『レントゲン・アイ』 下
ぼくは、病院の事務所にいた。
なぜだか、事務長になっていた。
あいもかわらず、できの悪い事務長で、かなりの部分は、補佐役に頼っていた。
今日は、台風の影響で、雨が強いが、患者さんは少ない。
昼休み、ちょっと外に出てみようと思った。
なぜだか、病院の外は屋根付きの繁華街である。
かなり、雨が強くなった。
しかし、急にお手洗いに行きたくなった。
大きめの公衆トイレに入ったが、水浸しで使えない。
商店街の別の場所に行こうとしたが、そこもだめだ。
仕方がないから、帰ろうと思って引き返し始めたが、迷路のような繁華街で、なぜか道を間違えたらしい。
『あら。おかしい。でも、まっすぐゆけば、大通りに出るから、やり直そう。』
そう思って進むと、前方は川で、かなり氾濫間際まで水が上がっている。
こいつはまずい、と思い、反対側に向かったが、そこは、海で、遮られている。
しかたがないから、また、人通りのない繁華街を、歩くのではなく、走る。
見覚えがあるビルにぶつかる。
よし、ここだ。
と、曲がると、道路は水浸しで、しかも、向こうは、またまた、溢れそうに激しく波打つ川だ。
後ろを見れば、やはり海に遮られていて、左側の奥も川だ。
しかたないから、繁華街が続く側に向かい、走る。
腕時計を見ると、休憩時間は、とうに過ぎてしまっている。
やっと、まあまあな、お手洗いにたどり着き、入ると、先客がいた。
頭を下げて奥に進む。
いったい、なにやってるんだ。
用はすんだから、早く帰ろうと、また、走る。
通りがかりのおじさんが、突然現れたぼくを『おわあ!』と、避ける。
『すいません。』と、言いながらさらに早く走る。
しかし、また、向こうは、荒れる川になっている。
おかしい。
どうしても、職場に帰れない。
いやまて、そもそも、職場は、繁華街にはなかったはず。
なんで、こうなる?
時間は、さらに先になっている。
見渡せば、どちらを見ても、激しく流れる川か、海に遮られている。
困った。
どうなってるのか、わからない。
で、結局のところ、ぼくは、病院に、帰れなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・
理事長の、医療による、世界支配は、明らかに、成功したかに見えた。いや、した、というべきだ。
世界の経済的支配は、個人主義経済的支配と、国家主義経済的支配の一騎討ちになり、個人主義は、あえなく敗北した。
ただし、すぐに、殺害されたわけではない。
しかし、誰であろうと、人類自体が不死にでもならないと、医療に頼らざるを得ない場合が、まず、間違いなく出てくる。
秦の始皇帝の事例は、普遍的なものだ。
理事長は、そこを押さえてしまった。
彼が開発した、総合医療コンピューター『ニューアイノちゃん』が成し遂げた成果は、絶大なものだった。
中央システムは、本部に置かれていたが、それは、ある意味、替え玉であり、真のシステムの場所は、極秘とされた。
ぼくも、知らない。
部分的に、であれ、最高の頂点であれ、経済的支配者は、大金を払い、こぞって、その軍門にひれ伏した。
それは、国家の枠には、はまらないものだった。
ぼくは、母の死を調べながら、たくさんの人間を、密かに殺害したが、それは、システムを利用しなかった人達である。
秘密を明らかにするためには、理事長には生きてもらわないと困るし、ぼくは、雇われの身としては、短期間に、かなりの資産を築いた。
それは、みな、単なる偽りに過ぎなかったのだが。
・・・・・・・・・・・・・・
しかし、人間は、結局は、直ぐに歳をとる。
だいたい、どんな独裁者でも、経歴の頂点は、半世紀も続いたら、奇跡みたいなものであるが、理事長は、180年頑張った。
企業であれ、政府であれ、独裁者は、持ち時間を可能な限り伸ばしたいものだ。
それでも、不死はまだまだ、夢の中である。
最近は、地球にも、太陽系にも、宇宙にも、死がくることが予測されている。
不死は、つまり、あり得ない。
理事長の後継者は、結局、弟さんに決まった。
それから、理事長は、元気な内に、なぜだか、後を譲ったのである。
そのさき15年は、好きなことをして過ごした。
・・・・・・・・・・・・・・
やがて、ぼくは、理事長の最後に立ち会った。
彼は、ぼくにこう語った。
『なぜ、仇討ちしなかった?』
『仇討ちしてほしかったですか?』
『うむ。毎日、ひやひや、わくわく、していた。君の母君が、しょっちゅう、枕元に立った。』
『まあ、当然ですな。しかし、あなたは、手強かったのです。何回も、暗殺しようと、しても、うまく行かなかっただけです。』
ぼくの傍らには、母が現れた。
『当たり前です。あなたは、人類最大の罪人です。あたくしを殺害し、この子も、利用するだけ利用して、殺した。それが、最大の間違いでしたね。』
『権力の維持には、必要だったのだ。』
『あの、おかしな夢は、あなたが、ぼくを殺害した時の夢だったのですな。ぼくは、あそこに閉じ込められた。そこで、母に出会ったのです。』
『まあ、それは、意外なことではあったがな。そんな世界があるなんて、信じがたいからな。…ただし、まあ、さして害にはならなかった。幽霊の呪いなど、私には、ものの数には、入らない。』
『たしかに、いくら呪っても、あなたの、コンピューター、ニューアイノちゃんは、全てを正常化してしまうから、勝てなかった。アイノちゃんの、本体は、どこにあったのですか?』
『わからない方が、おかしいのだ。それは、わたしの頭の中だ。小さなマイクロチップだよ。』
『は。いつのまに?』
『時間は、たくさんある。大概の人間は、うまく扱えないだけだ。』
『ふむ。しかし、時間なんて、すぐに過ぎ去るのです。』
『まあな。しかし、それは、あたまから、わかっていたことなのだ。生きている時間は、どう頑張っても、僅かなものだ。これから、罪滅ぼしはしたい。』
ぼくたち三人の幽霊は、非存在が存在する宇宙に旅立った。
考えてみれば、それは、ぼくにとったは、最高の出来事であった。
当たり前にありそうなのに、なかったものだ。
ただ、残念ながら、地球人類は、もはや、存在しなかった。
どんな医療システムも、戦争には勝てなかったからである。
理事長は、最後の人類になった。
それで、システムは、ようやく、停止した。
アイノちゃんは、幽霊などにはならなかったが。
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『レントゲン・アイ』 やましん(テンパー) @yamashin-2
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