『蟹の恩返し』の真実

「ダメ! 行ったらアナタ、殺されちゃう!」

「ムダよ。これはもう既に、起こってしまったことなの。いくら叫んでも、ワタシ達の声は彼には届かないわ」

「そんな……」


 ワタシの言う通り必死の叫びも虚しく、蛇は倉のすぐ側までやってくる。

 すると、隠れていた白服の男達が一斉に姿を表した。


「召!」


 手を動かして印を結んだと思った次の瞬間、彼らの前に大量の赤い小さな生き物が現れる。

 それは、真っ赤な色をした蟹だった。


「あの蟹達は、術者の使う式神。蛇を殺すために、呼び出されたのよ」


 ワタシが淡々とした口調で教えてくれる。


 ワラワラと、ワラワラと。男達が印を結ぶたびに、どこからともなく現れる蟹達。


 こんなにたくさん、いったいどこに隠れていたのかは分からないけど、蟹達は操られるように、蛇に向かって突進して行った。


 ギャアアアアァァァァッ!


 蟹達のハサミを受けた蛇の咆哮が、大気を揺らす。

 それはまるで地獄絵図。無数の蟹達のハサミは、蛇の肌を守る硬い鱗を切り裂いて、傷口からはどんどん血が流れていく。


 もちろん蛇は抵抗した。大きさが全然違うのだから、普通なら小さな蟹では巨大な蛇に、勝てるはずがない。

 だけど大きさ以上に、数が違っていた。いくら振り払っても押し潰しても、蟹達は後から後からわいて出て蛇を襲い、その体を血に染めていく。


 やめて。もうやめてよ。

 蛇の絶叫が響く中、私は目をそらしたくなったけど。その時不意に、閉ざされていた倉の扉が開いた。

 中から顔を覗かせたのは、前世のワタシ。外の様子が気になって、出てきてしまったのだろうか?

 だけどその瞬間、今まで蛇を襲っていた蟹達が、急に動きを変えた。


「いかん!」


 白服の男の一人が叫んだ時には、もう遅かった。突然現れた彼女のことを、蟹達は倒すべき異物と判断したらしい。

 鋭いハサミを武器に、襲いかかっていく。


 やられる。前世のワタシが殺されちゃう。

 だけどその時、虫の息になっていたはずの蛇が動いた。


 ウオォォォォォォッ!


 その巨体をうねらせ、体に群がっていた蟹達をふるい落とすと、ワタシに襲いかかろうとしていた蟹達に突進して行く。

 重たい体で押し潰し、牙で殻を食い破り。ワタシの前に陣取って、守りながら蟹を蹴散らしていく蛇。


 今までずっと数に押されていたのに、息を吹き返した蛇はそんなものをものともせず、ワタシを守るため戦ってくれた。


 そうして蟹は徐々にその数を減らし、最後の一匹を潰したところで、蛇も力尽きたように地面に横たわった。


「あ……ああ……」


 前世のワタシは、命を救ってくれた蛇の元に駆け寄ると、その顔に自分の顔を擦り付ける。

 そこにあるのは、恐怖じゃない。助けてくれたことへの感謝や、傷つけてしまったことへの申し訳なさ。様々な感情が、ワタシからは感じられた。


「ワタシはこの時彼に触れたけど、そしたら不思議なことに、彼の記憶が流れ込んできたわ。それがこれよ」


 一緒に映像を見ていたワタシがそう言うと、またも景色が変わる。

 そこにいたのは、二匹の蛇。最初に見たおじいちゃん蛇と、さっき戦ってくれたお孫さんの蛇だ。


 ——喜べ。お前のために、お嫁さんを用意してやったぞ。

 ——え、お嫁さん? それってどんな子なの? 可愛いの? 優しいの?

 ——なあに、会えばわかる。お前はこれからその子の夫になるんだから、しっかり守ってやるんだぞ。

 ——うん、僕お嫁さんのこと、必ず守るよ。


 ニコニコと笑う蛇はとても嬉しそうで、ワタシに会うのをとても楽しみにしていた。


 ——僕のお嫁さん、いったいどんな子なのかなあ。早く会いたいなあ。


 ——けど、僕のこと気持ち悪いって思ったりしないかなあ。僕、みんなからよく、怖いって言われるもんなあ。


 ——ううん、きっと大丈夫。絶対に、仲良くできるよね。


 そうして七日目の夜、蛇はワタシの家へと向かった。ワタシに会えることに、胸を踊らせながら。

 だけどそこで待っていたのは、襲いかかってくる蟹達。


 ——痛いよ。どうして僕がこんな目に? 僕はただ、お嫁さんに会いに来ただけなのに。


 痛くて。

 辛くて。

 悲しくて。


 絶望のまま目を閉じようとしたその時、倉の中から姿を現したのは、花嫁衣装の女の子。

 あの子が、僕のお嫁さんなんだ。だけどそう思った瞬間、それまで自分を襲っていた蟹達が、彼女に向かっていくじゃないか。


 守らなきゃ。僕が守らなきゃ。そんな思いが、蛇を動かした。


 ウオォォォォォォッ!


