前世の記憶
紅山君と『蟹の恩返し』の話をしてから、一カ月ほど経ったその日の夜、私は夢を見ていた。
夢を見ている時、ああ、これは夢なんだって気づくことってあるよね。
今がまさにそれ。夢の中の私は一人濃い霧の中にいたんだけど、しばらく佇んでいると霧の向こうから、不意に人影が現れた。
それはまるで時代劇に出てくるような着物を着た、綺麗な女の人。その人は私の側まで来ると、そっと口を開く。
「遠山姫子、ですね?」
「はい。あの、どうして私の名前を?」
つい聞いてしまったけど、よく考えたらこれは夢なんだから、名前を知っていたとしても不思議じゃない。
だけど彼女は、律儀に質問にこたえてくれる。
「私はあなたの事なら、あなた以上に何でも知っています。あなたの胸に巣くう想いの正体も、毎日のように見る夢の理由も、あなたの前世も」
彼女が言っていることを理解するまで、少し時間がかかった。
想いの正体? 前世? 何それ?
だけどとりあえず、毎日見る夢と言うのは、何となく分かった。きっとあの事かな?
1ヶ月前、紅山君と『蟹の恩返し』の話をして以来、私は毎晩のようにそのお話の内容を、夢で見るようになったんだよね。
綺麗な花嫁衣装を身に纏い、倉の中でお婿さんである蛇が来るのを待っている娘さん。
倉の外から聞こえてくる、何かが戦うような激しい音。
外に出てみると、そこには横たわっている蛇とたくさんの蟹達が。
そんな夢を、毎日ずっと見続けている。
って、ちょっと待って。
今気づいたけど、その夢で出てきた娘さんって、今目の前にいるこの人じゃない。
昨日まで見ていた夢では花嫁衣装を着ていたけど、彼女が今着ているのは農作業でもするような簡素な着物。
格好が全然違うから、気づくのが遅れちゃってた。
「アナタは『蟹の恩返し』に出てくる娘さんなんですか? 蛇と結婚させられそうになった」
「はい。そしてワタシは、アナタでもあるのです。アナタはワタシの、生まれ変わりなのですから」
「生まれ変わり?」
それって、異世界転生みたいな?
けど昔話のヒロインの生まれ変わりだなんて言われても、全然ピンとこな……いや、そうでもないかも。
ビックリはしたけど、胸にストンと落ちるものがあった。
昔お母さんに『蟹の恩返し』を読んでもらって泣いたのは、前世の記憶に触れたから。連日見ていた夢は、生まれ変わる前の事を思い出していたから。
普通ならこんなの、おかしな妄想だってなるところだけど、これは本当の事なんだって、なぜか不思議と受け入れられた。
「でも、アナタはどうして今になって、私の夢に現れたの?」
「それはアナタが、真実を知りたがっていたから。ただ真実を知ることで、もしかしたらアナタは苦しむことになるかもしれないけど、それでも知りたい?」
そんな風に前置きをされると、少し怖い。
だけどそれでも、真実というものがあるのなら、やっぱり知りたかった。
「教えて。難しいことはよくわからないけど、何だか今のままじゃダメな気がするの」
「分かりました。ではお見せしましょう、あの物語の真実を……」
彼女が……前世のワタシがそう言った瞬間、霧が晴れて辺りが明るくなった。
そこは、どこかの山の中にある川。
岸には一人の男が立っていて、それと対峙するように、川の中から何メートルもある大きな蛇が顔を覗かせていた。
「蛇……」
鋭い上三白眼。全身を鱗で覆われた巨体を見て、思わずビクついた。
——怖い。
ここは夢の中。見ているのは幻のようなものだと分かっているけど、蛇の姿を見ると恐怖が込み上げてくる。
そんな大蛇と男は、いったい何をしているのだろう? もしかして、蛇は男の人を食べようとしている?
恐ろしい場面を想像したけど、予想に反して男は落ち着いた様子で蛇と話していた。
「……そういうわけで、わたくしどもの村は水不足で困っているのです。このままでは作物も育たず、生活もままならなくなってしまいます。そこで、水神様であるアナタの力を借りたい。お願いだ、どうかうちの村に、水を与えてはくれませんか?」
水神様って、あの蛇が?
驚いていると、今度は蛇が口を開いた。
「よかろう。お主の村に、水を与えると約束しよう。ただしそれには、一つだけ条件がある」
「条件でございますか?」
「そうだ。実はワシには年頃の孫がいてな。村長であるお前の娘を、孫の嫁にとらせたい」
「わ、わたくしの娘をでございますか?」
「そうだ。なあに、悪いようにはせん。孫は気の優しい、できた奴でな。お前の娘の事を、必ず幸せにする。どうだ?」
蛇の言葉に、村長だと言う男はしばらく考えたけど、やがて頷いた。
「分かりました。娘をお孫様に嫁がせましょう」
「うむ。では七日後の夜、迎えに行かせるでな」
こうして交わされた、結婚の約束。
多少経緯は違うけど、これはまるで『蟹の恩返し』のワンシーンだ。
隣にいる前世のワタシに目をやると、彼女も悲しそうな目で二人の話す様子を見ていたけど、そっと視線を私に向けてくる。
「あの村長が、ワタシの父よ」
「それじゃあアナタは、蛇のお嫁さんに?」
「ええ。最初父から話を聞かされた時は驚いたけど、村を助けるためだから、仕方がないと思ったわ。蛇だって水を与えてくれるんだから、理不尽な要求ってわけでもなかったしね。でも……」
ワタシが再び前を見たと思ったら目の前の空間が、まるで映画のCGみたいに、グニャリと歪んだ。
驚いたけど、グニャグニャになった景色はまたすぐに形を整える。
そうして目の前に広がったのはさっきの川原とは違う、家の中。
どうやら夜のようで、部屋の真ん中にある囲炉裏には火が炊かれている。そして囲炉裏の側にはさっきの村長と、白い着物を着た数人の男達が立っていた。
「どうやら首尾よく、水神を誘き出すことができたようですね」
白い着物の男の一人がそう言うと、村長は渋い顔をする。
「しかしあの蛇め、よりによってうちの娘を嫁にするなど言いおって。そんなことできるものか」
「ははは、大丈夫ですよ。お嬢様には水神を誘き出すための餌になってもらいますが、危険な目にあわせたりはしません。その前に我々が、水神を始末しますから」
始末!?
物騒な言葉にギョッとして隣に目を向けると、ワタシは冷たい目をしながら、男達を眺めていた。
「全て罠だったの。村が水不足で困っているのは本当だけど、父は水神様の要求を飲む気なんてなかったわ。白服の男達は、霊力を備えた術者。父は彼らと結託して水神様を殺し、その亡骸を土地に納めることで、村に水を呼び込もうと考えたの」
「そんな! それじゃああの蛇は、騙されたってこと!?」
「ええ。父はこの企ての事を黙っていたから、ワタシは何も知らないまま。蛇の花嫁になるんだと思いながら、約束の日を迎えたわ」
そこでまた、景色が変わる。
今度は月明かりの照らす夜空の下。立派な倉が建っているのが見える。
たしか『蟹の恩返し』では、あの倉の中にお嫁さんがいて、蛇が来るのを待っていたはずだ。
しかし、よく見ると倉の影や近くの木の裏に、さっきの白服の男達が隠れている。
きっと、蛇を迎え撃つつもりなんだ。
そして、大きな蛇が姿を表わす。
けれどさっき見た川原にいた蛇とは、顔つきが若干違っていた。きっとあの蛇の、お孫さんなのだろう。
罠だと知らない蛇は警戒することなく、倉に近づいて行った。
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