第3話
「薬袋だ! 撃て!」
真正面にいる引きつった顔の憲兵が、誰に向かってなのか叫んだ。
おそらく副隊長なのだろうが、四人の部下のうちの三人が倒れているのに、命令などしてどうするのか。まさか、騎乗の――おそらく、上から送られてきた監督官に、命令を出せはしないだろうに。
呆れ顔で、唯一命令を実行しそうなヤツに向かって拳銃を抜く。
仲間の下に駆け寄っていた大男は、銃口を向けられた瞬間、思いの外迅速に反応した。
この部隊で、一番の腕利き、か。
ニヤリと笑って、少しは楽しめそうな相手を前に、ごみ掃除を先にするか、先に本命を狩ってから、残りを始末するかを考えた所――。
「馬鹿! 撃つな、二人とも無傷で、との通達だろう!」
騎乗の士官が、命令を出した男に向かって叫んだ。
馬鹿はお前等の両方だ。
命令をそんな簡単に口走っては、付け入ってくれ、と、言っているようなものだろう。
その声に俺は苦笑いし、軽くしゃがんで砂をすくって二人に向かって投げつける。
騎乗の士官は、顔を顰めて身を捩るものだから、手綱が乱れ落馬した。だが、もうひとりの命令をした男は、目を擦っている程度だったので、俺は低い姿勢のまま、水面蹴りでそいつも士官の横に転がす。
強くはないが、呼応されると面倒なゴミをふたつ片付けたところで、改めて背の高い大男の方に向き直る。
撃てないんだろう? と、挑発する笑みを向ければ、警杖を構えた大男は、他の手段はあるとその表情に書いて真正面から店を突っ切って向かってきた。
冷静に間合いを計って、右手だけで銃を構える。
照門と照星を合わせ……息を吐くように、引き金を引く。
足の甲、もも、肩――。
38口径の弾とはいえ、銃口の跳ね上がりを活かして順に撃ち込めば、流石の大男も店の樒をまたぐ直前で膝を折った。
事を終えて、改めて周囲を見渡すが、騒動は随分と広がり始めている。係わり合いにはなりたくないが、見物はしたいという野次馬があっちこっちの隙間から熱い視線を送って来ていた。
憲兵の突入から、今の制圧までは十分は掛かっていない筈だが、流石に派手にやり過ぎたか。
増援が来る前に確保していた別の隠れ家へ移ろうと――、折角なので、士官を振り落としてから撫していた馬を確保し、千鶴を抱きかかえて騎乗する。
千鶴は、戦闘行動が済んだので落ち着きを取り戻したのか、はたまた、もう疲れ切ってしまったのか、大人しくしていた。ので、肩に担ぐのをやめ、膝の上に乗せて、お姫様抱っこしてやった。
……んだが、ふむ。
俺を見上げる目付きがかなり険しい。少し休めば、きっとまた騒ぎ出すだろう。
やれやれ。まったく、芝居の見せ場でもこんな場面には中々巡り合えないんだから、もっと楽しめば良いのに。
ふふん、と、いつも通りに笑いかけるが、千鶴にはぷいとそっぽ向かれてしまった。どうも、本格的にご機嫌斜めだな。
――と、千鶴に構っている間に、漸く回復した指揮官が首を上げたので、勝ち誇り、見下す視線を向けた。
「俺の罪状は?」
含み笑いで尋ねれば、呪い殺しそうな目でさっきまでこの馬に騎乗していた男が言った。
「窃盗、誘拐、監禁、及び、脱走に伴う複数の軍規違反……それに公務執行妨害だ!」
――窃盗の部分で、俺の太股の上に座っているどっかのお嬢様をねめつけるが、千鶴はちょっと恥ずかしそうに頬を紅くしただけで、特に訂正も謝罪もしなかった。
ま、別にそんな程度の罪のひとつふたつは、今更気にしないが……。
しかし、その罪状の割には――さっきの命令にかなり違和感があるな。殺されるほどの罪ではないが、凶悪犯には分類されるわけだし、発砲の自由程度は与えられているはずなんだが……。
子爵か誰かが、千鶴の身を案じ過ぎ……いや、それだったら、普通に俺と千鶴を分断して、千鶴を確保しつつ俺を殺そうとするのが定石だと思うんだが。
ん――。
命令の甘さ的には子爵のような……、いや、でも、甘すぎる気もするんだよな。とはいえ、大佐はこの作戦を――もしくは発案者を――わざわざ密告してくる程度には嫌っている。
謎を解くための鍵を探すために、指揮官に少し鎌を掛けてみることにした。
「ここを突き止めたのは褒めてやる……が、甘く見すぎたな、たったこれっぽっちの兵隊では。ハハン。腹を切る準備はしてきたのかな?」
ぎり、と、歯軋りして、士官は叫んだ。
「この街からは逃げられはせんぞ!」
ああ、その程度の理解と――、そして、評価なのか、俺は。
検問を張っていないな、この言い草と反応では。こいつが知らされていないだけという可能性もあるが、その時はその時だ。馬の襲歩で切り抜けても良し、迂回することもできるだろう。
鉄道と港湾区画への出入は制限したのかもしれないが……、良かれ悪しかれお役所仕事だな。こうして襲撃を重ね、俺達について町の住人の噂に上がらせて、宿を取れなくさせて……包囲をせばめ、生け捕る。
時間に余裕があるなら悪い手じゃないんだが……。明日、国を出るんだがね、こっちは。
どうにも、軍部の諜報員嫌いと、憲兵や警察の現場の勘重視の捜査の悪癖だけは、遺憾なく発揮されているな。情報の収集と分析は、一見地味に見えるが、それを軽視してはどんな作戦も成功しないだろうに。
……って、もう、俺は帝国軍人でもないんだっけな。
最後に、嫌味ったらしく――心の中だけでは苦笑いだが――笑ってから、俺は馬の腹を軽く蹴り、通りの喧騒を一気に駆け抜けた。
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