3 寒さは、寂しさに似てる
目覚めたときに彼女が感じたのは、寒さだった。
寒さによって目覚めた、という方がより正確なのかもしれない。
眠りについたときと同じように、毛布と上掛けにくるまれているはずだ。雨に打たれていたときでさえ平気だったというのに、どうして今、こんなにも寒くて仕方がないのだろう。全身が小刻みに震えて止まらなかった。
小屋の中は暗く、そして静かだ。遠くでかすかに雨音が聞こえる。パチリと弾けるような音がして目をやれば、夜闇に沈む空間で、ストーブの火が小さく揺れていた。暖をとるための炎は、己のまわりを淡く照らすばかりで、この場を見通す役には立ってくれそうにない。
それでも少女は目を凝らして、暗い室内に視線を巡らせた。あの青年は――レヴィンは、どこにいるのだろう。視線は暗闇の上を無意味に滑るだけで、そこにあるはずのものを捉えることはできない。それともここには、なにもないのだろうか。自分はまた一人きりに戻ってしまったのだろうか。
寒くて、凍えてしまいそうだった。
この感覚によく似た感情の名を、知っている気がした。
「どうした?」
その声が耳に入った途端、不思議と肩の力が抜けて、ため息がもれた。間を置かず聞こえてきた衣擦れの音に、彼が思いのほか近くにいたことに今さら気づく。
暗がりの中、ようやくレヴィンの姿が視界に入る。少女の傍らに腰を下ろした彼は、静かに彼女の様子を観察したあと、眉をひそめた。
「呼吸が荒くなってるな。……熱が出てきたか?」
ささやくような声とともにレヴィンが彼女の額に触れる。その手はやはり温かくて、彼女はまぶたを閉じた。
「熱はないようだが震えているな。これから発熱するのかもしれない。今のうちに、もう少し部屋を暖めておくか」
レヴィンの手はあっさりと離れ、空気に触れた額がひやりとする。そのまま立ち上がる気配を見せたレヴィンを、彼女は反射的に引き止めた。
しん、と静かな時間が少しのあいだ場を支配する。
「……驚いた。そうか、体が動くようになったんだな」
目を見開いたレヴィンに言われて、はじめて自分の手が彼の手をつかんでいること
に気づく。けれどそれよりも、この手が離れていかないようにすることのほうが、今の彼女には重要だった。指先にできるかぎりの力を込める。
「……さ、む、い」
首を動かすだけでは伝えられないことを、なんとか伝えたくて、一音一音、意識しながら唇を動かす。はじめて、思う通りの声を出すことができた。
「……さむ、い……」
寒くて、凍えてしまいそうだから、離れていかないでほしい。
彼がいなくなってしまえば、彼女は一人だ。この寒さをどうすればいいのか、わからない。傍にいてほしい。
少女が一心に見上げる先で、あっけにとられて彼女を見下ろしていたレヴィンは、ふと真顔に戻ると視線を横に外した。
「……俺と、同じか……」
唇から漏れ出た声は、遠くかすかな雨音にも紛れてしまいそうなほど小さい。だから、もしかするとそれは、彼女には聞かせるつもりのなかった言葉なのかもしれない。
「話せるようにもなったのか?」
次に聞こえた声は、これまでと同じ大きさで響いた。
「身近に自分より小さな子がいなかったから、こういうとき、どうすればいいのか、よくわからないんだが――」
つかんでいる方とは反対のレヴィンの手が伸びて、くるまっていた上掛けごと、引き寄せられた。
「これで、少しは寒くなくなるか?」
体の片側に、大きな熱の塊がぶつかる。そこから伝わる温かさと、彼女の求めていたものとが、かっちりと噛み合った。だから、
「――って、おい、ちょっと待て……待て、」
得られる温もりを少しでも増やそうと、彼女は貪欲に動いた。具体的には、その熱源にできるだけ体を近づけて、接地面を多くした。可能なかぎりぴったりとくっついたうえで、ほうっ、と満足して息を吐くと、傍らからは、細く長い息を吐く音が伝わってきた。
「……いろいろ遠慮がないな、おまえは」
つぶやく声に咎める気配はなく、レヴィンが呆れながらもこの状態を受け入れているのがわかった。
雨のあたらない、暖かな空間。乾いた服の肌触り。濡れた髪を拭われるくすぐったい感覚。毛布と上掛けの柔らかさ。スープのおいしさと、温かなものがお腹を満たす幸福感。並べあげるときりがないくらいに、次々と与えられる、心地いいもの。
求めれば応じてくれる誰かがいることは、こんなにも安心できる。
「……さむ、く、ない」
投げかけられた問いの答えを、遅れて返した。
この温もりを感じていられるなら、もう大丈夫だと、そう思えた。身体の震えは変わらず続いているのに、胸の内は不思議なくらい落ち着いて、満たされている。
「そうか。……なら、よかった」
触れあうところを介して、レヴィンの体からふっと力みが抜けたのを感じた。
「もう少し眠れそうか?」
「……ねむ、れ、る」
温かさの中で、穏やかに眠気が広がってゆくのを感じる。レヴィンが「おやすみ」とささやく静かな声が聞こえた。
眠りに落ちる間際、まどろみの中で、ふと思い出す。
――ああ、そうだ。
寒くて、胸の内が凍えてしまいそうな、この感覚には名前があった。
人はそれを、寂しいと、そう言うはずだ。
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