 蛇は必死になって戦い、力尽きた。

 そして最期の瞬間、駆け寄ってきた花嫁に言った言葉は。


 ——ごめんね、怖い思いをさせて。

 ——ごめんね、幸せにしてあげられなくて。


 結局蛇は、誰かを怨むことなく死んでいった。最後まで、ワタシを守りながら。

 これが、『蟹の恩返し』の真実なの?


 気がつけば私の頬は涙で濡れていて、悲しい気持ちで胸がいっぱいになる。


「こんなのおかしいよ。昔読んでもらったお話と、全然違うじゃない」

「事実は曲げられたの。水神様を騙して殺したなんて、言えるわけないでしょ。あの蛇は悪者にされ、そして村は思惑通り水不足が解消されて、平和になったわ」

「そんな……」


 これのどこが平和なの? あの蛇が、どれだけ苦しんだかも知らないで。


 私は今まで蛇に対して、怖い印象があったけど、それは偏見だった。

 少なくともこの蛇は、ワタシを守ってくれた優しい蛇。

 なのにねじ曲げられた話が後世に伝わって悪役にされるだなんて、そんなの悲しすぎるよ。


「それで、アナタはこの後どうしたの?」

「父が術者達と結託して、彼のこともワタシのことも騙していたと知った時は、死んでしまおうかって思ったわ。だけど生きた。彼が救ってくれた命なんだもの。粗末にするわけにはいかないでしょ」


 確かにワタシの言う通り、せっかく命を懸けて守ってくれたのに簡単に死なれては、蛇だって浮かばれないだろう。


「それじゃあ、結婚の約束を取り付けた、あのおじいさんの方の蛇はどうなったの? 孫が殺されて、怒らなかった?」

「分からない。父は後のことは任せておけって言うばかりで、何も教えてくれなかったから。ただ、祟りが起こるようなことはなかったから、怒る気にもなれないほどショックだったのか。あるいは彼と同じように、術者の手に掛かって……」


 ワタシはそこで言葉を切る。これ以上は、想像したくない。


「それから、父のことがすっかり信じられなくなって、幸せな生活なんて送れなかったわ。縁談の話もいくつかきたけど、断り続けた。だってワタシの夫は、彼だけだから。人間でなく蛇だったけど、命を懸けてワタシのことを守ってくれた彼を、裏切るなんてできなかったの」


 はっきりとした声で、静かに告げられる。

 そっか。蛇がこの人のことを愛してくれたように、この人も蛇のことを、ちゃんと想ってくれていたんだ。


「アナタはワタシの生まれ変わり。だから彼の生まれ変わりとも、惹かれあっているの」

「彼の生まれ変わり? あの蛇も、どこかで生まれ変わっているの?」

「アナタも分かっているはずよ。目を閉じて考えてみなさい。頭に浮かんだ人が、彼の生まれ変わりだから」


 言われてすぐに、誰のことか察しがついた。

 その人は紅山君。体が大きく上三白眼で、怖い印象を与えてしまいがちだけど、本当は心の優しい男の子。

 初めて会った時に感じた、懐かしい気持ちの正体。あれは前世から繋がりがあったからなのだと、ようやくわかった。


「それで、私はこれからどうすればいいの?」

「どうもしなくて良いわ。アナタはワタシの生まれ変わりだけど、ワタシとは別の人間だもの。前の世の縁に、囚われる必要はないの。ただ、それでもアナタは真実を知りたがっていたから、伝えに来たの。それに彼も、前世の記憶を思い出しそうだったから」

「えっ?」


 紅山君も今の私みたいに、前世の記憶を思い出そうとしているの?


「彼が全てを思い出したら、ショックを受けるかもしれない。でもそんな時アナタなら、きっと支えてくれる。そう思ったから、真実を話したの。友達が傷ついているのに、何もできないなんて嫌でしょ? アナタはワタシじゃないけど、ワタシとよく似ているからわかるわ」

「で、でも私、紅山君に何て言ったらいいかわからない」

「それはワタシが教える事じゃないわ。思い出させておいてなんだけど、アナタも、それに紅山君も、ワタシや彼の生まれ変わりであって、本人じゃない。だから囚われすぎないで、自分達で答えを見つけなさい……」


 話していくうちに、いつの間にか周りの景色がぼやけていき、ワタシの声もだんだんと遠くなっていく。

 そして気がついた時、私は自宅のベッドの上で横になっていた。


 夜が明けるかどうかくらいの、薄暗い時間。

 どうやら眠りながら泣いていたらしく、頬に触れると手が涙で濡れた。


 さっきまで見ていたのは、ただの夢? ううん、きっと違う。


 小さい頃お母さんに、『蟹の恩返し』を読んでもらった時に泣いた理由が、今なら思い出せる。

 あの時私は、蟹に襲われて死んでしまった蛇さんが可哀想って思って泣いたんだ。


「紅山君……」


 私はベッドの上で体を起こすと、彼の名前を呟いた。



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