第十一章:接吻

第1話

 事前に依頼していたので、そのまま――ちょうど上手い具合に鉢合わせた章吾に、馬と残りの金を渡し、手配させていた隠れ家へと案内させたんだが……。

「着いたぞ」

「これは……また……」

 立ち止まった俺達の目の前にあるのは、公園の東屋に、無理に後付で四方の壁と戸口を付けたような、かなり変わった襤褸小屋だった。

 ま、他の土間剥き出しの壁だけの家や、何所に何が潜んでいるか分からないガラクタまみれで、崩れかけの集合住宅よりはましと思うしかないか。

「文句があるのか?」

 腕を組んだ章吾が、苦笑いの俺と眉間に皺を寄せつつも呆気に取られている千鶴に向かって言い放った。

「どうせ一泊だ、構わん。明日も勝手に出て行くさ」

 文句が大有りの千鶴を制止し、俺が答える。

 そうだろう、と、頷く章吾と、最初の警戒はどこへやら、文句を言いたいと顔いっぱいに書いて口を噤んだ千鶴。初対面の厳つい男を怒鳴ろうとしながらも、やっぱり俺に接する時とは違い、どうしても怖いと感じてしまっているんだろう。章吾の服にしたって、布切れを無理に繋ぎ合わせたって感じの着流しを――二~三年洗濯せずに着続けような、雑巾みたいなもんだしな。

 見た目の印象は大事って事だろう。

「船はどうするんだ?」

 にやにやしながら、千鶴を見物している俺に、章吾が尋ねて来た。

「正式な補給船で行けるんだろう?」

「ああ、まあ……。ただ、よぉ……」

 俺が訊き返すと、章吾は、この騒ぎを起こしといて正気か? という、困惑と、その原因が自分にあるかもしれない疑惑の罪悪感とがない混ぜになった顔で言い淀んだ。

「保税区画ぐらい、自力で抜けるさ」

 ここの連中は、ここ一番の場面では使うわけには行かない。必ず味方すると確信できないからだ。

 それに、組織の性質上、保税局員と軍人と警察は、其々勝手に動いていて横の連携は――時には、必要最低限の連絡さえ取らない。そこに充分に付け入る隙があるし、章吾の船は小型で三人乗りはかなり厳しい。発動機そのものが、拾い集めたがらくたの再利用なんだから、信頼性なんぞ推して知るべし。

 また、日本船籍は、海軍の臨検を受けやすくなるのも問題だ。

 つか、それ以前に、船籍とっているかも分からんしな。下手したら、巡視船に無警告で撃沈されかねん。

 今回の密航を手配した船は、米船籍なので――英国という共通の同盟国が仲立ちしている状況があるものの――、あまり友好的とはいえない国の船に、たかが子爵のわがままで手出しして、国際問題にしたくは無い筈だ、どこの部署も。

 それなら、最後の謎解きもかねて、正面突破するのを俺は選ぶ。


 踏ん反り返って章吾に勝気な顔を向けていると、視界の端に、不安そうな千鶴の顔が映った。

 ……ふと、軽い悪戯心を覚え、俺は千鶴にも尋ねてみた。

「千鶴は、どうしたい?」

「お前に任せる」

 案の定、千鶴は即答した。

 その返事だけには迷いがないように、はっきりと、強い声で。

 予想通りだが面白みのない答えに、俺は悪ぶった笑みを千鶴に近づけて更に尋ねてみる。


「任せきりでは、いつか、望まない扉の前に置き去りにされるかも知れぬぞ?」

 千鶴は――流石に何度も言われ続けたからか、俺の返事も予想していたような様子ではあったが、それでも、変わらずに強がって叫ぶだけだった。少しだけ、辛そうな顔で。

「ワタシが! この手を! 離すものか!」

 表情から察するに、予想は出来ていた、という点は褒めるべきだろうな。最初から比べれば、遥かに頭を使えている。

 ただ、まだそれ以上の答えを探せるには至っていない現状、か。

 飲み込みは悪くないんだ。日本にいる間に、もう一歩思考能力を上げておきたかったが――。まあ、この程度は予定の範囲内か。

「後は、二人でやってろ」

 展開に置いていかれたからか、からかいとも、やっかみとも、負け惜しみとも聞こえる声で章吾は言って、踵を返し、後には俺と千鶴だけが残された。


 日が落ちるにはまだ時間はあるが、夜にこの界隈をうろつきたくはない。

 早めに篭城することにして、千鶴の手を引いて俺は襤褸小屋へと入っていった。

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