第2話
女の声と、駆け寄ってくる足音。
――勝利は薄氷の上にある、か。
俺にも当てはまる事実を、雑魚相手だったという慢心も手伝って見逃していたかもしれない。
ともかくも、この状況を挽回するためには……。まず第一に、速やかにこの場所から遠く離れるため、千鶴を抱えて駆け出そうと近寄った所で――。
「そこまでにしてもらおうか」
背後から声が聞こえた。
先程までの俺の様子と、この展開に、ようやく自分が失敗したことを気付いたのか、千鶴は、あ、と息を飲み……そして、固まった。叱られることを予想したのか、縮こまった千鶴だったが、俺は特に表情を変えずに軽く嘆息するだけで打ち切った。
責める必要も理由も無い。
お互いに、手痛い教訓には既になっただろうし、今、叱っても状況が変わるわけでも無い。
ただ、まあ、より呆れはしたがな。
ましになったかと思えば、まだまだ使えないお嬢さんだ。
やれやれ、と、勝利の女神を逃がしたうちの姫様に俺は肩を竦め、回れ右して敵と向かい合った。
意外な事に、通りの正面には二人の男しかいなかった。そして、その人物の片方には見覚えがある。
「子爵……と?」
子爵の隣で銃を構える見知らぬ顔に小首を傾げると、斜め後ろの千鶴が、俺の肩に手を乗せた。
肩を通して、千鶴の微かな震えが伝わる。
「治幸、様……」
俺の知らない名前を、千鶴は呟いた。
肩越しに振り返って見れば、千鶴の表情に驚愕の色は無かった。むしろ、怯えに近い感情が、目の前に出てきた二人の男に向けられている。
例の許婚、か? ……面白いな。何故、こいつ等は、自分達自ら現場へ出て来たのだ?
「子爵、御自らがこのような場所までいらっしゃるのは危険ではございませんか?」
白々しく俺が丁寧に尋ねれば、子爵はにっこりと笑って答えた。
「ああ、大丈夫だよ。周囲は兵で固めているし――」
言いながら、ぽん、と、子爵は隣の男の肩を気安く叩いた。娘へは一瞥もしなかった子爵の、反応の差を、俺は鼻で微かに笑う。
ちなみに、その男は――確か、千鶴は治幸とか呼んだか? ――、容姿は並、といった、あまり特徴のない普通の役人風で――いや、目付きに余裕を感じない辺り、かなり神経質で気が短い性質かもしれない。
尤も、役人の性質としてはそれも普通の部類だろうが。
変につつくと藪蛇になりそうな気配があるし、情報を引き出すのは子爵が適していると判断する。
「彼は、武芸に関しても極めて優秀だから」
俺が大佐の横の男を評し終えると同時に、子爵はそんな言葉を付け加えた。
……ふむ。
気の張り方や銃の構え方、手足の微妙な動き、息遣い……どれを取っても、素人ではないが、玄人でも無さそうなんだが。狩猟経験がある、程度の話なのかもしれない。狐狩りの真似程度は、貴族連中はやっているだろうしな。
ただ、まあ、武器に関しては――。
向けられているのは、国産の上下二連式散弾銃。
この距離では、甘い狙いで打たれても致命的な事態になる。俺と千鶴の両方が。
引き金を引く前に制圧するのは――、不可能な距離か。
成程、明らかに向こうの方が有利だ。
なら、暫くは探り、だな。
「散弾銃ですか、確かに、それならば仕損じる事はないでしょうね」
白々しい愛想笑いを浮かべながら、如才無く采配を褒め称えると、皮肉と気付いていないのか、皮肉だとしても虚勢と受け取ったのかは知らないが、子爵は満更でもなさそうに笑った。
「ありがとう。君も中々の体術だね。――しかし、悪戯が過ぎるのは、困るな」
さっきからの子爵の表情と対応に違和感がある。
牽制はしているようだが、俺への敵意が全く感じられない。娘をさらわれた父親として、こんな寛大になれるものか?
とすれば、俺がさらう部分も含めの計画だったのか……?
……ああ。
そういう事か。
見えてきた真実に、俺は皮肉屋の笑みを口の端に乗せた。
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