第七章:活動写真
第1話
待ち、の段階へ入った翌朝は、概ね平穏に訪れた。
前日は喧嘩に交渉に大忙しで、しかも、一日の最後には千鶴のオチまで付いた派手な一日だったので、比べれば少し気抜けするな、と、朝餉を終えた時間に柱に背を預けて、空を見ながら思う。
横では千鶴が――正直、中身があると全く思えない類の話を熱心にしている。
曰く、岩倉家の駄目な所や、自身の幼少期の武勇伝や、食べ物の好みについて。
ま、邪険にすることも無かったので、ゆるゆると、その千鶴の話を聞くとも無く聞いている。
「……だから、ワタシはな? そのときに言ってやったんだ、薔薇園を作るのなら煉瓦の小道も作らねばならぬと、だからこそ……お前も見た……そもそも、岩倉の庭園は」
……千鶴の話し方は、どことなく子爵と似ている。子爵の進めた縁談が嫌で逃げている割には、細かい部分で子爵の影響が見て取れる当たり、親子なんだな、と、少し呆れさせられる。
いや、俺のように、家族に全く執着しない方が珍しい事を踏まえれば、この程度の影響は普通の範疇なのかもしれない。
家族、か、似ているかいないかより先に、良く知らないが先に来てしまう。嫌いと言うわけでもないが、血は繋がっているものの、他人との関係性と同じ関係性しか見いだせない。特別な何かは俺の中にはない。
猫が……いや、猫は寝子だったな。千鶴の声が喧しいのか、どこか迷惑そうに、ぽてんと、俺の膝に落ち着いた。適当に左手であやしてやるが、そういうのは求めていなかったのか、迷惑そうに尻尾で俺の手を叩いて丸まってしまった。
なんとも、飼い主に似た猫だ。
そうだな、飼い主、もとい家族……肉親を嫌う事を徹底出来てないのは、千鶴の幼さと――おそらくは、未練のせいなんだろうと、意識を猫から千鶴に移しながら思う。
千鶴は、心の何処かでは、子爵の心変わりによる和解を望んでいる……のかもな。
遅めの反抗期に付き合わされただけだったのなら、見込み違いも良い所だが……。
随分と甘い考え、と言わざるえないな。お互いに。
「お前、ちゃんと聞いておるのか?」
「勿論、聞いている」
急に尋ねられ、鷹揚に俺は頷いて答える。
とはいえ、無論、嘘だが。
千鶴は、疑わしげに、不満そうな目で俺をしばらく睨み――。
ふと、声の調子を変え、さも重要そうに姿勢を正して語り始めた。
「お前に貰ったあの本だが……」
「ああ」
「やはり、ワタシは間違っていない」
「ほう? 何故だ?」
別に、適当に聞き逃しても良かったが、ぐずられたのが今さっきでその態度も無いと思い、気のない風は改めずに、耳だけは傾けてやる。
千鶴は、理由を問われ、待ってましたと嬉しそうに話し始めた。
「一瞬で出会い、魂の全てで愛する物語が、三つも載っていた」
胸を張って右手の指を三本立てた千鶴は、だから俺も千鶴に惹かれるのが当然、といった様子で俺の目を覗き込んで来た。
考えを改めさせる意味で、数瞬千鶴の目の奥を見つめ返してみる。
――が、千鶴は考えを改めない所か、少し気恥ずかしそうな顔になり始めたので、俺は溜息をついて根本的な問題点を指摘した。
「物語と現実をごっちゃにするな」
言われて千鶴は渋り切った顔になったが、その顔のまま、一拍後に言い返してきた。
「しかし、全く気の無い女を助けはしないだろう?」
「む?」
今迄よりは、少しは考えた台詞が返って来て、その意外性に、一瞬、詰まってしまった。
「つまりは、そういう事だ。お前の、自覚の有無という問題はあるがな」
したり顔の千鶴が勢い付き、子供に言い聞かせるように俺に向かって話し続ける。
「ふむ」
腕を組んで千鶴を見る。
少しは考える、という事を覚え始めたか?
とはいえ……。
「で? 千鶴は、どうやって俺の自覚の無い感情を自覚させるのだ?」
「え?」
案の定、千鶴は困惑を表情に表し、さっきとは一転、しどろもどろになりながら言葉を継いだ。
「それは……お前も、指摘されて気付いただろう?」
「いや、気付かなかった」
首を横に振って俺は答える。
一を聞いて二には続けられるようにはなったのだろうが、三以降が続かなければ、浅慮の域は出ない。
しかも、手詰まりになった途端に拗ねるようではまだまだ。
「だが、まあ、そこそこ受け答えは上手くなったな。……そうだな、午後からは、街を回ってみるか?」
まだまだとはいえ、成長の跡は見られたので、褒めて伸ばしてみようかと気紛れを起こし――そもそも、午後もこんなに暇では呆けそうでもあったので――、そう提案してみる。
ちょっとつついてみるには、いい時期かもしれない。興信所の人間や、軍部が動き出していても不思議じゃない。それなりの手合いなら、この町にもすでにあたりをつけていはいるはずだ。
まあ、餌をちらつかせたところで、なにが釣れるか分からないが、な。
「逢引か?」
「さあてね」
途端、嬉々とした顔で千鶴が問い返してきたので、俺は肩を竦めて答える。
まったく、思い込みが激しく、しかも強情で、アクも強く、手を焼かされるお姫様だ。
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