第3話

 助けて、くれるんだろう? と、訴えるというよりは、確信している目を、冷え切った視線で迎え撃つ。

「軍人は、人を殺す者です。救う者では御座いません」

 士官になった際に誂えた、特注の回転式拳銃を拳銃嚢の上から軽くポンポンと掌で叩き、軽く言ってみた。

「では、ワタシの退屈で窮屈な人生を殺せ」

 ぐし、と、手の甲で涙を拭って、彼女ははっきりと告げた。

 咄嗟の応答はまあまあ、か。

 上手くはないが、及第点が遣れない程の台詞でもない。

「一発の銃弾で済ませて頂くかもしれませんよ?」

 拳銃を抜き、銃口を向け恐怖に対する反応を窺う。

「それでもいいが、それを面白く思わないのはお前だろう」

 挑発するような視線を向けた彼女。

 ……ふぅん。

 そこそこには、面白い女だとは思う。

 返す瞳の暗さから察するに、そういう手段自体は考えたこともあるのだろう。家からは逃げられない、だから、生きることから逃げよう……か。いや、邪推か。現に彼女はそれを選ばなかった、そして、諦めてもいなかった、今はそれでいい。

 だが、まだ、足りない。

 この程度では、退屈させられてしまう。ただ堕ちて、おかしくなるなら、維新により価値や地位が激変して浮浪者となった元氏族とさして変わりはない。そんなものではないのだ、俺が探しているのは。

 欲を言えば、もうひとつ、何か興味を惹かれる魅力や才能、もしくは巧妙に隠された秘密が欲しいところだ。

「……欧州大戦の戦渦は、程なく亜細亜の植民地を経由し、日本にも及ぶでしょう。逃げるには、良い時期でしょうね」

 ま、ともかくも、ひとつは貴女の勝ちにしましょう、と、銃口を空に向け、再び拳銃嚢へ収める。

 得物を収めつつも、言葉はさほど収めずに尋ねた。

「ただ、逃げた先では、下女も給仕もおりませんし、服も食事も満足には揃えられないかもしれません。今の生活の全部を捨てられますか?」

 ふは、と、少しだけ笑った彼女は、逆に訊ねるような目で俺を見た後――。

「心を壊して得た平穏になんの意味がある。ワタシの今ある世界なぞ、全部壊してしまえ」

 ――微塵の躊躇いも感じさせず、彼女は傲然と言い放った。

 そして、それはおそらく、 という問いだった。

 随分と小気味良いことを言うヤツだと思った。

 決断の早さや、潔さには好感が持てる。

 その分、浅慮だったり傲慢ではあるが、“新華族”の出自から考えれば、そこまで鼻に付くと言う程でもない。

 万歳するように、彼女は両手を空に挙げた。背は俺の方が高いが、仰け反るようにして夜空を仰いでいるので、今の彼女は、まるで見下ろすような目で俺を見ている。

 笑顔の質が少しだけ変わり、再び彼女は話し始めた。

「海へ行きたい、山へ行きたい、礼節など無視して大口を開けて料理にかぶりつきたい。声を上げて笑い、気の向くままに駆け回って、小説の一節のように野原で寝転がるのだ」

 どうだ、素晴らしいだろう? と、夢想家の女は言った。

 荒波の激しさも、冷厳なる山の空気も、陽気さの裏側にある不衛生な飯場も、笑顔の裏の苦節も、何も知らないまま、ただ、今の自分と違うという一点において、無責任な憧憬を向けながら話し続ける。

「そして――恋がしたい」

 先程までの言葉と比べ、明らかに重みの違う声。

 渇望しつつも、得られなかったモノに対しては、現実感は大きく違うのだろうな。


 微かに鼻を鳴らしながら、現実が彼女をどう変えるかを少し考えてみる。

 その変化は、俺を楽しませてくれるか、を。

 俺の思考がまとまる前、そして、彼女の凛と響いた声の残響が消えた時、彼女はまっさらな瞳で俺を見た。

「お前は、ワタシの望みを全部叶えられるか?」

 人の上に立つ人間の気品と、未熟な感情が同居した、不思議な表情で彼女は俺に問い掛けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る