第4話

 大佐からの意味深な言付けを受け鍋屋に戻ると、暖簾を潜ってすぐに千鶴がちょっと涙目になって飛びついてきた。

「どうした?」

 分かっていながらも、惚けるように俺は尋ねると、女将が言い難そうに話し始めた。

「いえ、そのぅ、お客様について、あれこれと店の者が訊かれたもので――」

 あちゃあ、と、演技臭さを出しつつも、上を向いて目を覆って見せる俺。

 そんな俺の様子に、千鶴は、心底不安そうにしがみ付く腕に力を入れてきた。

 おそらく、俺が来るまでに、ねちこく訊かれ続けたんだろう。

 店の人間は、固唾を呑んで俺の様子を窺っている。

 ふふん。

 軽く笑って、俺は小さな失敗を誤魔化すように話し始める。

「悪いね。今、その憲兵さん達を送って来た所なんだ。何でも、酒保商人の極秘監査らしいんだが、家のほうじゃなくて、逗留先に来るとは思っていなくてね」

 途端、場の緊張が緩んだ。

 隣の千鶴のあからさまに驚いた顔以外は、全て問題が無かったし、その千鶴の様子も――。

「ああ、はい、いえ、家の者もそう思っていたんですが……」

 ――絶好の時節に、女将が調子の良いことを言ってくれたおかげで、千鶴が顔を顰めてくれたのを、番う意味に上手く誤魔化せた。

「千鶴も、悪いことをしていないんだから、堂々としておればいいものを」

 最後に、千鶴の頭に手をぽんと乗せ、そう言い放てば、店の連中の笑いも取れ、場は上手く収まった。


 そのまま、俺と千鶴は再び階上の部屋へと戻ったが――。

「どうだったのだ?」

「見つかったな。明日、襲撃するそうだ」

 緊張している千鶴の表情に、俺は事実をぶつけた。

 俺のあっけらかんとした物言いに逆に面食らったのか、千鶴は一瞬呆けた顔をして、それから慌てだした。

「に、逃げないと!」

 日向ぼっこしていた猫を抱え上げ――、一瞬、あの大きな行李につめようとしたが、生物だと思い直したようで、ちょこん、と錆猫の桃を鞄の脇に沿えた。もっとも、当の駄猫の方は、大きなあくびをした後、興味無さそうにその場で丸まったが。

 かなり慌てた様子で荷物をまとめだした千鶴を、微笑ましく見守る。結っていないから、長い髪がかなり邪魔そうだ。次の隠れ家は、ここほど綺麗ではないんだし、移動する前にはリボンか何かで髪をまとめてやらないとな。

 艶やかで手入れの行き届いた髪なんだから、蚤や虱に食わせるのも勿体無い。


 しっかし……。

 雑な詰め方だな。多分、以前の質屋で換金した荷物も、こうして詰められたのだろう、が、取りあえず鞄に入ればそれで良いという――畳む、重いものと軽いものの位置を分ける、すぐに使うものと、すぐに使わないものを区別する、なんて、子供でも出来そうなことすらしていない。これだから奉公人ありきの生活に慣れきってる、お嬢様って生き物は。


 軽く溜息をつき、柱に背中を預けて肩膝を立てて座って見物していると、パタパタと、忙しなさそうにしている割に、行ったり来たりと無駄の目立つ動きをしている千鶴が、ふと足を止め、頬を膨らませて俺を睨んだ。

「お前も急げ。荷物がもうまとまっているのなら、手伝え」

 しかし俺は、泰然と微笑んで言った。

「いや、荷造りするのはお前だけだ」

 千鶴の手が止まり――、どういうことだ? と、その目が尋ねて来た。

「俺はここで憲兵を迎え撃って、適度に尋問する。その間、三番目の隠れ家までの繋ぎの場所に千鶴には居て貰う」

「嫌だ」

 俺が言い終えると同時に即答した千鶴。

 その返事に睨みつければ、千鶴も負けずに睨み返し――。

「お前から離れたら……。お前は、もう、ワタシの元に戻ってこない気がする」

 そう、強い口調で言い放った。


 予想外であったのと、思いの外的を得た指摘だったので、口を開くのが一拍遅れた。目を瞬かせれば、怒ったような千鶴が更に顔を寄せてきた。

「ふはは」

 成程、否定出来ない答えだ。

 しかし、納得してしまったことで、千鶴の目が余計に険しくなってしまい――。俺はからかうように笑いながら、事実をはっきりと告げた。

「いいのか? 有事の際に、お前は足手まといだぞ?」

 自覚はあるのか、問われた千鶴は一瞬殊勝な顔になったが、それでも俺に見捨てられる不安の方が大きかったのが、考えは改めてくれなかった。

「それでも! ……それでも、お前なら何とかできるのだろう?」

 縋るような目に、その場合の方策を考えてみるが――。千鶴と同じ行動を取るのなら、今日のうちに逃げるのが最良の一手という結論にしか至らなかった。

 それでも良いが、折角あつらえられた場を、逃げの一手っていうのは、俺らしくないし、なにより楽しくないんだがな。


「まあ、そうだが……」

 言いながら、千鶴とここに残り、迎え撃って――かつ、俺の行動の何所までを把握しているのかの情報を得て――から逃げる作戦を練ってみるが、その場合、かなり中途半端と言わざるをえない状況になることが予想される。

 じっと、俺の台詞の続きを千鶴が待っている。


 なら、今夜二人で再び逃げるか? と、言おうとした瞬間、大佐の影が頭にちらついた。

 襲撃を知らせ、末永くお幸せに、という言伝てから、今のうちに逃げろという意に解釈することは出来るが――問題は、その行動が大佐の平時とは、真逆であり、大佐そのものが多少ひねくれているということだ。

 それなら、敢えて――。

「迎え撃って、手配した国外への経路のどれが無事かを確認してから逃げるぞ」

 余裕ぶった笑みで千鶴に告げれば、千鶴は緊張した表情で頷いた。

 あくまで、俺を頼り続ける、という事なのだろう。


 ふふん、と、俺は笑う。

 はてさて、敢えて乗った大佐の狂言の先に、どんなお楽しみがあるのか。

 今から明日が楽しみだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る