前世の想いと今の『好き』
早くに目を覚ました私は二度寝する気にもなれずに、起きて朝の準備を始めた。
髪をとかして、制服に着替える。お父さんとお母さんが起きてきた時には朝食の後片付けまで終わっていて驚かせちゃったけど、今日は早く学校に行かなきゃいけない用があると言って、家を出る。
もちろん本当は、用なんて無いんだけどね。ただ家でじっとしていても落ち着かなかったから、早く出ただけだ。
いつもと同じ通学路を、いつもとは違う時間に歩いて行く。
だけどその間考えるのは、夜明けに見た夢のこと。前世のワタシは囚われすぎないでって言ってたけど、やっぱり気にしちゃうよ。
そういえば前世では紅山君と、け、結婚するはずだったんだよね。
その事を考えると、恥ずかしいやらこそばゆいやら、変な感じがする。
私達のことじゃなくて前世の話だって分かっているけど、やっぱり意識して……って、あれ?
考えるのをやめて、足を止める。
いつの間にか学校の側の河川敷まで来ていたけど、見ると川のほとりにこっちに背を向けてしゃがんでいる、男子生徒の姿があった。
うちの学校の制服を着た大きな背中には、見覚えがある。
私は急いで土手を降りると、彼の名前を呼んだ。
「紅山君!」
「え、遠山さん?」
そこにいたのは丁度今考えていた、紅山君その人。
振り返った彼は立ち上がって、ズボンについた汚れを払う。
「早いね。いつもこんな時間に登校してるの?」
「ううん。今日はたまたま、早く目が覚めて。遠山さんこそ、早いけどどうしたの?」
「え、ええと。私も、変な夢見ちゃって、それで」
返事をしながら笑顔を作ったけど、内心凄く焦っていた。
ど、どうしよう。つい声を掛けちゃったけど、まだ全然心の準備ができてないや。あんな話を聞かされて、気にしないでいるなんて無理だよー。
私が何かをしたわけじゃないけど、あんなことがあったんだもの。やっぱり、罪悪感が込み上げてくる。
でも顔を見られないよう俯きながら、チラチラと様子をうかがっていたら……あれ?
見れば紅山君も、私と同じように顔を背けている。
目を合わせようとせずに、だけど時々こっちの様子を窺っている紅山君。
いつもと違う態度に首をかしげていると、彼は小さく言う。
「遠山さん。もう無理して僕に話しかけなくてもいいから」
「えっ?」
突然告げられた予想外の言葉に、頭から水を被ったみたいに全身が冷える。
「前から思ってたんだ。遠山さん、僕に声をかけてくれるけど、そのせいで迷惑をかけてるんじゃないかって」
「なんで? どうして急に、そんなことを言うの? 私別に、迷惑なんてしてないよ」
「本当にそう? 遠山さんと話していると時々、どうして一緒にいるんだろうとか、遠山さんも怖い人なのかなとか、そんな風に誰かが陰口言ってるの、知らない?」
悲しそうな目で訴えられて、黙ってしまう。
もちろん、気づいてないわけじゃなかった。
よほど見た目で悪印象を与えてしまっているんだろうね。紅山君は怖い人だとか不良だとか、根も葉も無い噂が一人歩きしちゃってる。
そんな紅山君と一緒にいると、私まで変な目で見られることも少なくなかった。
「僕は慣れてるから良いけど、遠山さんまで嫌な目に会う必要なんてないよ。だから……って、遠山さん?」
たぶんこの時私は、泣きそうな顔をしていたんだと思う。
スカートの裾をギュッと掴みながら、込み上げてくる悲しい気持ちを抑えて、何かが壊れそうになるのを我慢する。
紅山君の言う通り、陰で有ること無いことをヒソヒソ言われるのが嫌だったのは確か。だけどそんな知らない人の陰口よりも、紅山君が距離を置こうとしてくる事の方が、よっぽど悲しかった。
「なんで? 私も紅山君も、何も悪くないのに、どうして何も知らない人の目なんか気にしなきゃいけないの?」
「それは……僕は皆から、嫌われてるから。僕がどう思っていても周りに誤解を与えるし、近くにいたら嫌な気持ちにさせる。あの時だって、君を泣かせちゃってたし……」
あの時?
一瞬何のことか分からなくて反応できずにいたら、紅山君は慌てたように訂正する。
「ごめん、最後のは忘れて。何でもないから」
慌てて取り繕ってきたけど、誤魔化されたりはしない。
これはもしかして……。
「ねえ、ひょっとして紅山君も、思い出したの?」
「えっ? 思い出したって、何を?」
「前世の事だよ。『蟹の恩返し』に関することなんだけど……」
途端に、紅山君の顔色が、見る見るうちに変わっていく。図星をつかれたことが丸わかりだ。
「ど、どうしてそのことを?」
「やっぱり。昨夜私の夢に、前世のワタシが出てきたの。『蟹の恩返し』の、主人公の女の子が。そしてあの日、何が起きたのか聞いたわ」
「そっか。遠山さんも……」
私もってことは、やっぱり紅山君も? 詳しく聞こうとしたけど、その前に紅山君は、勢いよく頭を下げた。
「ゴメン! 僕のせいで、怖い思いをさせて!」
「えっ? えっ?」
思っていたのと違う反応に混乱する。
紅山君が前世の事を思い出したのは分かったけど、それでどうして私が謝られるの?
