第2話

 章吾の連絡の翌日からだった。店の客に、違和感……というか、不自然さを感じ始めたのは。

 単独、じゃないな、複数だ。

 入り口付近に二人と、更に奥に独り、そして、良く分からない距離の気配が更にひとつ。

 状況から考えるに、あの阿呆が尾行られてたんだろうな。


「どうした?」

 今日の朝餉のカボチャを崩れるまで煮込んで作られた極上のほうとうをすすりながら、千鶴が小首を傾げた。

 俺はにやりと笑って、し、と、唇に人差し指を当てる。

 しかし、千鶴はそれでも意味がわかっていないようなので、方向性を限定した――それも、ギリギリ聞こえる音量で――、怪しい奴がいる旨を告げた。

「な!」

 あからさまに驚いた顔をして、周囲に視線をめぐらせた千鶴を――、軽く小突く。

「あ、つ」

 千鶴が不意に仰け反るものだから、千鶴の膝の上で小皿で魚の骨を舐めていた猫が、そのまま皿に突っ込んで卓上から取り落とし……。

「何をする!」

 予定外のちょっとした騒動のおかげか、座敷の薄く開けた障子越しの視線に注意を向けたものはいなかった。

 まあ、それはそれで、尾行者の無能さの証明でもあるが……。

「気付かれたのが悟られれば、向こうは公的権力なんだから、すぐにでも襲い掛かってくるだろ」

 千鶴の服に汁は飛んでいなかったので、膳と畳を拭いて整え、畳の上で肴をかじろうとした猫の首根っこを抓んで千鶴目掛けて放る。

 指摘されて初めて気付いた顔をした千鶴は、次いで飛びかかってきた猫――千鶴がつけた名前は、桃だったか――を、大事そうに抱きかかえた。

 肝が大きいのか小さいのか分からん女だな、まったく。家出は、あんなにあっさりと決断したというのに。


「どうするのだ?」

 あからさまに不安げな表情で尋ねてきた千鶴。

 目星を付けたのが昨日として、今日は様子見。おそらく、踏み込むのは明日だろう。章吾の言が正しいなら昨日までの増援要請は無しなので、所轄の――そうだな、まさか全員をこの懸案に打ち当てるほどの馬鹿ではないだろうし、小隊ひとつないしふたつ程度で当たるつもりだろう。

 陸士での成績は伝わっていないのか、足手まといの千鶴を連れた俺は、その程度で充分、と、踏まれているはずだ。こんな程度の低い偵察を寄越すのがそれを証左している。

 ふふん。

 まあ、初回は安く見られておくとしよう。どちらにしても、初手で全力は出し難いしな。試合開始と同時に大振りする馬鹿もいまい。

「まずは、待ち、だな」

 俺の返答に、露骨に不安そうな顔をした千鶴。

 まあ、確かに、さっさとここを引き払ってもいいのだが……。というか、それが一番楽なかわし方ではあるが……。

 章吾の手配した船が使えるかどうか、という点も含め、憲兵相手に少しいざこざを起こして、情報を引き出す方が俺は良い。

 なにより、その方が、お楽しみは増えるんだから。

「これまでも上手くいっただろう? まあ、任せておけ」

 にんまりと笑って俺は答える。

 千鶴は、全幅の信頼を寄せた顔ではなかったが、それでも頷いた。


 ともあれ、折角見つけた尾行者を放置して置くだけというのも勿体無かったので、先に食事を済ませた俺は、気配の無い裏口から出て、表に回りこみ、店を見張ることにした。

 朝餉を済ませ四方へ散っていく一般客の中――、暖簾を潜り、店の対角に陣取った中年の男。

 ここまであからさまな態度をされると、正直、馬鹿にされているようで腹立たしいな。

 鼻で笑いつつ、そいつの様子を探り続ければ、五分もしない内に、他の二人もその場に集まり――あろうことか、情報の擦り合わせを始めた。


 これは、駄目だ。

 役所のやっつけ仕事にも程がある。

 大方、人が多いので気付かれていない、とでも本人達は考えているのかもしれないが、足運びや手の動きに一般人としての違和感があるし、何より、髪に帽子を目深に被っていた跡があるのが致命的だ。夜番だったのか、見られたくない帽子を外しているのが丸分かりじゃないか。


 一応、俺の面は割れていると仮定し、近付き過ぎない程度の距離の死角で耳を澄ませば、雑踏の間から、僅かな声が聞こえる。

 男女の二人の逗留者……夫婦、……間違いない。男の方は、昼はあまりおらず……、女は、服装が……。金周りは良い……。


 ……成程、どうやら女中に、随分不躾な質問をしたらしいな。

 これで、あの店の連中は、俺達を疑い始めてしまっただろう。

 しかし、だからこそ面倒を嫌う店の方は、俺達を追う連中がいる事をさっさと俺達に告げるだろう。

 こういう指示なのか?

 敢えてバレるように監視しているようにしか思えないが……。

 昨夜の章吾の話からは、もっとねちっこい遣り方をしているような印象だったが……。

 ん、む。

 他の作戦のために敢えて露骨な監視をつけているという可能性も否定出来ないが、どうにもおかしな事だらけだ。

 考え込む俺に全く気がつかないまま、あの杜撰な監視共は、一通り喋ると、結論は出たとばかりに頷き合い、同じ方向へ向かって歩き出した。

 だから、それじゃ、あえて別々に店に入って、違う席に座り、出る時間も別けた意味が無いんだっての。バカが。どうにも、諜報を水商売と揶揄する軍の風土のせいか、頭に詰まっているべきものが足りない連中が多くてうんざりするな。

 腹いせに、こいつ等を逆に尾行けても良いが……、どうせ行き先は鎮台だろうし、あまり意味はない、か。

 それならば、と、さっきの連中に合流しなかったもうひとつの気配を探る。

 ――が、さっきの連中が歩き去っても、最後の一人は店から出てこなかった。


 まさか、千鶴の身柄をこの場で確保しようとしているのか? と、可能性としては低い行動を――いや、程度の低い連中なら、逆にそうした無謀も遣りかねないが――危惧し、一度店に戻ろうかと思ったところ、のんびりと歩いてくる背の低い男に目が留まった。

 こいつだ、と、すぐに気付いた。

 さっきの奴等よりはましだが、それでも仕草に違和感を感じる。

 軍人としての狭い環境では、癖の伝播は早く、また、閉鎖社会でもあるため独特の雰囲気が身に染みてしまう。

 さっきの連中のような露骨さは無くとも、微かな不自然さまでは拭えていない。


 こいつを追う方が面白い、な。

 それに、相手が単独なら、場合によっては身柄を確保して、情報を引き出すことも出来るだろう。

 即座に判断した俺は、人混みに紛れ、気配を周囲に溶け込ませた。

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