第3話

「それで、千鶴はどうする?」

 嗚咽する千鶴に、俺は追い打つように問い掛けた。表情も声も、平坦ないつも通りに俺に戻した上で。

「どう……とは?」

 泣き濡れた顔を微かに上げて、俺に向かって縋るような視線を向けてきた千鶴。もう、他には誰も頼れない。だから頼らせて欲しい、そんな甘い消去法のつまらない眼差しだ。

 ここで甘い言葉で誘い、俺が連れて行くのは簡単な事だが、そんな結末を俺は望まない。

 誰かの意見に流されるままの、主体性の無い人間の物語なんぞ、何所に面白みがある? それは、これまでの千鶴と、今の千鶴でなにが変わるというのか?

 目を覆っていた、覆い隠していた、子供向けに単純化された嘘の世界が裂けた今だからこそ、千鶴が、その本性でこれから先の扉を選べるというのに。

 そもそも、初めから言っていることだが、俺には千鶴を連れて行きたい場所等無い。

 無責任と云われても、それがどうしたとしか返す気は無い。お互いの思惑が一致したから、始められた逃避行なんだ。責任なんてものは、五分五分で分けるものだろう。

 今は……。

 唆されるまま狂言に乗ってここまで辿り着いてしまった千鶴が、どんな未来を選ぶのかを――その選択を見届けたいだけだ。


 慰めて欲しい、導いて欲しい、と、表情に出す千鶴を俺は完全に無視して話し続ける。

 真実を目の前にした以上、千鶴は子供ではない。子供であってはならない。


「人生は選択の連続だ。逃げたお前の行動の結果のひとつの結末がこれだが、お前は逃げる事で得た自由が突きつけた現実に、再び選択を強いられているのさ」

 御伽噺の猫のような笑みで千鶴に迫る。

 俺が一歩踏み出すと、千鶴は一歩後ずさった。

 千鶴は、これまで俺以外の人間全てに向けていた――怯えた顔をしていた。怒らせないように、と、機嫌を窺う顔。俺に、追従する顔。俺に、従属する顔。

 依存している仕草。

 ふん。

 馬鹿馬鹿しい。

 半人前で手に入れられるものなど、どこにもない。一人前になるということは、自分自身で決断し、責任を負うことだ。


「俺と来るのか、ひとりで逃げるのか、元の鞘に収まるのか。ああ……騙された、裏切られたなど、子供じみた激情があるのなら別に撃っても構わんぞ。尤も、結果は推して知るべし、だがな」

 僅かに銃を握る千鶴の手が動くのを見て、俺はむしろ嗾けるように、奪ったばかりの散弾銃の構えを解き、引き金からも指を外し、左手で銃床を摘んでふらふらさせながら言った。

 千鶴は、どうしてワタシを分かってくれないのだ、と、未だに幼子にありがちな非難の目を向けて来たが、俺は傲然と笑い飛ばして言った。

「ハァン? 俺は、ずっと同じ事を言い聞かせてきたんだぞ? それは、この状況でも変わらん。むしろ、特殊な状況だからこそ、これまでの俺の言葉の重みが増すのだろう?」

 俺の話を聞き終えた千鶴の表情から、ようやく今朝の言葉へ千鶴が立ち戻ったのが分かった。


 必死で考えている千鶴の表情。

 きっと、今日までの日々を秤に乗せ、千鶴自身が、千鶴という人間の分を量り始めている。手持ちの全部をひっくり返して、其々に取捨選択の付箋を貼っている。

 そして、今この状況下で、自身の手にあるものと、自身が手に出来るものを、見極めようとする目。


 ……良いね。

 良い顔だ。

 こういうのは嫌いじゃない。

 ――というより、こういう女は好きだ。


 余裕のある状況ではなったが、千鶴の選択を俺は待つことに決めた。

 これを見届けなければ、きっと後悔する。

 そんな確信がある。


 長い、長い一瞬が、夜の帳と供に降りてきて辺りは闇に包まれた、が、すぐに港の照明が点り、昼と見紛う程の光が辺りに満ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る