彼の受けた仕打ちを思うと、謝らなきゃいけないのは私の方。紅山君はむしろ、怒ってもいいはずなのに。
「ちょ、ちょっと待って。何のことだかよくわからないんだけど、ちゃんと説明してよ」
「それは……僕も遠山さんと同じように、夢を見て。大きな蛇が夢の中に現れて、言ったんだ。その蛇は前世の僕で、遠山さんの前世の女の子と……め、
紅山君は『
やっぱりそういう話になると、ちょっと恥ずかしい。
「だけど会いに行ったら、遠山さん……前世の遠山さんは僕の事を嫌いで、本当は結婚なんてしたくなかったんだって分かって、凄くショックだった」
違う。それは前世のワタシの意思じゃない。
罠を仕掛けてたなんて知らなくて、蛇のことだって嫌ってなんかいなかったのに。
「遠山さんに会いに行ったら蟹に襲われるし、倉の中から遠山さんが出てきたかと思うと、蟹達はそっちの方に行くし。何とか助けられはしたけど、その時遠山さん泣いてたから。蟹に襲われたのが怖かったのか、それとも僕の醜い姿を見て泣いたのかは分からないけど、僕のせいで泣かせたことに代わりはないから。だからゴメン」
紅山君はもう一度頭を下げる。たけど、それは違うよ。
前世のワタシは、いきなり嫁がなきゃいけないってなって驚きはしたけど、蛇に命を救ってもらったのだ。嫌うはずもなければ、その姿を見て醜いとも思わない。
だけど紅山君は……紅山君の前世の蛇は、そうは思っていなかったのだろう。
自分は嫌われている。自分のせいで、ワタシに怖い思いをさせてしまった。そう思いながら、最期の時を迎えたのかも。
紅山君はそんな前世の罪悪感もあって、私と距離を置こうとしてるの?
怒ってもいいのに、怨み言の一つも言わないで、迷惑をかけたくないから離れるつもり?
きっとこういう時、怒ることができないのが紅山君なのだろう。
誰かを怨むんじゃなくて、全部自分が悪いって思って、背負い込んでしまう。そういう人。
だけどそれは違う、違うよ。
私はそっと手を伸ばすと、紅山君の頬に触れて、下がっていた頭を起こさせた。
「紅山君、よく聞いて。前世のワタシは、蛇の事を嫌ってなんかいなかったよ。それどころか、自分の夫は他にいないって、それからずっと結婚しなかったの」
「え?」
「ワタシはちゃんと、蛇のことが好きだったんだよ」
両手で紅山君の頬をしっかりと押さえたまま、じっと目を見て想いを告げる。
もしかしたら私は、伝えられなかったこの気持ちを伝えるために、前世の記憶を思い出したのかもしれない。
「もう謝らないで。関係無い人の言う事なんて、気にしないで。私も、前世の私も、紅山君のこと好きだから」
「―—っ⁉」
驚いたように目を見開く紅山君。同時に私は、大胆な事を言ってしまった事に気が付いた。
い、今のは恋愛的な意味で好きだって言ったわけじゃないから!
だけど、わざわざ訂正なんて出来ない。紅山君しばらく呆けていたけど、やがて一筋の涙を零して、私の手にを濡らした。
「……そっか。僕は、嫌われていなかったんだ」
まるで力が抜けたみたいに、地面にしゃがみこむ紅山君。
嫌われてると思いながら命を落とし、生まれ変わってもなお、その事が心のどこかで引っ掛かっていたのだとしたら、どれだけ辛かったか。
けどもう、苦しまなくて良いんだよ。
私はしゃがんでいる紅山君に、そっと手を伸ばした。
「行こう。念のため聞くけど、もう『話しかけないで』なんて、言わないよね? て言うか、いくら言われても、絶対に放ってなんかおかないんだから」
「うん。……ごめん、変なこと言っちゃってて。それと、ありがとう」
紅山君は憑き物が落ちたみたいな穏やかな笑みを浮かべながら、私の手を取った。
相変わらず強面で、迫力のある笑顔だったけど、私にはそれがとても可愛く思えて、ドキンと心臓が跳ね上がる。
ああ、なんだか胸がポヤポヤする~。
な、なんだろう、この気持ち。
「遠山さん?」
「ご、ごめん。ついボーっとしちゃってた。さあ、早く行かなきゃ、遅刻しちゃうよ」
「ふふ、まだ大分余裕あるよ」
「あ。そ、そうだったね。あはははは」
照れ隠しに笑いながら、明後日の方向を向く。
今は紅山君のことを、直視できないよー。
もちろんそれは、怖いから顔が見えないんじゃなくて、その逆。
前世のワタシが生涯愛した人の生まれ変わりである彼に、きっと今の私自身も惹かれている。
前世に囚われないでって言われたけど、今の私が、好きになるのは、構わないよね。
芽生えた想いを胸の奥で暖めながら、紅山君と二人、通学路を歩いて行くのだった。
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