の関心を奪う邪魔者を、なんとか遠ざけようと必死だった。言葉でうまく伝えられないぶん、自分より体の小さな男の子を押したり叩いたりして表現する。
ロサンナにしてみれば、我が子の気持ちは理解できても、体が弱くてすぐに熱を出してしまうレヴィンを気にかけないわけにはいかなかったのだろう。
手のかからない年齢になるにつれ、末っ子の面倒は二人の兄が見るようになった。ロサンナは、双子がレヴィンの相手をしている合間をみて、末っ子の様子を見に行っているようだった。
自分が末っ子よりもロサンナに優先されるのは、それだけ彼女に愛されているからなのだとレヴィンは思っていた。どれだけ語り聞かされていても、実母と乳母、その言葉が示す意味の違いなど、まだ理解できない幼いころのことだった。
それに疑問を抱くようになったのは、末っ子の誕生日に起きた出来事がきっかけだった。
その前日に熱を出していたレヴィンは、午睡から目覚めて一人だと気づくと、寂しくなってロサンナと双子を探した。
レヴィンが彼らを見つけたとき、そこにはアトロス家の家族全員が集まっていて、末っ子の誕生日を祝っていた。
レヴィンの存在に気づいたロサンナに寂しかったと伝えていると、駆け寄ってきた末っ子に、勢いよく突き飛ばされて尻もちをついた。
ここまでなら、いつものことだったのだ。
「あんたのせいで、いつも私はひとりぼっちなのに! 今日ぐらい、いいじゃない! とらないでよ!」
泣きながらそう言った末っ子に、アトロス家の者たちは、気勢をそがれたように叱責を中断させたのだ。一転して、なだめるように優しく声をかけはじめたその様子は、まるで彼女の言い分に理があるかのようだった。
彼らの輪の外で一人尻もちをついたままのレヴィンは、状況をうまく呑み込めないまま、ただ、どうして、と思っていた。
その疑問に答えを与えたのは、彼が七歳になると同時に開始された教育だった。それまでは乳母が語り聞かせた程度の知識しかなかった世の中の事柄について、レヴィンは知ることになった。
神々の誕生からはじまる世界の成り立ちと、多くの国々が迎えた滅びの歴史。最後に残ったこの国のこと。なかでも、もっとも重きを置いて教えられたのは、民のこころについてだった。そこでレヴィンは、はじめて滅びの種という言葉の意味を知り、同時に自身の置かれた立場についても理解していった。
――従順でまっとうな人間に育てる義務が、我が家にはあるんだ。
――あんたのせいで、いつも私は一人ぼっちなのに!
アトロス家という狭く小さな世界の中で、レヴィンがこれまで感じてきたことが、ひとつの線で結ばれていく。
そうしてようやく思い知ったのだ。
この家にとっての自分が、厄介者以外の何者でもないのだと。
王城から派遣された講師は、この教育を、レヴィンが公爵になるために必要なものだと説明した。けれど実際のところは、滅びの種への心理教育が第一の目的であり、万一のときには王のスペアとして利用できるよう、知識の下地くらいは与えておこうという狙いもあったのだろう。
民が恐れる滅びの種として、切り捨て遠ざける一方で、必要になれば利用することも念頭に入れているのだ。機会がこなければ一顧だにせず、機会がくれば当然のように利用する。この国にとってのレヴィンは、そういう存在だった。
それに気づいたとき、怒りよりも先に、そんなふうにしか扱われない自分の価値のなさに、ただ愕然とした。
自分の持つ“特別さ”に、優越感を抱ける要素など少しもなかったのだ。これはたぶん、一生ついてまわっては、自分の生き方を呪いのように縛っていくものなのではないか。そういう重苦しい予感があった。
歳を重ね、成年に近づいていくごとに、この家を離れて一人で生きていくことへの不安が強くなっていった。それでも潰れず立っていられたのは、ロサンナと双子がいたからだ。こんな自分にも惜しまず愛を与えてくれた人たちに、申し訳なかったから。
成長し、視野が広がるにつれて、自分がいることで、この家の人たちにどれだけの負担を強いているのかが見えてくる。滅びの種を抱える家、というだけで、跡継ぎである長男の縁談にさえ良くない影響を及ぼしていることを、使用人たちの噂話で耳にした。それはきっと、レヴィンがこの家にいるかぎり、他の兄弟たちにもつきまとう。
抱える不安と同じだけ、早くこの家を離れなければならない、という焦りがレヴィンの心を焼いた。二つの思いをどうしようもなく持て余しながら、この狭く小さな世界にいられる残りの日々を数えて過ごした。
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