第4話
誰も彼もが凍りついたような、短いようで長い時間が流れた。
だが、それでも千鶴は決められないようだった。
――所詮、ここまでの女か。
然程の落胆はない、が、多少の徒労感を持って俺はそう結論付け……微かに、誰にも見つからぬように嘆息し、ゆっくりと語り掛けた。
「事実として言うなら」
「うん?」
千鶴が顔を上げ、俺を見た。
「唆したのは、確かに俺だ」
最初、不思議そうな目で語り始めた俺を見ていた千鶴が、断言する言葉を聞いて、少し乾いた笑いを浮かべた。
「フフ、それがどうした?」
「決められないなら、気の迷いと言い切って、向こうに付いても構わんぞ? 今、お前が手にしている優位性は、この状況のかなりを支配しているのだからな」
千鶴に正面から向き合い、地面に転がる高貴な身分の二人を振り向きもせずに指し、平時の皮肉屋の顔で俺は千鶴に告げる。
元の家の価値が分かった、だから、戻りたい……という結末でも――期待外れではあるが、幕引きとしては充分だ。
現実として、俺の持ち金もそこそこ増えたし、物語としてもそこそこ楽しめはした。ここで終わられても、損はない。
千鶴のその後の事? 手元を離れるなら、その時点で興味も無い。昔の女に拘るなんて、柄でもないしな。
……いや。元より、次の舞台が開演するまでの関係だったか。
「……そこまで丁寧に教えずとも良い」
どんな色にも表現できない顔色で――、まっさらな表情で短く沈黙した千鶴が、銃を逆さまに持ち直して俺の前に突き出し、平時の尊大でありつつも微かな弱気を混ぜた声で告げた。
銃を受け取らぬまま、千鶴が続ける言葉を俺は待った。
銃を受け取らないことに、すこし不審な顔をした千鶴だったが、俺の表情を見ると、何事かを察した顔になり――。
真っ直ぐに立ち上がり、一歩踏み出し、銃を俺の胸に押し当て、はにかんだ。
「お前と行くさ。どこまでも」
「いいのか?」
俺に対する裏切りを後押ししてやるつもりが、むしろ、逆に焚き付けてしまった感じもあって、銃を受け取りながらも念押しをしてしまう。
俺が確認したことが意外だったのか、きょとんとした顔になった千鶴だったが――次の瞬間、嬉しそうな顔で一気に間合いを詰めてきた。
近付いてきた千鶴は、パン、と、両の平手で俺の頬を挟むようにして叩き、顔を思い切り寄せた。
あの始まりの夜を想起させる泣き明かした顔が目の前にあり、あの日よりもずっと深い眼差しで、ただ、真っ直ぐに俺を見詰めてくる千鶴。
「お前は、絡み合う情念の結末が知りたいのだろう? なら、ワタシが必要なはずだ」
凛とした顔で俺の瞳の奥を覗き込みながら、千鶴は断言し――、それから、少し照れたように付け加えた。
「それに、そもそも、ワタシは、ワタシの望みを叶える為に一緒に行くのだしな」
まだ、あの日の千鶴の言葉を、俺は覚えている。
しかし、敢えて惚けるような目で見つめ返してみた。
望みの半分は叶っただろう? 残りの半分を追い続けたいと今も願っているのか? と、試す意味も込めて。
千鶴は、俺のそんな反応も織り込み済み、と言った顔で、少し強気に宣言した。
「恋をする、と、言っただろう? 恋とは情念の塊で、手軽に出来る事では無いのだ。……お前と過ごす日々で、それを知った。だから、もう……、後戻りは出来ぬのだ!」
千鶴は――、未だに、最後の最後には背中を蹴っ飛ばされないと決断できないような優柔不断さはあるが――、随分と良い女になったと思う。
さっきまでの自論を翻すようで、少し締まらないが、ま、それも悪くはない。
確かに、千鶴ほどの女は、そう転がっているものでもないんだし――。次を探す内に老いさばらえるなんて、まったくもってつまらない。
「成程。では、これからも宜しく」
からかうように素っ気無く返事をした俺。
千鶴は、思いっ切り不機嫌そうに舌を出してから、いっそ清々しいくらいにはっきりと罵ってきた。
「この捻くれ者め!」
ははは、と、声を上げて俺は笑い――。
不貞た顔をしている千鶴に、初めて俺から接吻をした。
凪の終わった直後の強い海の風が、まるで祝福のように俺達を世界から切り取るように吹き抜けていった。
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