第3話
背の低い男は、裏路地――繁華街の勝手口側の細い道を歩いている。
素人的な逃走経路ともいえるし、誘い込んでいるようにも見える。周囲に人気が無いのだから、まるで接触して来い、とでも言っているようだ。
思ったよりも歳若いな。おそらく、俺よりも年下だ。目元を前髪で隠しているが、頬の感じで大凡の年齢は分かるし、髪の質感から出自階級もなんとなく察せられる。
平民出じゃないな、コイツ。
しかし、殺気は鈍く、あまり好戦的な印象をこの男からは受けない。
それならば、二重尾行か? と、周囲を探っても……それらしき気配は感じ無かった。
気配を感じられない程の余程の手練が後ろにいるのか、あるいは……。
「居ますよね?」
貧民街とは別の場所だが、寂れた雰囲気の場所。鉄道の高架橋や、鉄塔の電線が空を覆う一角で、そいつは声を上げた。
状況報告、という雰囲気では無い。
おそらく、俺に対する呼びかけだろう。
だが、声の向きから考えるに、場所がばれているという訳でもなさそうだ。鎌を掛け、適当に探っているのだろう。
どう対応するのが面白いかな、と、にやにやしながらなぶる予定の獲物を見定めていると、意外――でもないな、可能性のひとつとしては考えていた人物の名を告げられた。
「大佐からは、このままの形で連絡しても構わない、と、言付かっております」
あくまで勘、ではあるが、嘘ではないと思った。
確かに、俺の所属を調べれば……しかも、連れている人間を考慮すれば尚更、動揺を誘うのには有効な言葉ではあるが、そういうのを期待した色が台詞に無い。
折角だし、応じてやるか、と、判断し、そのまま腰の拳銃を抜く。
「分かっていると思うが、動くなよ」
銃口を向けつつ姿を現せば、両手を上げたそいつは、見かけに依らずふてぶてしい態度で俺に向き直った。
「……味方です」
「ほう?」
「大佐より伝言です」
余裕ぶった笑みで首を傾げて見せた俺に、見慣れた肘の角度での敬礼で、そいつは報告しだした。
間違いなく同じ部隊の出のようだ。敬礼は、微妙に其々の舞台の癖が出る。慣れれば、そこからどこに駐屯しているのかまで割り出せる。
大佐の差し金の可能性は、更に高まったと仮定し、それで? と、顎で続きを促すと――。
「明日、憲兵が踏み込む、と」
――にやりと笑ってそいつは言った。
「成程」
嘆息して、俺は銃口を下ろした。
「驚かれないんですね」
目の前の背の低い男も、意外と言う表情でも無しに言った。さっきの状況から、概ね俺もその可能性を考えていたのは察したのだろう。
「今日偵察の翌日襲撃とは、随分、拙速だ、とは思っているよ」
肩を竦め、呆れたように言い放つと、そいつも苦笑いで応じた。
「欧州大戦への参戦が決まりましたからね……頭痛の種は早めに刈りたいんですよ。ただ、まあ、そういう状況ですので、憲兵とはいえ、道楽に出せる兵は多くはありません。数と質は御心配無いかと。しかし……、こちらから言うまでもなく気付かれていたんですね?」
人懐っこい笑みで話す姿から、どこかで会った事があるのかと思い、記憶を探ってみるが、どうも一致するような顔が出てこない。同期ではないが、……せいぜいがひとつ上、もしくは、来年度入隊ぐらいの年齢だと思うんだが……。
まあ、連隊の人数は多いんだし、俺もそこまで長いとはいえないので、知らない顔のひとつやふたつはあるか。そもそも、大佐にしたって秘密主義な部分は多いしな。
「大佐に言付けておいてくれ」
目の前の男の喋り過ぎる部分に関しても皮肉を言おうかと思ったが、存外に若そうなので、臍を曲げられても仕方ないと思い、さっきのだらしない憲兵についてのみ進言する。
「制服さえ着なければ諜報が出来ると思っている、明らかに人波に溶け込めていない挙動不審な憲兵は、捨てた方が良い、と」
あれならば、制服で店に立ち寄って、食事したついでに逗留者がいないかを訊く方がまだ自然だ。
嘆息する俺に、同じ考えです、とでも言いたげな顔が向けられる。
俺は、その面に向かって、お前もましとは言い難いんだがな、と、もう一度だけ嘆息した。
「他に、何か言付かっている事は無いか?」
最後の確認として尋ねれば、目の前の男は、途端に困った顔をした。
察するに、言うべきか悩んでいる素振りだったから、言え、と、視線で促すと、不承不承、という感じでそいつは短く言った。
「その、『末永くお幸せに』と」
…………。
意外過ぎる言葉に、一瞬、俺も目の前の男も凍りついた。
目を覗きこんでみる。
――冗談ではなさそうだ。
まあ、こんな台詞を冗談で付け加える必要なんてないんだし、なら、真実として大佐の言なのだろう。
「成程……一応、礼を言っておく」
短く手を挙げて応えてから、俺はその場を離れた。
推理するには、情報が少ない……が、言葉の額面通りでは無い事だけは分かる。
大佐は、そんな家族思いでも無ければ、部下思いでも無い。寛容ではあるが、軍人としての狂奔を持った人間だ。
そういう人間が、ありえない台詞を言付けたと言うことは……。
どうやら俺は、予想よりは大事の引き金を引いたらしいな。
ふふん、面白くなってきた。
口元が綻ぶのを堪え切れず、俺は右手で顔を隠す。
“遊び”は、こうでなくては。
安心安定なんて毎日は、退屈ってだけなんだから。
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