第3話

 二発目の銃声がした暫く後――五分も経ってはいないと思うが――、大佐がひょっこりと、近所の煙草屋にでも行った帰りのように軽い足取りで、俺達が通った道をそのまま辿ってこちらに向かって歩いてきているのに気付いた。

 ――が、千鶴が俺の背中に手を回したままで離れないので、抱き合ったまま大佐を迎える事になってしまった。

「済んだぞ。どうした?」

 抱き合ったままの俺達に、訝しげな視線を向ける大佐。

 俺は、微かに嘆息して答える。

「愛の語らいの真っ最中です」

「そうか」

 くくっと笑った大佐が、予想以上にはお似合いだな、と、目で告げたので、千鶴に聞こえないように、声には出さず唇の動きだけで大佐に尋ねた。

『随分と簡単に殺すんですね』

 ふん、と、鼻で笑った大佐が、俺と同じように唇の動きだけで告げる。

『古い家だ、お前とは別の業がある』

 ま、人には其々の理由がある、ということだろう。

 俺の場合は、人死を上手く使いこなせないから手段として用いることが少ないだけだし、手段を使う必要性や必然性の観点は各個人に寄る。

 死は終点だ。千鶴が俺の腰の銃を抜き、反撃するのを見届けたように――あの場面では、撃ち損じる可能性もあったし、撃たない可能性もあった――“遊び”に命は賭けるが、いや、だからこそ単純な殺し合いはつまらん。単一色でしか染め上げられない殺意なんて、軍隊にいれば見飽きてる。

 が、しかし、大佐の判断について、今の俺が口を出す問題ではないと判断し、これ以上の問答は止めることにした。

 とんとん、と、軽く千鶴の背を掌で軽く叩き、もう大丈夫だから一度離れろ、と、伝える。


 一拍遅れて俺から離れた千鶴は、俯きながらも大佐の方に顔を向け――尤も、俺の服の裾を掴んだままだったが――、多少の非難も混じった声で尋ねた。

「兄さん、ワタシはどうなるの?」

「別に、どうにも。お前は、お前が渇望していた自由を得たというだけの話だ。自由を得たお前は、岩倉の家とは無関係だろう? ああ、それと、薬袋は黒幕と私を言ったが、其々が好き勝手に動いた結果が、たまたま私の利になったにすぎん。無駄な手間は掛けさせてくれるなよ?」

 非難の色を知って、本人の自己責任部分を示しながら、多少の恫喝を混ぜた大佐の言。

 良くも悪くも、完全に相手を封じてしまう所が大佐だよな、と、思う。力で押さえつけるのは、悪い手ではないが、いつか強い反発を招くというのに。そう、子爵と千鶴の関係がそうであったのだから。

 どうも、掌の中だけで事態を転がすには、大佐はやや高圧的過ぎる。いつか、高転びしそうな危うさがある。


「なんだ、不安なのか?」

 返事をしない千鶴に、大佐がからかうように尋ねた。

「当然だ……」

 千鶴は項垂れて答え――、大きく息を吸ってから、言葉を継いだ。

「ワタシは、どこかで大演壇になるような気がしていたんだ。兄さんが、上手く父上を説得して……。そう、全てが子供の頃の悪戯の結末のように、皆で笑える結末が来ると。だが……現実は辛いものだな」

 黄昏たように話す千鶴に――、いや、それよりも、あまり自分には経験の無い家族間の会話にどう口をはさんでいいのか分からず……かといって、無視するわけにもいかない状況――大佐は返事をする気はなさどうだ――で、なんと声をかけたものか思案していると、不意に千鶴が俺の目を覗き込んで言った。

「ふふ、お前は、そんな殊勝な顔はするな。ワタシは、全てを手に出来ないと知った時に、自分自身で選んだのだからな。本当に、大切なひとりを」

 千鶴の発言に、今度は本当に楽しそうに、しかし、声は出さずに大佐が笑い、わざと聞こえる声で、仕草だけは内緒話をするように、俺に向かって囁いた。

「千鶴は、随分とましになった。お前が、色々と手を焼いたからだろう? 案外、良い夫婦になりそうじゃないか」

 俺が普段する表情よりも、さらに凄味のあるにやけ顔が向けられ――、どこまで本気かを探ろうとした所で、会話を打ち切られてしまった。

「補給船は、もうすぐ出航する。……では、達者でな」

 俺と千鶴の横を通り過ぎて、――すれ違いざま、俺の背広の隠しに、おそらく手紙? だと思うが、そういったなにかを押し込んで、大佐は夜の闇に再び消えていった。

 過ぎ去った嵐に溜息を――、いや、そんな暇もなく、遠くから汽笛の音が響いた。

「船を逃したくない。……行けるか?」

 千鶴の目を覗きこんで訊ねる。


 千鶴は――、確かによりもずっとしっかりした笑顔で頷き、右手を差し出しながら、はっきりと答えた。

「もちろん」

 俺は千鶴の手を取り――。

 長かった道のりの最後を、一気に疾走した。掌に感じる体温を、決して逃がさないようにしっかりと捕まえながら。

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