第十四章:銀の弾丸

第1話

 子爵は、前々から娘が本心では服従しきっていないのを見抜き、千鶴の反抗の牙を抜く手段が欲しかったのだ。

 その時、大佐が連れてきた俺に子爵は目を付けたのだろう。

 元々、大佐は俺の本性をそれなりには見抜いていた節があるし――と、いうか、猪突猛進な男しかいない同期の中で、ひとり斜に構えていたことが、大佐からの評価に繋がっていた――、それを聞き付けた子爵が、捻くれ者を上手く使って、千鶴を適度に世間擦れさせつつ、最後には全てを諦めさせる筋書きを描いた。


 俺が浚いに来れば良し。

 千鶴の呼び出しを無視した所で、損失は無い。いや、俺が来なければ来ないで、誰も千鶴を助けになんて来ないと、痛感させることが出来る。

 子爵は、そう考えたに違いない。

 と、いうか、その呼び出しにしたって、下女を使って千鶴を唆せた可能性も出てきたしな。どこまでが千鶴自身の思考によるものか、操られた結果なのか、境界がかなり曖昧だ。


 望まぬ婚姻という――、退屈な日常という――、地獄に降りて来た蜘蛛の糸に、俺と千鶴の両方が手を伸ばした瞬間に、全てが動き出した。


 時節が丁度、合致した。

 俺もそうだが、千鶴も子爵も、おそらく、その他の――例えば、この許婚のような、顔も知らない連中の歯車の全てが、一致してしまった。

 ただ、それだけの話。


 そう考えれば、適当に泳がせて置いた期間も、千鶴の気持ちが依存していくための時間を考えれば自然ではあるし、千鶴が家を難なく抜け出せた事も、合点がいく。

 成程。

 一番の貧乏籤を引かされたのは、どうやら俺らしい。


 おそらく、子爵の筋書きの最後は、千鶴に最大の心的負担を与える為、信頼する人物――やや不本意だが、この場合は俺――を、目の前で殺し、罪悪感を植え付け、その後の人生を従順に、贖罪のみに当てさせる事だろう。

「小官は、お嬢様の教育用でしたか」

 諦めたような深い溜息を吐き、その推論の正否を子爵に尋ねてみると、子爵は鷹揚に頷き、満足そうに答えた。

「聡いのも結構。中々に、惜しくなってしまうね」

 抜けているように見えるのは振りで、かなり腹黒いな、この肥満中年は。

 ま、愚鈍な人間よりは腹黒い人間の方が好感が持てるんだけどな、と、薄い笑みを浮かべる俺。


 この場から逃げるのは不可能ではない。

 前方に火力を集中出来る散弾銃とはいえ、弱点が無い訳ではない。扱うのが素人ともなれば、尚更。

 しかし、その場合、千鶴を連れて、というのは難しい。

 一番簡単な方法は、向こうがこんなにも御執心の千鶴を盾にして銃を封じ、路地の迷路に入り、都度、敵を漸減させつつ逃げ切る手段だが……。

 楽しくない手段にも程があるな。

 命あっての物種だが、矜持のひとつも持てない人生なんぞ、まっぴらごめんだ。


 それなら、もうひとつの危険性の高い手段だが――千鶴が自発的にそれに気付いてくれる確率は、それほど高くない。俺からの助言無しでは、五分五分といった所だろう。

 さて、どうしたものか。

 ……なんて、迷った時点で、どうしたいかなんて決まっているんだけどな。“遊び”なら、命を賭けてこそってね。人間、いつかは死ぬんだし、ここで死んだらその時だ。


「……なんでこんな男を誑かしたんだ!」

 俺と子爵が、どす黒い笑みで楽しみながら牽制し合っている所に、場違いな高い声が割り込んできた。

 随分と無粋だな、と、思いつつ視線を向ければ、想像以上に切羽詰った顔の――、千鶴の元許婚がいた。

 緊張と興奮が、銃口の微かな震えに現れている。

 後一歩で発砲するな、これは。

「おお、治幸くん。どうしたのかね?」

 子爵が、気を宥めさせようとしたのか、敢えて惚けた調子で問い掛けると、それが逆に癇に障ったのか、さっきよりも高く大きな声でそいつは叫んだ。

「僕が、どれだけ時間を割いて、気を引こうと贈り物をして……手紙も、電話も!」

 ギリギリの所で、噴き出してしまうのは堪えた。

 笑い話のネタとしても二級だね。

 掛けた手間と金に、女の心が応えるとは限らない、なんてのはそこらじゅうに転がっている小話じゃないか。……ああ、いや、それを言うなら、気位の高い男が女に袖にされて逆上するなんてのもよくある話かもしれぬな。

「なにが不満なんだ!」

 怒鳴り声を向けられた千鶴は、しかし、へたり込んで怯えているだけだった。

 返事は出来ないらしい。どういう理由かは知らぬが、俺には強気に出れるってのに、どうにも他人に弱い所がある。


 軽い溜息の後、意思の統一をしていなかったのか、と、呆れた目で子爵を見れば、子爵も苦い顔をしていた。子爵としても、この反応は予想外だったのかもしれない。

 しかし、……随分と肝の小さい男だ。

 年下の女に拘ったかと思えば、ちょっと悪い虫が、たかったぐらいでもう棄てるとは。

 おそらく、中途半端な憲兵の襲撃も、粗の目立つ港湾警備も、こいつがいたせいだろう。

 ……ああ、大佐は、もしかしなくても、これが血族に入るのを嫌がって、多少の情報提供をしていたのかもしれない、な。なら、大佐としては、俺にこれを始末させるのが目的……。いや、どうかな? 大佐ほどの人が、木っ端役人一人消せないとは思えない。

 どうも、もう一枚ぐらいは、裏がありそうだな。


「ここまで尽くしてやったのに! もう……この段になって、そんな男と逃げるなんて!」

 声の調子から察するに、完全に逆上してるな。

 千鶴の姿が見えないから、子爵の前だからと抑えていたのがここに来て――多分、俺の後ろに隠れている千鶴の様子から余計に――爆発したんだろう。


 用心金にかけていた許婚の指が、引き金に触れた。

 俺を撃つ気だ。千鶴諸共に。

 反射的に身体が回避体勢に――入ろうとした時、千鶴が俺の腰に手を添えた。身体の力を抜く。千鶴が覚悟を決めたというのなら……それでいい。それこそが、俺らしい結末だろう。


「……子爵はよろしいので?」

 おそらく、当初の予定から随分と筋書きが変わったと思うこの展開に、嘆息しつつ尋ねてみる。

 子爵は、千鶴とその許婚の双方を見比べ、しばし考えた後、諦めた――、というか、呆れたのと諦めたのが半々ぐらいの表情で溜息を吐いた。

「致し方あるまい。もう、資産価値がないのだからな」

 その子爵の言葉が、最後の合図になった。

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