第2話
昼前の噴水公園は、思ったよりは空いていた。しかも、不本意ながら、その場で俺達が目立ってはいないというおまけまでついている。元々、基地周辺に遊郭は発展しやすいものだが、この辺りは要塞と交易港を兼ねているので、よりそういう風土なのだろう。
花街に働き口を求めに来たのか、
そういう知識がどの程度、千鶴にあるのかは分からないが、敢えて説明する必要も感じなかったので、他人は他人と割り切って俺は無視した。千鶴も、周囲の様子を少し不思議そうに見てはいたが、特に訊ねもせずに空いているベンチに座った。
「わ!」
「ん?」
不意に上がった千鶴の声に身構えると――。ベンチの上で千鶴が足を抱えて縮こまっている。浮浪者でも下にいたのかと腰をかがめてみると……。
「ただの猫だろ」
黒猫かと最初は思ったが、錆の縞が所々入っている猫だった。子猫と言うには大きすぎるが、大人と言うにはまだ小さ過ぎる猫だ。
首根っこを捕まえ、適当に放り投げようとすると――。
「こら、何をする」
何をする、は、こちらの台詞だと思ったが、言い返すより早く千鶴が猫を奪い取ってしまった。
「ほんとうの猫だ」
どこかうっとりした目で錆猫を見て千鶴が呟く。
「偽者の猫なんて居るものか」
呆れた顔を返し、およそ四貫程の大型鞄二つを――中身が分からないので、慎重に降ろしながら、ぼやくように俺は尋ねた。
「何を入れて来たんだ? 服にしては、随分な重さだったが」
尋ねられた瞬間、ふふん、と、少し上機嫌に笑った千鶴が、猫を抱きかかえ、待ってましたとばかりに話し始めた。
「女の荷を詮索するものではないぞ。だが、お前だから善しとしてやる」
千鶴の尊大な態度に、肩を竦めて見せる俺。
「俺は、軽く荷造り、と、言ったよな?」
「ああ」
悪びれもせずに頷いた千鶴。
「なら、これは何だ?」
明らかに咎める口調で問い質すと、千鶴は、俺のそんな対応も織り込み済みという顔で鞄の口の留め金を外し、胸を張って高らかに宣言した。
「逃げるのだから、先立つものは必要となるだろう? それに、ワタシ個人に対しても、岩倉の家はそれなりの慰謝料を出すべきなのだ。……そう、それなりの嫌がらせをさせてもらわねば、やってなどおられぬのだ!」
……その荷物から、一番の嫌がらせを受けたのはこの俺だと思うんだが、唯我独尊のお嬢様は、そんな配慮や熟慮は持ち合わせていない。
しかも、逃避行中なのを分かっていながらも、そんなことを口に出すな、と、何回諫めれば学習するんだろうか。
まあ、周囲の、売られていく寸前のくたびれた雰囲気と比べれば異質だが、空元気や、女衒からの脱出を夢見る女、という先入観で見れば、さほどではない、か?
ならさしずめ俺は仲買人か、と、自嘲した後、改めて千鶴の表情を窺った。
「で? いつまでコレを持って逃げるんだ?」
辟易しながら、鞄の中身を一瞥する。
時計、装飾品、宝石――その他、よく分からない焼き物や、掛け軸等が乱雑に放り込まれていた。
急いでいたにしても、この詰め方は、無いだろう。これだけで、育ち――は、残念ながら上等か、なら、本人の性質が見て取れるというものだ。
言葉に苛立ちを混ぜた俺に全く気後れせず、千鶴は言い放った。
「うん? もう、売っても構わぬぞ? 元より、今日中に金に換えるつもりだったしな」
おそらく、すぐに売るのだから、もう文句を言う必要が無いだろう、と、本人は思っているのだろう。
千鶴の、自身の思い付きに対して、何の疑問も持た無い頭が、少し羨ましい。
こうした古物や貴金属は、目利きが出来る店は限られてくる。簡単な日用品で金を貸す町の質屋では駄目だろう。しかし、それなりの業者へ売却すると、その宝物の由来から足が付く可能性もあって嫌なのだが……。
ただ、事実として、逃走資金の確保は行っておきたいし、何より――。こんな重さの物を背負っていたら、いざという時に、逃げる事が出来無い。
それに、駅前には質屋があるのは相場だから、そういう意味では丁度良いし、今後、こうした物を山ほど持ち歩くような生活になる事は無いのだから、注意しても意味は無いと悟り、俺は再び鞄の口を閉じ――ようとしたが、さっきの猫がにーとか鳴きながら、鞄にまとわりついてきたので手で追い払った。
「こら、ワタシの猫になにをする」
「なに?」
「決めたぞ、この子は、モモだ。百と書いてモモ。ワタシの千の字を一桁下げて譲ったのだ」
誰もそんな事を訊いていないんだが、千鶴は満足そうに語りだした。
「ちょっと待て、まさかとは思うが」
「拾う」
「宿に断られるだろう。弁えろ」
「少し大目に金を握らせれば、旅館の者が世話をしてくれるだろう。馬だってそうなのだから、猫で出来ない筈があるまい」
「邪魔だから捨てていけ」
冷たく命じるが、千鶴は不機嫌そうな顔で、猫を抱く腕も緩めなかった。
「なら、こうしようではないか。お前の当てで世話を頼んでみて、それで、断られたら、ワタシも諦めて、毎日ここに通うことにする」
お嬢様って連中の頭の中は一体どうなっているんだろうか? 猫なんて何処にだって居るだろうに。
「お前の家でも、猫の十匹ぐらいはいそうなものだろ」
「父上が鯉を贔屓にしていたんだ。だから、ワタシは猫さえ飼えなかった。それに、猫や金魚は遊女の動物だと」
ああ、まあ、確かにな。しかし……、いや、まあ、店についてから、諭した方が良いか。塒も決めずに時間を無駄にしたくは無いからな。
処置なし、と、肩を竦めた後、その呆れている肩に千鶴の重たい荷物を掛け、うんざりした顔で立ち上がる。
千鶴も、一歩も下がらないぞと言う顔はしていたが、大人しく俺について立ち上がった。
最後にひとつだけ嘆息し、駅の裏手のそういう店が集まりそうな場所を目指す俺。
随分と短慮なことだ。
質屋への道すがら、荷物の見積もりの値を聞くまでの俺はそんな事を思っていた。
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