第3話

 車両が動き出したのはそれから十分少々の後で、俺と千鶴は揺れる車両を――。千鶴が揺れを受け流せずに左右に振られていて上手く歩けていなかったから、手を取り歩き始める。

 さも当然のように俺の右手に自分の手を重ねるのは、周囲のやっかみを集めるから、今後少しは改めさせたい所ではあるが、洋装をしていることもあってか、乗客の注意は然程惹かなかった。

 維新後に急速に変化した体制や、外国文化が多少は根付きつつある証左なのだろう。

 尤も、服装も行動規範も旧態依然とした方が圧倒的多数だから、下手な場所へ逃げれば、千鶴の服装だけで足が付いてしまう。

 多少危険を負っても、この経路と決めたのは、だからだ。

 ただ、残念ながら、千鶴はそうした部分をあまり理解していないらしく、さっきから物見遊山の気分で、窓の外を見て浮かれている。

「煙を引いていないぞ」

 まるで小さな子供がするように、繋いでいた手を引いて窓の外へと視線を促す千鶴。

「副帝都への路線は、戦時の襲撃を警戒してトンネルが多い。排煙が溜まるのを防ぐのに、最新鋭の電気機関による車両が優先配備されているのさ」

 陸士での講義内容をそのまま伝えると、へえ、とか、ほう、とか言いながら、目を輝かせて外の風景を見詰め、それから、物珍しそうに車両の細々した部分に視線を向けている。

 今更だが、本当に深窓の令嬢だったんだな、と、思う。

 ……いや、むしろ、仕草だけを見れば、地方からのお上りさんみたいなんだが、な。

「そういえば、海都へは行ったことがあるのか?」

 多分、無いだろうとは思っていたが、それ以外の場所――帝都以外の場所の見聞も窺うつもりで、まず手始めに問いかけてみた。

「あの家以外の場所は、岩倉の保養所ぐらいしか知らぬ」

 千鶴の答えは簡潔で、かつ、俺が必要な情報はその一言で全て得られた。

 無知を偉そうに誇るな、と、一言ぐらい棘を刺そうかとも思ったが、少し離れた場所には乗客も居たので、大声を出されて困るのは俺自身と悟り、止めた。

 しかし……、まずは、時期を見て一般常識から教えなければならないのは、中々に骨の折れる作業だな。

 苦笑いを浮かべる俺に、それで、海都はどういう場所なのだ? と、尋ねる視線が向けられている。

 まあ、世間一般に公表されている範囲でならここで喋っても特に問題はない、か。

「副帝都は、先の戦争で得た賠償金を基に大規模に開発された五つの地方都市だ。山都、湖都、河都、氷都、そして、海都がある。其々が軍の要塞であるが、物資や人員の集積地でもあるから、都市機能も拡充していて、戦時下では必要に応じて指揮系統も一部移設出来るようになっている」

 難無く歩きながら喋る俺だったが、聞くのに集中し始めた千鶴の足が鈍り、歩調が乱される。

 一度立ち止まって話した方が良いのかも知れないが、車両の通路で立ち止まるのは随分と不自然だし、他の乗客の迷惑にもなる。

 ……席で少し話してから食堂車へと向かったほうが良かったのかもしれない。

 ひとつ失敗したか、と、考えていたら、不意に千鶴が喋るのに割り込んできた。

「陛下が動座するのか?」

 そうした話は、人目のある場所でおいそれとするべきではないんだが……。

 家にばかりいた千鶴には、そうした分別がついていないらしい。

「……必要に応じてとなるだろうが、それも可能なはずだ。それで、今向かっている海都の話だが、名前の通り海運に特化した要所で、最大の貿易港でもある」

 公の場で、気安く陛下の事を口に出すな、と、非難する視線を千鶴に向けつつ、やや硬い声で早口で答える。

 流石の千鶴も、俺の様子から敏感にそれを察してくれたようで、バツが悪そうな顔になった。しかし、質問を止める気はないのか、声を沈ませつつも別の疑問を投げかけてきた。

「外国人の出入りが激しい場所が、軍の要所で良いのか?」

「良くはないさ。だから、軍港区画には厳重な警備が敷かれているし、海上も第一艦隊と第八艦隊がしっかりと守りを固めているよ」

 会話を打ち切りたい所ではあったが、強く諫められるような場所じゃない。

 中途半端な話題を引き摺られないように、俺は答えてすぐに呆れたように嘆息して見せた。

「……そんな中を逃げられるのか?」

 俺の溜息の意味を一寸も理解しなかったのか、声こそ抑えているものの、明らかに今ここで言うべきで無い台詞を口にした千鶴。

 この口の軽さは、早急に改めさせる必要があるな、と、強く認識し、繋いだ手を振り解く。

 肩越しに振り返り、顔と顔を合わせ、その間に人差し指を差し込んで唇に当てる。

 一拍後、膨れっ面を尻目に、その小さな耳に短く囁く。

「そういう場所だからこそ、出来る手引きもある」

 質問を受け付けるのはもう終わりだ、と、千鶴の前に立ち、千鶴の視界には俺の背中だけが映るようにし、後は無言で食堂車まで歩いた。

 連れ立って歩いている内に鉄道の揺れに慣れたのか、千鶴の足音は一歩後ろからきちんと聞こえていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る