第十三章:油断

第1話

 港湾警備員が固めている広場を迂回し、俺と千鶴が並んで立てばそれで通路が埋まってしまうような細い路地を抜ける。建物の高さは、さっきまでの大型倉庫群と比べ圧倒的に低い。この辺りは、荷揚げされた貨物を長期保管するようには造られていない、事務仕事と検査用の平屋が並んでいるせいだ。

 仮置き場で抜き取り検査をされれば、速やかに各倉庫へと分散・納品され、必要に応じて全国各地へと輸送されていく

 検査では、危険な薬品も使うので――まあ、洗濯に使う漂白剤なんかも、原液では劇物だし――、不注意からの惨事を防ぐために、二階が無いのだろう。


 周囲に気を払いながら歩いていると、通りの少し先に違和感を感じた。

 矢張り伏兵か、と、短く嘆息して千鶴の方へ向き直る。

「先に敵がいる。少し待て」

 大きな音を立てぬように注意して跳躍し、屋根の端を掴み、懸垂の要領で身体を引っ張り上げる。

 下から千鶴が少し心細そうな目で見上げていたので、すぐに済ます、と、視線で告げ、俺は足音を殺して屋根の上からひとつ先の曲がり角まで進んだ。


 会話を控える程度の事は出来ても、衣擦れや息遣い、それに、靴音を殺せる技量は持ち合わせていない、評するならば、一流には程遠く、せいぜい小賢しいといった程度の――憲兵が、一班五名で目の前の通路を見張っていた。

 ……いったい、憲兵学校ではどんな教練を受けているのだろうな?

 まあ、陸軍学校の方も、心構えが中心で、それを実戦技術として昇華出来ていないヤツが多いのも事実だが。


 人間は、興味関心を当面の問題にしか限定出来ない、だから、そこに隙が生じる。目の前を通ると予想される相手を待ち構えるのは結構。だが、周囲を警戒もせずに全員が同じ命令をただそのままに聞いて、同じようにしか動かないなら、五人いる必要はない。


 最低限の役割分担さえ出来ないとは、尋常小学校からやり直したほうが良いのではないか?


 上から敵を一瞥した俺は、その中心に降りた。

 戦闘は、秘術を駆使した格闘戦なんて、現実にはほぼ起こらない。万が一、という表現は、一万回に一回は起こるとも取れるが、それよりも低い確率だろう。

 実戦の大半は、先に敵を見つけた方が勝つ。先制攻撃の劣勢を覆せるのは、余程の技量差が有る場合だけだ。

 降り立った俺を、ただ、呆然と見詰めるだけで――五人の男は硬直していた。

 声を上げる者もいない。

 人間は、突然の事態に対しては、多少訓練をつんだ程度では、五秒から十秒程度は反応出来ない。事態の認識と、反応の選択にそれだけの時間が掛かるのだ。

 そして、その時間は、この距離では致命的だ。

 俺の左側の壁に背を預けている男のこめかみを横に凪ぐように手の甲で打ち、そのまま遠心力を利用し、右側のもうひとりの喉仏を打つ。正面のひとりが肩越しに振り返り、顔だけをこちらに向けていたので、背中の腎臓の位置に肘を入れ――半回転し、残り二人が体の正面に来た時に、右の男の金的に膝をいれ、最後の一人のあごを掌底で突き上げる。

 そこまでの流れを一動作とし、無駄は無い。

 物音も、港の作業音に紛れる程度だ。

 ――が、喉仏を打った一人だけは、呼吸困難で地面で喘いでいた。打ち漏らしたってわけではなく、単に、最短時間で制圧する都合上、しょうがなかったんだが……。

 応援を呼ばせないために、素早く制圧するため、拳の軌道上、意識までは奪えない喉仏を打つ選択をした。他の四名は、――、いや、そもそもが激痛で意識を失う急所を突いたのが二人もいるのだし、あまり綺麗な戦闘跡、とはいえないか。


 死にはせん。少し寝ろ。


 唇の動きで伝え、鳩尾を打ち、意識を刈り、場を完全に静かにさせる。

 周囲にどの程度悟られたか……、向こうの本命の力量次第だが、少なくともこの場はさっさと抜けようと思った所――。

 こちらの懸念材料が、最も拙い選択をしてくれた。

 路地の先から聞こえた足音に反応し、再び屋根へと跳躍しようとした瞬間。千鶴が、抑えてはいるもののはっきりと声を出した。


「弓弦? 大丈夫か? もういいのか?」

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